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こんにちは。
百人一首は、100首のうち恋の歌がなんと43もあります。
平安初期以降、和歌の担い手は上流貴族になっていったため、おのずと視野が狭くなり公家の恋愛ものが多くなってしまったとも考えられますね。
でも、恋をしているときの気持ちは1000年前も今も変わりません。だから、現代の私たちもじゅうぶん共感できるのです。
今回は、その43首の中で特に有名なもの、授業で取り上げられるもの、素晴らしいと思うものを詳しくご紹介します。
【恋の歌43首一覧】は、この記事の最後にありますよ。
切ない恋の和歌「百人一首」より厳選の10首
【作者】柿本人麻呂・万葉集
【意味】山鳥の垂れ下がった尾のように長い長いこの夜を、僕はひとりで淋しく寝ることになるのだろうか。
まず、始めは万葉集から。。。
愛しい人を想いながら一人寝る秋の夜長を歌っていますね。恋の切なさが伝わります。
山鳥という「自然の生き物」を題材にしているところが万葉らしくて素敵です。「あしびきの」は山鳥にかかる枕詞、「ながながし」は「長い山鳥の尾」と「長い秋の夜」にかけています。
柿本人麻呂は、持統・文武天皇に仕えた宮廷歌人で下級官吏でした。生没年は不詳ですが、石見の国(島根県)に国司として赴任し、その地で没したといわれます。
【作者】陽成院
【意味】古代から恋の聖地「筑波山」の峰から流れ落ちる男女川。そんな風に私のお前への恋心も、水がつもって川になりやがて淵になるように、だんだん深くなっていったんだ。
この歌は貞昭親王(後の陽成院)が妻となる光孝天皇の娘・綏子内親王(すいしないしんのう)にあてた恋文です。
もともと政略結婚の相手に送った歌なのですが、やさしさが伝わりますね。だんだん恋心が増していく心の動きが素直に届いて素敵です。
貞昭は気性が荒く乱暴者だったとされていますが、この歌からは素朴で穏やかな心情が感じられます。
彼は9歳で陽成天皇となり17歳で退位して陽成院となったため、隠居生活がものすごく長い人です。母は藤原高子で在原業平の恋人でした。
【作者】源融(みなもとのとおる)(河原左大臣)
【意味】陸奥の名産品である「しのぶもぢずり」。この乱れ模様のようにぼくの心が乱れているのは自分のせいじゃない。もちろん君のせいさ。
源融は都人(みやこびと)で東北地方には行ったことがありません。なのになぜか「お題」は東北土産の「しのぶもぢずり」なのです。
実は、当時の東北地方は西国から見るとまだまだ未知の国でした。彼は陸奥から京へ帰ってきた陸奥守(地方公務員)から珍しい土産話を聞くうち、強い憧れを抱いたそうですよ。
ちなみに「しのぶもぢずり」とは福島県信夫地方で作られていた名産品で、乱れ模様のあるすり衣のことです。乱れ模様は、忍草(しのぶぐさ)の汁を使って作るのだとか。
その「乱れ模様」と「心の乱れ」を掛けているのでした。おしゃれ心の利いた恋歌です。
【作者】元吉親王
【意味】こうなったらもう、何をしても同じこと。難波にある「澪標(みおつくし)」のように、「身を尽くして」でもあなたにお会いしたいと思っています。
この歌は、宇多天皇の愛妃・京極御息所に宛てた横恋慕の和歌です。京極御息所は、当代きっての美女といわれる女性でした。
すごいストレートな歌ですね。激情型の人だとわかります。恋の行く末も、この歌のように狙いを定めたらガンガン攻めるタイプだったのでしょう。
この京極御息所との恋はその後、宇多天皇にもバレてしてしまい、叱られて謹慎させられました。でも、多分こりなかったでしょう。
元吉親王は、上で紹介した陽成院(13番)の第一皇子です。陽成天皇が院になった後で生まれたため、臣下に下りました。とっても好色で風流な遊び人として知られ「ひとよめぐりの君」などと呼ばれていたそうです。
「大和物語」にも登場しますよ。
【作者】平兼盛
【意味】そっと忍んで胸に隠してきたけれど、顔に出てしまったよ。「物思いしているのでしょう。恋でもしているのですか?」と人に聞かれてしまうほどにね。
「忍ぶ恋」の歌です。「色」とはここでは顔の表情を指します。恋心を素直に表しつつ会話文を入れて最後に「倒置法」を使うという斬新な技術を用いています。倒置法は、当時最新の技巧でした。
平兼盛は光孝天皇の子孫で、和歌だけでなく漢詩も堪能でした。三十六歌仙の一人です。
平兼盛(40番)と壬生の忠見(41番)の歌は、同じ歌合の席で詠んだ歌です。
「拾遺集」の詞書(ことばがき)によると、この歌は村上天皇主催の「天徳内裏歌合せ」に「恋」のお題で歌を出すように命じられたときの対戦の歌です。
歌合せは左右のチームに分かれて、どちらの歌がよかったか判定されるというものです。他にも「霞」「柳」「桜」などお題が決められていて、最後が「恋」の歌の対戦でした。
この歌対決の軍配は、平兼盛に上がりました。
でも、この2首はどちらも甲乙つけがたく、判定の左大臣・藤原実頼が村上天皇におうかがいをたて、天皇がこちらの歌を口ずさんだから決まったといわれています。
【作者】壬生忠見
【意味】あいつは恋をしている、といううわさがもう早くも立ってしまった。誰にも知られずにあなたのことをそっと思い始めたばかりだというのに
壬生忠見は壬生忠岑(30番)の息子で身分の低い役人でしたが、歌の才があり多くの歌合せに出席しています。三十六歌仙の一人です。
この歌と40番の歌は、歌合せの対決で甲乙つけがたく、わずかな差で壬生忠見が判定負けしてしまいました。彼はその後、失望のあまり拒食症になって亡くなってしまったと噂されるほどでした。それほどの「名歌」対決だったということです。
「恋すてふ」は「恋している」という意味、「わが名はまだき」の「名」は世間の噂や評判のことです。「思ひそめ」は、「恋はまだはじまったばかり」という意味です。倒置法を用いています。
