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こんにちは。
 
平安時代の夜は、今よりずっとずっと闇に包まれた世界でした。
 
 
そんな夜空に輝く月の光は、人々のいろいろな想いをかきたてたでしょう。
 
 
今回は、「月」を詠んだ和歌をご紹介します。
 
 
百人一首の中に含まれる月の和歌は「12首」ありますよ。

 
 

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「百人一首」の月の和歌

 

 
百人一首の中には、美しい月や夜の寂しさを詠んだ月などいろいろな「月」が登場します。
 
 
「夜半の月」「有明の月」という言葉も美しいですね。
 
 
「有明の月」というのは夜明けごろに見える白い月のことです。見える方角や月の形状は、特に関係ありません。
 
 
30番は「有明」だけで「月」という言葉が入っていませんが、月を表しているものとして挙げています。

 
 

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(1)「月」を詠んだ百人一首の和歌

 
 

1.天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも

 
 
阿倍仲麻呂(7番)
 
(訳)大空をはるかに仰ぎ見ると月が出ている。あれは、かつて(故郷の)春日の三笠の山に出ていたのと同じ月なんだなあ。
 
 
阿倍仲麻呂は19歳で遣唐使として唐に渡り、そこで驚くべき秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝に気に入られました。
 
渡唐後30年ほど経ったときに帰国を許されましたが、舟が難破してなんと阿南(ベトナム)に漂着してしまいます。そこから再び唐に戻れましたが、日本に帰ることはついに叶いませんでした。
 
唐の友人に王維、李白(どちらも漢詩の大家)がいます。

 
   

2.月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど

    
 
 
大江千里(23番)
 
(訳)月を見上げるといろいろな思いがあふれて悲しくなるよ。私一人のための秋ではないというのにね。
 
 
是貞親王(宇多天皇の兄)の歌合によばれたときに詠んだ歌です。
 
 
白居易の「燕子桜(えんしろう)」という漢文の詩をふまえた、いわゆる「本歌取り」の歌です。
 
 
自分が感じる秋の物悲しさを、白居易の切ない詩と見事に融合させていますね。

 
 

3.夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ

     
 
 
清原深養父(36番)
 
(訳)夏の夜はまだ夜が始まったばかりだと思っているうちに明るくなってきてしまった。今頃どの雲を宿にして眠っているのだろう、あの美しいお月様は。
 
 
これは、夏の夜の歌です。
 
 
「秋の夜長」に対する「夏の短夜」を誇張的に表現していますね。「月が雲にお宿をとった」と「擬人法」を用いています。
 
 
清原深養父は清少納言(62番)の曾祖父です。「古今和歌集」「後選和歌集」に多くの歌が選ばれていますよ。
 
 
官位は従五位下(あまり高くない)ですが、宮中儀式に使う織物や絵画、金銀細工、宝石、屏風、漆器などを管理する仕事をしていました。また、琴の名手としても知られていました。

 

 

4.めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな

 
 
紫式部(57番)
 
(訳)やっと会えたと思ったのに、あなたなのかわからないうちにいなくなってしまった。出たと思ったらすぐに雲に隠れた月のようだわ。
 
 
紫式部は、藤原北家屈指の学者で詩人でもあった藤原為時の娘です。藤原宣孝と結婚し、大弐三位(58番)を産みました。
 
 
夫の死後、一条天皇の中宮・彰子に仕え、『源氏物語』を執筆しました。
 
 
ほんのわずかな再会を嘆く気持ちを、「夜半の月」に重ね合わせる発想が美しいですね。
 
 

5.やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな

 
 
 
赤染衛門(59番)
 
(訳)あなたがいらっしゃらないとわかっていたら、ためらわず寝てしまったというのに。お待ちしているうちに夜も更けて、西の空へと月が傾いてゆくのを見てしまいましたわ。
 
 
赤染衛門は、この時期の代表的女流歌人の1人です。藤原道長の妻・倫子に仕えた後、中宮・彰子に仕えました。
 
 
この歌は、妹の代筆といわれます。
 
 
平安時代は、文(ラブレター)の代筆を、歌の上手な身内に頼むことが多々ありました。赤染衛門の妹は、このとき藤原道隆の恋人でした。藤原道隆は儀同三司母(54番)の夫です。

 
 

6.心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな

     
 
 
三条院(68番)
 
(訳)思いがけず、このつらく悲しい世を長く生きてしまったとしたら、いつか恋しく思うのだろうなあ。お前と見上げた今夜のこの美しい月を。
 
 
生きることのつらさを詠んだ歌です。本心では早くこの世を去りたいと思っているのに、まだ生きながらえているという権力争いに負けた脱力感がにじみ出ています。
 
 
三条院は冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子です。
 
 
皇太子となってから25年も天皇の位を待ってようやく即位できましたが、眼病を患い6年後に後一条天皇に位を譲りました。
 
 
在位中に二度も御所の火災に遭い、藤原道長が前の天皇の一条院と娘・彰子との間の皇子を即位させようとして、退位をせまったため、苦難の連続でした。
 
 
この歌は、目を患ったことを理由に藤原道長に退位を迫られた三条天皇が、退位を決心したときに詠んだ一首です。
その思いをくみ取って読むと、いっそう切なさが感じられます。

 

 

7.秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ

     
 
 
左京大夫顕輔(79番)
 
(訳)秋風に吹かれてたなびいてゆく雲の切れ目から、もれ出てくる月のひかりがきらきらと明るく澄みきっている!
 
