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こんにちは。
 
 
今だにベストセラーの本「人間失格」の作者、太宰治をご紹介します。
 
 
数十年経っても色褪せない魅力があるということは、それだけ本人にも際立った個性があったからでしょう。
 
 
 
太宰治は、暗い作品だけでなく「走れメロス」や「女生徒」など明るく読みやすい作品もたくさん書いています。
 
 
本当の彼はどんな人だったのかひも解いていきましょう♪

 
 

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生い立ち

 

 
太宰治は、青森県の大地主の息子して生まれました。本名は津島修治といいます。父親は貴族院議員を勤め、長兄は後に青森県知事になりました。
 
 
彼は学生時代はとても優秀で、川龍之介や井伏鱒二などの活躍していた作家たちにあこがれ、高校生のころから文学作品を書き始めました。
 
 
でも、太宰が18歳のとき、いちばん尊敬していた文豪の芥川龍之介が自殺してしまったのです。この事件は太宰にとって衝撃的で、学校での勉強をやめて、政治活動に走ったりしました。
 
 
その後、フランス文学を学ぼうと思い、東大文学部に入学しました。
 
 
ところが、上京してから太宰の生活は荒れはじめます。10代後半から花柳界に出入りして、芸妓や女給など女性わいわい呑み騒ぐことが増えました。
 
 
オシャレで話し上手、気の利いた冗談もうまい太宰は、花街の女性たちに好かれすぐに人気者になりました。
 
 
遊び惚けていたため、大学の授業についていけなくなり、結局、退学になってしまいました。
 
 
21歳のとき、井伏鱒二に弟子入りしました。でも、そこで女性関係や借金でいろいろ問題を起こしています。
 
 
26歳のとき、急性盲腸炎から腹膜炎になり、麻薬鎮痛剤を使用して、それ以降、薬物中毒に悩まされるようになりました。彼は借金が多かったのですが、その多くは、薬代と豪遊費に消えてしまったのでした。

 
 

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太宰治の性格

 

 
太宰治の作品は、とても暗いものと明るく陽気なものに分かれます。
 
 
その作風はまさに彼本人の性格を表したもののようでした。
 
 
明るく陽気で道化のようなお調子者な部分と、暗い厭世的な部分の両方を合わせ持っていたのが彼の性格だと思います。
 
 
そして、感受性が強く繊細なところがありました。
 
 
何回も自殺未遂をおこして最終的には女性と心中して亡くなったという悲観的な人生論の持ち主ですが、その一方、宴会では常にみんなの中心にて華やかな人だったという複雑なところが、太宰の魅力なのでしょう。

 
 

太宰治の恋愛

 

 
太宰治は、かなりのイケメンで女性にもてました。シュッとした涼やかな細面で名家の出身、職業は小説家というモテ要素がそろっています。
 
 
身長も当時の男性平均より高く、175㎝ぐらいだったそうです。
 
 
そして、社交的で話し上手、酒席ではいつも話題の中心にいる華やかな人だったのです。
 
 
学生のファンや編集者などの自宅への訪問客があまりに多いので、仕事場を別に構えるほどの人気者だったそうですよ。
 
 
そういう明るい部分が、中期の作品「お伽草子」「女学生」などによく表れています。
 
 
でも、その反面、生活能力がなくてダメンズだったというギャップもあり、ある種の女性を惹きつける磁力のようなものを持っていたのです。
 
 
彼は人生で5回も自殺を試みそのうち3回は心中だったのですが、その最後の相手が、愛人の山崎富栄でした。
 
 
富栄とは行きつけの屋台で会い意気投合したのですけど、実はその数日後、妻の美智子との間に次女が生まれています。そしてなんと、その8か月後には、他の愛人の子供を認知しています。
 
 
「とんでもない男ー!」ってなりませんか?
女にだらしなさすぎです。
 
 
それでも、富栄は太宰の肺結核の看病をして、執筆活動を支え続けたそうです。
 
 
これだけ女性スキャンダルの多い人なのに、ずっと女性の影が消えないというのもさすがですね。かなり女性が放っておけない人だったと分かります。
 
 
付き合っていた女性たちも、どちらかというと美人さんばかりなのでもったいないですよ。

 
 

太宰治の作風


 
太宰治の作品は、今も多くの人々に愛読されています。読者に共感させる力の強い作家さんです。
 
 
私は作品によって作風や文章の雰囲気がころっと変わるところが、太宰作品の大きな魅力の1つだと思います。また、素朴で簡潔な文章なので、すっと入ってくる感じがして読みやすいです。
 
 
読者の主観が入ることで、いろいろな解釈ができる作風でもありますね。
 
 
例えば「人間失格」は人によって着眼点が違いますし、同じ人でも中学時代に初めて読んだときと30代で再読したときとでは、違う主題が見えてたりします。
 
 
「人間失格」しか読んでなくて、太宰は暗いから苦手という人は、「お伽草子」など中期の明るい作品を、是非読んてもらいたいと思います。また、違う太宰治に気づくと思いますよ。
 
