この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。


 
こんにちは。
 
 
明治・大正時代を代表する作家の芥川龍之介
 
 
彼は「羅生門」「蜘蛛の糸」「鼻」「トロッコ」「地獄変」「河童」「歯車」などたくさんの短編を残しています。
 
 
そして、たくさんの友人に囲まれ家族もいて、小説家として認められていたにもかかわらず、35歳で自殺してしまいました。
 
 
今回は、芥川龍之介の生涯や性格について特徴を簡単にお伝えします。

 
 

スポンサーリンク

芥川龍之介の生い立ち

 

 
1892年、芥川龍之介は東京市京橋区(東京都中央区)に誕生しました。
 
 
彼が生まれた頃、母親が精神的な病気をわずらってしまい、彼は子供の頃に母方の実家の芥川家にあずけられました。
 
 
叔母のフキが文学好きだったので、その影響を受けて彼も頭の良い子に育ったようてです。
 
 
成績優秀だったので第一高等学校は無試験でパスし、その後、東京帝国大学(現在の東京大学)、文学部英文学科に進学しました。
 
 
そして、大学時代に文学活動を始めて、『新思潮』という同人誌を作りました。「羅生門」や「鼻」などの代表作を発表したのも、夏目漱石の弟子になったのも大学生のときでした。
 
 
卒業後は、教師として働きながら小説家としても活動し、友人の姪と結婚し子供も授かりました。
 
 
公私ともに充実していたように見えますが、1921年に仕事で中国の北京を訪れた頃から、病気がちになっていきます。そうして神経衰弱や腸カタルなどになり、心身共に弱って睡眠薬をよく飲むようになったのです。
 
 
1927年7月24日、芥川龍之介は大量の睡眠薬を飲んで自殺しました。享年35歳
 
 
芥川の自殺の原因は、はっきりしていません。創作活動の限界を感じたからとも、病気のせいとも、義兄が自殺しその家族を養うのに重圧がかかったからともいわれます。
 
 
多分、いくつかの要因が重なって生きる意味を失ってしまったのでしょう。

 
 

スポンサーリンク

芥川龍之介の性格

 

 
芥川龍之介は、かなり神経質な性格だったと伝わります。確かに痩せ型で繊細そうな面持ちをしていますね。
 
 
彼は自分の人生について、かなり悲観的な考え方をしていました。
 
 
自殺する前に「ぼんやりとした不安」を感じると言い残したのはよく知られていますが、いろいろなことが重なり精神が不安定になっていたのでしょう。
 
 
「河童」「歯車」といった晩年の作品には、彼の孤独や絶望がよく反映されています。

 
 

友達がとても多く慕われていた

 

【左から2人目が芥川龍之介・一番左が菊池寛】

 
芥川は暗そうな性格をしている一方、とても社交的で交友関係が広い人でした。彼を師と仰ぐ後輩も多く、周りにたくさん人が集まってきました。
 
 
友人は小説家だけでなく、詩人や画家など芸術家もたくさんいました。
 
 
ですから、彼の突然の死に、友人たちは大きなショックを受けたのです。
 
 
芥川は自殺する前日、友人の詩人・室生犀星の家を訪ねたそうですが、彼は外出していて会えなかったのでした。犀星はそのことをずっと悔やんでいたといいます。
 
 
芥川の息子の名付け親になるほど親しかった菊池寛は、お葬式で弔辞をよみました。そして、実業家でもあった彼は、今も続く「芥川賞」を設立したのです。
 
 
無頼派の2人の作家、太宰治坂口安吾も、衝撃を受けています。
 
 
多くの文豪、詩人が彼の死について追悼を表しました。
 
 
また、芥川はもっとも仲が良かった画家の小穴隆一に、自殺の決意を伝えていました。そのときの遺言に従い、小穴が彼のデスマスクを描きました。

 
 

夏目漱石の門弟だった

 

 
芥川龍之介は、「羅生門」を書いた23歳のころ、夏目漱石の門弟になりました。
 
 
夏目漱石は、多くの若い小説家たちから先生と慕われていました。内田百聞などは、弟子というよりほとんど漱石先生の熱狂的ファンでした。
 
 
芥川は漱石からすると、たくさんのいた弟子の中の1人だったのかもしれません。でも、芥川が25歳のときに執筆した「鼻」を、漱石が雑誌で絶賛したことから作家としての道が開けたのです。
 
 
師からの激励の言葉は、神経質な彼にとって、すごくうれしい励みになったでしょう。
 
 
芥川は「吾輩は犬である」という漱石の作品のオマージュ的なエッセイも残しています。

 
 

芥川龍之介の代表作

 

 
芥川龍之介の代表作はたくさんありますが、そのほとんどが「短編」です。そして、ほとんどが元々あった話のオマージュのような作品でした。
 
 
短編が多いので、小説は読みにくいから苦手という人でも、読みやすいと思います。「くもの糸」などは子供用の文学雑誌に投稿したものなので、おすすめですよ。
 
 
「羅生門」
 
 
「羅生門」は平安時代に書かれた「今昔物語集」の中の説話がもとになっている作品です。
高校の教科書にも載っている芥川龍之介の代表作ですよ。
 
 
【関連記事】⇒★「羅生門」のあらすじと感想♪
 
 
「鼻」
 
 
主人公は大きく長い鼻をした僧侶。彼は優れた僧でしたが、その鼻のせいで人々に笑われています。それを気に病んだ僧侶は鼻を小さくしました。ところが・・・。
 
 
夏目漱石に絶賛された作品です。
 
 
【関連記事】⇒★「鼻」のあらすじと感想♪
 
 
「蜘蛛の糸」
 
 
地獄に落ちた男が過去に蜘蛛を助けた事から、お釈迦様にチャンスを与えられました。天上から垂らされた蜘蛛の糸をたどって登りましたが、振り向くと、たくさんの罪人たちが自分の後に続いていました。それを見た主人公は・・・
 
 
【関連記事】⇒★「くもの糸」のあらすじと感想♪
 
 
「トロッコ」
 
 
主人公は8歳男の子・良平。彼は弟と友達と一緒に、いつもトロッコを使って鉄道線路の工事をしている工事現場の近くで遊んでいました。一度あのトロッコを押してみたいなと思っていて、ある日、土工に声をかけたところ・・・
 
 
【関連記事】⇒★「トロッコ」のあらすじと感想♪

 
 

芥川龍之介の年表

 

 
・1892年(0歳)
牛乳屋を営む新原敏三とフクの長男として誕生
フクの実家に預けられる。
 
・1902年(10歳)
母のフクが病没。
 
・1904年(12歳)
芥川家の養子になる、
 
・1910年(18歳)
第一高等学校に入学。
 
・1913年(21歳)
高等東京帝国大学に入学。
 
・1914年(22歳)
『新思潮』を作る。
→文学活動開始。
 
・1915年(23歳)
「羅生門」を雑誌『帝国文学』に発表。
→夏目漱石と出会う。
 
・1916年(24歳)
「鼻」を発表。
→夏目漱石に絶賛される。
「芋粥」で作家デビュー。
 
・1917年(25歳)
「羅生門」を発表。
 
・1918年(26歳)
塚本文と結婚する。
「蜘蛛の糸」を発表。
→「赤い鳥」(子供向け雑誌)に発表。
 
・1921年(29歳)
大阪毎日新聞社の視察員となり中国に行く。
帰国後から体調不良が続くようになる。
 
・1927年(35歳)
睡眠薬により自殺する。

 
 
【関連記事】
 ↓




 
 

スポンサーリンク