この記事を読むのに必要な時間は約 15 分です。


 
今日は明治時代の文豪の代表格の1人、森鴎外についてお伝えします。
 
 
鴎外は名家生まれの超エリート! 軍医でありながら文豪としても名をあげたすごい人ですが、人間的には賢くて弁が立つ分、言い訳の多い人のような感じもします。
 
 
でも、私は森鴎外の文章はとても好きです。彼は江戸末期に生まれた人なので、文章が半分古典みたいで美しいのです。声に出して読みたくなります。
 
 
純文学の作品は、文章表現の美しさを追究する小説家の作品を指します。とすると、彼はやはり偉大な文豪だと思えます。
 
 
そんなエリート作家・森鴎外の生涯と代表作、そして個性豊かな子供たちについてご紹介します。

 
 

スポンサーリンク

藩医の家系で超エリートな少年時代

 

 
1862年、森鴎外は島根県津和野市で生まれました。まだ江戸時代です。本名は林太郎(りんたろう)と言いました。
 
 
森家は代々、津和野藩主の主治医を務める医師の一族でした。だから、彼も医者になるのが当然という雰囲気での中で育ったのです。
 
 
母の峰子は、ものすごい教育ママでした。というのも、森家は2代続けて男子にめぐまれず父も祖父も婿養子だったので、鴎外は期待の御曹司だったのです。
 
 
そして、彼は母の期待に応えて、幼いころからものすごく賢く「神童」と呼ばれていました。
 
 
幕藩体制が終わると(1872廃藩置県)、森家は東京の墨田区に移り住みました。そして、鴎外は12歳で東京医学校予科を受験し最年少合格したのです。
 
 
予科は本来は14歳からしか受験できなかったのですが、当時はまだ戸籍制度がまだいい加減だったので2年さばをよんで申告したところ、見事合格したのだそうです。さすが神童・・・
 
 
その後、彼は東大医学部で学びながらもともと得意な漢詩や漢文を楽しみ、小説を読んだり和歌を作ったりしていました。

 
 

スポンサーリンク

論争大好きな厄介な性格だった?

 

 
森鷗外はかなりの論争好きとして知られます。
 
 
彼は頭が良いだけでなく口が達者だったので、文学・医学の専門の2つの分野でいろんな人に論争をふっかけました。
 
 
また、ドイツ語も達者だったので、留学中はドイツ人ともドイツ語で論争したそうです。さすが・・・
 
 
文学では理想・理念など主観的なものを描くべきという理想主義を掲げて、事物を客観的に描くべきという写実主義的な主張をした坪内逍遥と衝突しました。
 
 
また医学では、近代の西洋医学をもっと取り入れるべきと主張し、当時7割をしめていた和漢方医と激烈な論争を繰り広げました。
 
 
新選組の健康診断を行い徳川慶喜の侍医も勤めたことのある松本良順など、近代医学の始祖と呼ばれる長老たちとも、6年ほど論争を続けています。
 
 
キャンキャンかみつくうるさそうな人ですが、30歳代以降はかなり落ち着いてきて、論調も穏やかに変わっていったそうですよ。

 
 

森鴎外の代表作

 

 
森鴎外は、軍医として勤めながら今も多くの人に読まれる作品を残しました。
 
 
その代表作を4つ紹介します。
 
 
彼の作品は、かなり古典に近い文章のものもあり、現代小説を読みなれていると読みにくいなーと感じることも多いと思います。
 
 
「舞姫」はありがちなストーリーで内容は分かりやすいですが、文章が読みにくいかもしれません。
 
 
始めて読むのなら、私のおすすめはこの中では「山椒大夫」です。「安寿と厨子王」というタイトルで子供向けの昔話にもなっています。

 
 

(1)「舞姫」(まいひめ)

 

 
小説家は自分の体験を作品のネタにすることがすごく多いです。感慨深い体験をしたら、まずネタにします。
 
 
鴎外は大学を卒業後、陸軍で医師として働き4年程ドイツに留学しました。
 
 
そして、ドイツ語マスターになった彼は、なんなく言葉の壁を乗り越えてドイツ人の女性と恋に落ちました
 
 
女性の名はエリーゼ。この女性との仲が「舞姫」のネタになったというのは、よく知られた話です。
 
 
鴎外が文筆活動を始めたのは、ドイツ留学から帰国した後でした。日本に帰ってからもエリーゼとは文通をして連絡を取り合っていたようです。
 
 
でも、彼は名家のエリートで後継ぎでした。母親はじめ親族一同は、留学しながら恋にうつうを抜かすとは外聞が悪いと叱り、鴎外とエリーゼとの仲を全力で阻んだのです。
 
 
マザコンエリートだった鴎外は、結局エリーゼとの恋をあきらめることになりました。
 
 
エリーゼは鴎外を追って日本にも来ているんですけどね。
 
 
「舞姫」は自身の体験を元にはしていますが、美しい悲恋ものとして完成した作品です。
 
【参考図書】舞姫 (集英社文庫) [ 森鴎外 ]

 

(2)「山椒大夫」(さんしょうだゆう)

 

 
平安時代が舞台の作品です。
 
 
「山椒大夫」というのは人買いの名前です。この話は、山椒大夫に買われて母と引き離された2人の子供・姉の安寿(あんじゅ)と弟の厨子王(ずしおう)の受難の物語です。
 
 
安寿(あんじゅ)は自分の身を犠牲にして弟の厨子王(ずしおう)だけでも逃がそうとしました。「犠牲の意味」を問いかけた作品です。
 
 
【参考図書】山椒大夫/高瀬舟/阿部一族改版 (角川文庫) [ 森鴎外 ]

 
 

(3)「高瀬舟」(たかせぶね)

 