 
また、彼は暗いテーマの作品だけでなく「女学生」「お伽草子」「走れメロス」など、まったく作風の違う明るい作品も残しています。
 
 
どちらかというと太宰の個性は、こちらの作品に近いのではないかなとも思えます。そして、こういう明るい作品も、高水準な文章力で書いているところがさすがなのです。かなりの技巧派ですよ。
 
 
太宰治は、2度目の心中未遂の後、石原美智子と結婚して一時的に立ち直りました。このときに一旦立ち直れたことで、これらの明るい代表作を生み出せたのです。

 
 

太宰治の代表作

 

 
「人間失格」
「恥の多い生涯を送ってきました。」
 
【関連記事】⇒★「人間失格」を簡単にご紹介♪
 
「走れメロス」
【冒頭】メロスは激怒した。
 
【関連記事】⇒★「走れメロス」を簡単にご紹介♪
 
「お伽草子」
【冒頭】「あ、鳴つた。」と言つて、父はペンを置いて立ち上る。
 
【関連記事】⇒★「お伽草子」を簡単にご紹介♪
 
「女生徒」
【冒頭】あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。
 
【関連記事】⇒★「女生徒」を簡単にご紹介♪
 
「斜陽」
【冒頭】朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ。」とかすかな叫び声をお挙げになった。
 
【関連記事】⇒★「斜陽」を簡単にご紹介♪

 
 

太宰治の作品年表

 

 
●1909年6月19日
青森県の大地主の息子として生まれる。
父親は貴族院議員を務めた地方の名士。
本名は「津島修治」。
 
●1925年(16歳)
初めての作品「最後の太閤」を、生徒会誌で発表。
このころから芥川龍之介に傾倒し、芥川作品を読みまくる。
芥川先生が好きすぎて、ノートの余白に何度も「芥川龍之介」と書きつめた。( ̄▽ ̄)
 
●1927年(18歳)
旧弘前高等学校に入学。
芥川龍之介が自殺。大きなショックを受ける。
 
●1929年(20歳)
共産主義に目覚め、左翼活動を始める。
期末試験前夜に自殺未遂。
 
●1930年(21歳)
東京帝国大学文学部仏文科に入学。
(当時の仏文科は、ほぼ無試験)
尊敬していた井伏鱒二に弟子入りするが、私生活は荒れ放題。
カフェの女給と心中未遂し、女性のみ死亡。
 
●1935年(26歳)
大学を退学になり、新聞社への就職も失敗。
鎌倉山中で首吊り自殺未遂。
芥川賞に応募した作品が評価されるが「次席」となり賞を逃す。
 
●1936年(27歳)
これまでの作品を集めた処女創作集「晩年」を刊行。
パビナール中毒で入院。
内縁の妻・小山初代と心中未遂、その後、離別。
 
●1939年(30歳)転機‼
石原美智子と結婚し、精神的に立ち直る。
「富嶽百景」「女生徒」「皮膚と心」を発表。
 
●1940年(31歳)
「走れメロス」を発表
 
●1943年(34歳)
「富嶽百景」「右大臣実朝」を発表。
太平洋戦争が始まっているが、病気がちだったので戦争には行かず。
(1941年:真珠湾攻撃➾1945年:戦争終結)
 
●1944年(35歳)
「佳日」「津軽」など明るく透明感のある作品を発表。
 
●1947年(38歳)
「展望」「ヴィヨンの妻」「斜陽」を発表。
「ヴィヨンの妻」は無頼派の評価が定まった作品。
「斜陽」は没落貴族の物語で「斜陽族」という流行語を生んだ。
 
●1948年(39歳)
病んでいた肺結核が悪化。精神面もボロボロ。
「人間失格」「グッドバイ」(未完の遺作)を発表。
「人間失格」は、戦後600百万部以上の大ベストセラーに‼
6月13日玉川上水で愛人の山崎富栄とともに心中し死亡。
 
遺体は1週間後、19日の太宰治の誕生日に引き上げられた。
2人の遺体は、しっかりと細ひもで結ばれていた。
墓は、本人の希望通り、三鷹・禅林寺の森鴎外の墓の向いに建てられた。
 
毎年、命日にここで太宰を偲ぶ「桜桃忌」が行われる。

 
 

おわりに


 
地方のお金持ちの家に生まれ、人気者で女性にモテモテで才能にも恵まれていたのに、破滅的な死を選んだ太宰治。
 
 
年表を追うと、ドラマティックな人生だなーと思えますね。
 
 
こんなダメ男なのに、「なぜ心中してくれる女性が3人もいたのか!」この点がすごく気になります。
 
 
それだけとんでもない魅力の持ち主だったからなのか、それとも自殺願望のある女性を嗅ぎ分ける嗅覚でも持っていたのか、いろいろ考えてしまいます。
 
 
でも、もしも一緒に死んでもいいとまで思える人に出会ったら、幸せなのかもしれませんね。

 
 

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