 
左京大夫顕輔=藤原顕輔です。父は六条藤原家を作った藤原顕季です。和歌の師は、父の友人の源俊頼(74番)です。息子は、藤原清輔(84番)です。
 
 
『詞花和歌集』の選者として知られます。

 
 

8.なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな

       
 
 
西行法師(86番)
 
(訳)嘆きなさいと、月が俺に物思いをさせるのだろうか。いや、そんなことはない。それなのに、すべて月のせいだといわんばかりに、こぼれ落ちてゆく涙だよ。
 
 
西行法師、俗名は佐藤義清といいました。藤原俊成(83番)の友人です。
 
 
西行法師は、鎌倉武士です。「北面の武士」として鳥羽院に仕えていましたが、23歳で出家しました。
 
 
出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠みます。陸奥へ行ったのは、藤原実方(51番)を尊敬していたからとも言われますよ。
 
 
陸奥は「歌枕」として有名な地でもあります。放浪の旅に出て『山家集』などを執筆しました。

 
 
この歌は「月前の恋」というお題を与えられた題詠です。
 
 

(2)「有明の月」を詠んだ和歌

 

 

9.いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな

    
 
 
素性法師(21番)
 
(訳)「今行くよ」と言ったあなたを起きてずっと待っていたら、現れたのはあなたではなくて9月の有明の月だった。
まるでその月を待つために起きていたみたいだわ。
 
 
素性法師は僧正遍照(12番)の息子です。
 
 
僧の子は僧になるべしという父の命令(←かなり横暴)により出家し、雨林院(うりんいん)別当に任ぜられます。三十六歌仙の一人です。清和天皇・宇多天皇・醍醐天皇に仕えました。
 
 
「長月」は陰暦の9月、日が落ちるのが早くなる晩秋です。
 
 
「有明の月」は、15夜(満月)を過ぎた16夜以降の月のことです。夜更けに上り始め、夜明けまで空にうっすら残る美しい月です。
 
 
秋の夜長に愛しい人を待っていた女性の心情を(想像して)詠んだ歌なのでした。

 
 

10.有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし

       
 
 
壬生忠岑(30番)
 
(訳)夜明けの空に残る月が冷たく浮かんでいたあの日のあなたとの別れから、ぼくにとって夜明けほどつらいものはないんだよ。
 
 
壬生忠岑は「古今和歌集」の選者の1人で三十六歌仙に数えられています。
 
 
この人は、機転の利かせた歌を詠むのが得意です。気の利いた言い回をして上司を助けたり、醍醐天皇に感心されてご褒美に絹をもらったりしたこともあります。
 
 
「有明の月」=「十六夜以降の夜更けにでて明け方近くまで白く光る月」は、寂しい心情を表すのに度々登場します。

 
 
そっけない月と同じように、終わってしまった恋人との別れを惜しむ歌です。寂しさを「有明の月」が物語っています。
 

 

11.朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪

        
 
 
坂上是則(31番)
 
(訳)夜が白み始めたころ、有明の月の明かりでこんなに明るいのかと見違えてしまったけれど、この明るさは、吉野の里に降った真っ白な雪だったのだ!
 
 
坂上是則は征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫で、坂上好蔭(よしかげ)の子ともいわれます。三十六歌仙の1人です。
 
 
この歌は、大和国(やまとのくに、今の奈良県)で勤務することになった是則が、吉野へ出張し宿に泊まった朝に詠んだ歌です。
 
 
「月の白い光」を「白い雪」に見立てるのは、中国の漢詩でよく用いられていた技法(比喩)です。平安時代前期の人は、漢詩がブームだったので、よく引用されていますよ。
 
 
冬の歌は物悲しい心情と掛けたものが多い中、この歌は景観の美しさに感動している気持ちを、素直に表現していて素敵ですね。

 
 

12.ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる

      
 
 
後徳大寺左大臣(81番)
 
(訳)ホトトギスが鳴いたと思ってそちらを眺めてみると、鳥の姿はなく、ただ有明の月が残っているだけでしたよ。
 
 
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)=藤原実定(さねただ)です。藤原俊成(83番)は叔父、藤原定家(97番)は従兄弟にあたります。
 
 
「平治の乱」で勝利した平清盛が権勢を振るった時代に左大臣を務めました。祖父の実能が「徳大寺左大臣」だったので、「後」をつけて区別しました。詩歌のほか、今様・神楽・管絃の名手であり、蔵書家としても知られます。
 
 
この歌は、ホトトギスの最初の声を聴くために、何人かで夜通し待った会で詠んだ歌です。平安時代、貴族の間では、ホトトギスの最初の鳴き声、つまり「初音」を聴くのが、非常に風流なこととされていました。
 
「春」はウグイス、「夏」はホトトギスが季節の代表の鳥とされました。
 
 
ホトトギスは「夏」の始まりを告げる鳥で、山鳥の中で、朝一番早く鳴くといわれますよ。

 
 
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