 
罪人を運ぶ「高瀬舟」という舟に、ある日喜助という1人の男が乗ってきました。喜助は弟を殺した罪で島送りになったのです。
 
 
高瀬舟に乗せられる罪人は、誰もが暗い顔をしているものですが、喜助は晴れやかな顔をしていました。
 
 
護送係の同心・羽田庄兵衛はそれを不思議に思い、喜助に訳をたずねます。
 
 
貧困から抜け出せず家族を思いやって自殺しようとした弟が死にきれなかったのを見かねて自殺ほう助してしまった喜助。
 
 
医師でもあった森鴎外が「安楽死」について社会に問いかけた作品です。
 
 
喜助の弟が自らのどを突くシーンは、すごく考えさせられますよ。
 
 
【参考図書】山椒大夫/高瀬舟/阿部一族改版 (角川文庫) [ 森鴎外 ]

 
 

(4)「ヰタ・セクスアリス」

 

 
このタイトルはラテン語で「性欲的生活」を意味する「vita sexualis」をカタカナ表記したものです。森鴎外が性欲について書いた作品なのでした。
 
 
タイトルからいかわがしい本と思われて発禁処分になったこともある作品ですが、文章が淡々としていて全然エロスを感じません。
 
 
内容は結構下ネタなこともあるのですが、文章が森鴎外なのでさらりとした妙な読後感です。
 
 
主人公は金井湛(しずか)という哲学を勉強している青年です。
 
 
性にまつわる身近な人々の話を描いたもので、男子寮で男子に迫られて手ごめにされそうになった話や、吉原で初体験をしたあげく病気が怖くてびびった話など、鴎外か身近な人の実話なのかもと思うとなかなか面白い内容です。
 
 
【参考図書】ヰタ・セクスアリス改版 (新潮文庫) [ 森鴎外 ]

 
 

鴎外の個性的すぎる子供たち

 

 
森鴎外には5人の子供がいました。そのうち次男の不律(ふりつ)は幼いころに亡くなったのですが、あとの4人は世間からみるとちょっと変わった個性の強い人ばかりです。
 
 
鴎外は、子供たちに世界の人と交流する人物になってほしかったのか、欧米人が呼びやすい外国風の名前をつけました。
 
 
長男:於菟(オト)
長女:茉莉(マリ)
次女:杏奴(アンヌ)
次男:不律(フリツ)
三男:類(ルイ)

 
 
長男・長女の名前は欧州ではなく中国を意識してますね。
 
 
於菟(オト)は中国の古文にある「虎」を意味する言葉で、茉莉は茉莉花(ジャスミン)に由来します。
 
 
それ以降の子供は、完全にフランス・ドイツの名前です。
 
 
アンヌとルイはフランス人のよくある名前、フリッツはドイツ人の名前です。
 
 
成人した4人の子供の中で、長男の於菟(オト)だけは母が違い、育ちがまったく違います。
 
 
森鴎外は1人目の妻を母親にすすめられるまま「経歴」で選んで破綻しました。そして、「顔」の好みで選んだ2番目の妻は、悪妻と評される変な女性でした。
 
 
この2番目の妻とその子供たちは鴎外の死後、親類から疎遠にされました。
 
 
長男の於菟(おと)は、生まれてまもなく母が離縁され、鴎外に捨てられるように里子に出されました。その後、5歳のとき不憫に思った祖母(鴎外の母)峰子が引き取り、厳しく育てられました。だから、この人だけかなりまともに育っています。
 
 
於菟(おと)は成人して医師になり、東京帝国大学医学部の助教授に就任しました。その後も、いくつかの大学の医学部教授・学部長を歴任しています。また、鴎外の回想録も買いて出版しました。
 
 
一方、鴎外と2番目の妻との間の3人の子供たちは、鴎外の愛情をたっぷり受けて育ちました。
 
 
長女の茉莉はかなり個性の強い小説家に、次女と次男は画家になりましたが、みんな世間一般の常識や生活力に欠けている、一風変わった人たちでした。
 
 
たとえば、2回結婚し2回とも離縁された茉莉は、子供を産んでもほったらかしで遊びに行き、片付けができず家は常に汚部屋、小鳥をかわいがって飼ったたけれどエサはやらないという始末です。
 
 
晩年の茉莉は、ぼろアパートで一人暮らしをしていたのですが、詩人で友人の室生犀星が、見かねて掃除しに行ってあげたこともあるそうです。彼女はすごく個性的なBL小説のはしりのような作品も残しています。なかなかおもしろいです。
 
 
森鴎外はすごく賢い人だったのに、自分の死後の妻や子供たちがどうなるか予測できなかったのかと思うと不思議です。
 
 
【参考図書】薔薇くい姫/枯葉の寝床 (講談社文芸文庫) [ 森茉莉 ]

 
 

森鴎外の簡単な年表

 

 
1862年1月19日(0歳)
石見(いわみ)国(島根県津和野町)で誕生。
本名は森林太郎。
 
1872年(10歳)
家族とともに上京。
 
1874年(12歳)
東京医学校(東京大学医学部)予科に入学。
 
1881年(19歳)
大学卒業。
→12月陸軍軍医に。
 
1884年(22歳)
ドイツへ留学。
 
1888年(26歳)
帰国し陸軍軍医学舎教官に就任。
 
1890年(28歳)
「舞姫」発表。
 
1907年(45歳)
観潮楼歌会を創る。
陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任
 
1909年(47歳)
「ヰタ・セクスアリス」発表。
 
1911年(49歳)
「雁」発表。
 
1913年(51歳)
「阿部一族」発表。
 
1915年(53歳)
「山椒大夫」発表。
 
1916年(54歳)
「高瀬舟」発表。
 
1922年7月9日(60歳)
病没。

 
 

【関連記事】
 ↓




 

スポンサーリンク