当時は、人に知られてしまった恋は成就しないという迷信があったんですよ。ですから「うわさになった」いうところから、悲恋の予感も含むという繊細な恋心を秘めた歌なのです。
【作者】藤原義孝
【意味】あなたのためなら、いままで惜しくないと思ってきた僕の命だけれど、思いが通じた今、あなたといつまでも長く一緒にいたいと思うようになったんだ。
恋の激情を表している割には、なんともはかなげな雰囲気が漂います。恋が叶い、生きることに執着を感じたというところが、熱心な仏教徒だった義孝らしいです。
この歌は、「後朝(きぬぎぬ)の歌」です。平安時代の結婚は「通い婚」でした。一般的には、男性が女性のところへ三日続けて通えば、めでたく結婚成立とされました。
男性は、まだ夜が明けぬうちに帰るのが恋人との逢瀬の(始めの頃の)マナーです。女性はまだ眠っていますので、逢瀬の後、次の朝に一首歌を贈る習わしがありました。
ここで気の利いた歌(ラブレター)を詠めるかどうかが、腕の見せ所ですね。そのときに詠む歌を「後朝(きぬぎぬ)の歌」といいます。
藤原義孝は、一条天皇の摂政謙徳公・藤原伊尹(これただ)(45番)を父に持ち、顔◎頭◎芸術の才も◎、おまけに信心深いという超一流貴公子でした。
でも、美人薄命、21歳で病死してしまいます。当時は、天然痘などの伝染病が一旦流行すると、バタバタと人が亡くなりました。義孝は兄の拳賢と同じ日の朝、同じ天然痘で亡くなったのです。
【作者】藤原実方
【意味】こんな風に君に恋をしているなんて言うことなんてとてもできない。だから伊吹山に生える「さしも草」のお灸のように、僕の心で静かにくすぶり燃えている思いを、君は知らないだろうね。
「さしも草」はお灸に使われたものです。ですから、この恋の燃え方は、ずっとく小さくすぶり続けているという感じですね。
宮廷一の色男にこんな歌を詠ませたのは、いったい誰でしょう。
恋人がたくさんいたから、そんなにすごいことでもないのかもしれませんが・・・。
藤原実方は、「在原業平以来の色男」とよばれる人物です。和歌の才があり、宮廷でも女性に非常に人気がありました。
御所の清涼殿で「書道三蹟」の1人藤原行成といさかいを起こしたことが「十訓抄」に書かれています。(ちなみに、藤原行成は上の50番の藤原義孝の息子です)
それが原因かはわからないのですが、実方はその後陸奥守(むつのもり)として陸奥(東北地方)に赴任し、不慮の事故で都に戻ることなく亡くなりました。
【作者】和泉式部
【意味】私はこの世からいなくなります。だからこの世の思い出として、もう一度あなたに会いたいのよ。
この歌は病気で死の床に就いているときに、愛しい男性に送った歌といわれています。その後で、回復しているんですけどね。さすがに「恋多き歌人」です。
和泉式部は平安中期の代表的歌人で和歌の才に恵まれていました。でも、この歌は枕詞や掛詞などの技巧を一切使わず、ストレートに心情を表現していますね。言葉のリズムがとても美しいです。
彼女は藤原道長の娘・一条天皇の中宮・彰子に仕える女房でした。同僚に紫式部(57番)赤染衛門(59番)などがいますよ。
和泉式部が恋多き女性と呼ばれるのは、藤原道貞と結婚しながら(その後に離婚)冷泉天皇の皇子・為尊親王と恋仲になり、為尊親王が1年余りで亡くなったらその弟の敦道親王の妻になるという、身近な人と短期間で恋仲になりまくるからです。
その後、中宮・彰子に仕えると、すぐに藤原保昌という人と結婚しました。
藤原道長には「浮かれ女」とあきれられたそうですが、それでも彼女の才能は認めていたようですよ。恋愛遍歴も、和歌の才能の肥やしになっていたのでしょう。
【作者】式子内親王
【意味】命と体をつなぐ紐よ。絶えるならいっそ絶えてしまって。もしこのまま生きていたら、隠しておく力が弱まって、この思いを打ち明けてしまいそうになるから。
人気のテーマ「忍ぶ恋」で詠んだ歌です。忍んでいる(隠している)恋なのに、激情がほとばしる非常に情熱的な歌です。
「玉の緒」とは、もとは首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(ひも)のことです。「玉」は「魂」とつながり、魂を体につなぐ緒ということで、命の意味になります。「絶えなば絶えね」は、「もし絶えてしまうのならば、絶えてしまえ!」という意味になります。
「よわりもぞする」は、係助詞「も」と「ぞ」が重なって「~すると困る」という意味になります。「ぞ」と「する」で係り結びになります。
彼女は藤原俊成とその息子の定家から和歌を学んでいて、藤原定家と恋仲だったのではないかといわれます。この歌も定家への想いを詠んだものだったら素敵だーなと思いますが、真偽は不明なのでした。
彼女は後白河院の第三皇女で、6歳から16歳まで賀茂斉宮を務めました。その後、病弱で出家し独身のまま若くして亡くなったそうです。
【参考】「百人一首「の恋の和歌全43首一覧
最後に、「百人一首」の恋の歌43首の一覧をのせておきますね。
こうしてみると、やはり平安中期40~60番ぐらいに恋の歌が多いとわかります。参考にどうぞ♪
3番:あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む(柿本人麻呂)
13番:つくばねの 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる(陽成院)
14番:みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに(河原左大臣)
18番 住の江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ(藤原敏行朝臣)
19番:難波潟 みじかき蘆の ふしのまも あはでこの世を すぐしてよとや(伊勢)
