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「花見」「雪見」そして「月見」・・・
 
 
日本人は平安時代より貴族の風流な遊びとしてその季節の自然の美を愛でる風習がありました。
 
 
時代が下ってそれが庶民にも伝わり今にいたります。
 
 
私は食い気がまさっているので、月見といえば「月見団子」なのですが、秋の月は不思議と光が強いような不思議な感じがします。
 
 
そして、十五夜には月うさぎを探してみたりして・・・
 
 
楽しみ方は人それぞれですね。大勢でお酒を交わしながらにぎやかに、静かに美酒とともに名月を楽しむなどなど。
 
 
空気の澄んだ秋の夜空の美しさは、明るく照らす「月」をいっそう引き立てます。
 
 
今回はそんな「月」を題材にした俳句をご紹介します。

 
 

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「月見」の俳句

 

 
「月見」を中心に「秋の月」に関する俳句を集めました。
 
 
「月見」は江戸時代にもあったので、三代俳諧師もたくさん月の俳句を作りました。特に、旅に生きた芭蕉は、素晴らしい月の名句を残していますよ。
 
 
「更科日記(さらしなにっき)」の旅などは「名月」を愛でるための旅でしたから。

 
 

(1)松尾芭蕉の「月見」の俳句

 

 
 
松尾芭蕉といえば、俳句界の超ビッグネームですね。
 
 
彼は多くの旅に出て、その紀行文残しています。
芭蕉については⇒★こちらを♪
 
 
名月や 池をめぐりて夜もすがら
     ↑
芭蕉の月の俳句と言えばコレです!
 
 
数々の名句を残した芭蕉ですが、その代表作の1つとして挙げられます。
 
 
この俳句は、こちらの記事で少ししっかり掘り下げていますのでご一緒にどうぞ⇒★芭蕉の名月といえばこの名句!
 
 
あさむつや 月見の旅の 明け離れ
 
けふの今宵 寝る時もなき 月見哉
 
寺に寝て まこと顔なる 月見哉
 
月見する 座に美しき 顔もなし
 
雲をりをり 人を休むる 月見哉

 
 

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(2)与謝蕪村の「月見」の俳句

 

 
与謝蕪村(よさぶそん)は俳諧師だっただけでなく「俳画」の創始者で、画家としても活動していました。そのせいか、写実的で絵画的な発句を得意としたのです。
 
 
蕪村の俳句は、情景が目に浮かぶような感じがします。
 
 
月の宴 秋津が聲の 高きかな
 
身の闇の 頭巾も通る 月見かな
 
五六升 芋煮る坊の 月見かな

 
 

(3)小林一茶の「月見」の俳句

 

 
小林一茶(こばやしいっさ)は、江戸時代後期に、長野県の農家の長男として生まれました。継母や異母弟と折り合いが悪く、15歳で江戸へ奉公に出ています。
 
 
25歳のころから俳諧を学び、39歳のとき、病に倒れた父の看病で一度信濃に戻りました。
 
 
50を過ぎてから数回結婚したのですが、子供のほとんどは病気などで亡くなっています。 江戸での暮らしも、相当貧しかったようですね。
 
 
「おらが春」、「一茶発句集」という俳句文集が有名です。一茶の作品は小さなものに対する優しさがにじみ出る、情のあるものが多いです。
 
 
ぬつぽりと 月見顔なる かかし哉
 
古郷に 似たる山をかぞへて 月見哉
 
年よりや 月を見るにも ナムアミダ
 
人並に 畳の上の 月み哉
 
大雨や 月見の舟も 見えて降る

 
 

(4)正岡子規の「月見」の俳句

 

 
近現代俳句の祖・正岡子規は生涯にたくさん俳句や短歌を残しています。
 
子規についてはこちらを⇒正岡子規の残した有名俳句
 
月の俳句もたくさんたくさん作っているので、そのごく一部をご紹介します。
 
 
名月は どこでながめん 草枕
 
いろいろに 坐り直す舟の 月見哉
 
大名の ひとり月見る 夜中哉
 
名月や われは根岸の 四畳半
 
月見るや 上野は江戸の 比叡山
 
網引の 網引きながら 月見哉
 
あの枝を この木をきれと 月見哉
 
素麺の 滝に李白の 月見せよ

  ↑
素麺を滝になぞらえて水面の月を愛でる李白(りはく)の姿を想像して詠んだ句です。
 
 
李白が登場したのがなんともおもしろい・・・
 
 
李白は中国(唐)の詩人で、同じ時代の杜甫(とほ)とともに中国の詩人として最高の誉れ高い存在です。
 
 
酒飲みで有名で「お酒に酔って水面に映る月をつかまえようとし舟から落ちて溺死した」という逸話の持ち主です。
 
 
「李白と月」といえばこの話が思い浮かぶので、おそらく子規もそうだったのではないかと思います。

 
 

(5)高浜虚子の「月見」の俳句

 

 
高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。
 
 
柳原極堂が創刊した俳誌「ホトトギス」を引き継いで、俳句だけでなく和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として発展させました。夏目漱石など小説家からも寄稿をうけています。
 
 
月を待つ 人皆ゆるく 歩きけり
 
雨に漕ぐ 月見舟あり ただ下る
 
月を待つ立待月といふ名あり
 
月の友 三人を追ふ 一人かな

 
 

(6)水原秋櫻子の「月見」の俳句

 

 
水原秋櫻子(しゅうおうし)、名前に「秋桜(コスモス)」が入って美しいですが、本名は水原豊という男性の俳人です。
 
 
高浜虚子に俳句を学んでいましたが、後に離反しました。
 
 
ホトトギス派の代表といわれた「ホトトギス四S(シイエス)」の1人です。「ホトトギス四S」は、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十の4人ですよ。
 
 
井戸茶碗 めでつつ居るも 月の友
 
多摩の野は 栗の幸あり 月祭る
 
とどきたる 山家手打の 月見蕎麦

 
 

(7)山口青邨の「月見」の俳句

 

 
山口青邨(やまぐちせいそん)は岩手県出身の俳人で、本名を吉朗といいます。
 
本職は鉱山博士でした。俳句の師匠は高浜虚子です。
 
 
月を待つ 情は人を 待つ情
 
硝子戸に うつる月見の 団子かな
 
月を待つ この浦わたる 鴉あり
 
縁側の 一番端の 月見かな
 
舟べりに 頬杖ついて 月見かな
 
月の友 みせばやの花 吊る軒に
 
このごろや 月見ることも ひとりにて
 
入間野の 芒なりとぞ 月祀る
 
月の座に 長火鉢あり 座る人
 
 
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