20番:わびぬれば いまはたおなじ 難波なる 身をつくしても あはむとぞ思ふ(元良親王)
21番:今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を まちいでつるかな(素性法師)
25番:名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人にしられで 来るよしもがな(三条右大臣)
27番:みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ(中納言兼輔)
30番:有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし(壬生忠岑)
38番:忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の 惜しくもあるか(右近)
39番:浅井茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき(参議等)
40番:しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで(平兼盛)
41番:恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか(壬生忠見)
42番:ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは(清原元輔)
43番:あひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり(権中納言敦忠)
44番:あふことの たえてしなくば なかなかに人をも身をも 恨みざらまし(中納言朝忠)
45番:あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな(謙徳公)
46番:由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな(曽禰好忠)
48番:風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな(源重之)
49番:みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ(大中臣能宣朝臣)
50番:君がため 惜しからざりし いのちさへ 長くもがなと 思ひけるかな(藤原義孝)
51番:かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな もゆる思ひを(藤原実方朝臣)
52番:あけぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな(藤原道信朝臣)
53番:なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる(右大将道綱母)
54番:忘れじの ゆく末までは かたければ 今日をかぎりの いのちともがな(儀同三司母)
56番:あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな(和泉式部)
58番:ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする(大弐三位)
59番:やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな(赤染衛門)
63番:いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな(左京大夫道)
65番:うらみわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそをしけれ(相模)
72番:音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ(祐子内親王家紀伊)
74番:憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを(源俊頼朝臣)
77番:瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ(崇徳院)
80番:長からむ 心もしらず 黒髪の みだれてけさは 物をこそ思へ(待賢門院堀河)
82番:思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり(道因法師)
85番:夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり(俊恵法師)
86番:なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな(西行法師)
88番:難波江の 蘆のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき(皇嘉門院別当)
89番:玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする(式子内親王)
90番:見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず(殷富門院大輔)
92番:わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし(二条院讃岐)
97番:こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ(権中納言定家)
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