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撫子(なでしこ)は、平安時代から可憐な女性や子供をたとえるのに用いられてきた花です。
 
 
奥ゆかしく慎み深い日本女性を表す「大和撫子(やまとなでしこ)」という言葉は、多くの方がご存知ですね。
 
 
かわいらしい花びらを持つ花なので、浴衣の柄にもよく使われます。
 
 
今回は、そんな撫子を詠んだ俳句をご紹介します。

 
 

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撫子は「秋の七草」の一つ

 

 
「春の七草」といえば「七草がゆ」。1月7日に胃を休め無病息災などを祈って食べる風趣があるので、多くの人が知っています。
 
 
でも、「秋の七草」はあまり知られていませんね。その存在は知っていても、名前を全部言える人は少ないと思います。
 
 
「秋の七草」は食べるものではなく、見て楽しむものだから仕方ありません。
 
 
元は「万葉集」にある山上憶良の2首の歌が始まりといわれますよ。
   ⇓ ⇓ ⇓
「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」
 
「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」

 
 
萩(はぎ)
尾花(おばな)
葛(くず)
撫子(なでしこ)
女郎花(おみなえし)
藤袴(ふじばかま)
朝貌(あさがお)

 
※「尾花」は「すすき」の別名。
 「朝貌」は今では桔梗(ききょう)とするのが定説です。
 
 

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(1)松尾芭蕉の撫子の俳句

 

 
松尾芭蕉といえば、俳句界の超ビッグネーム、江戸三大俳諧師の1人です。
 
彼は多くの旅に出て、その紀行文を残しています。
 
芭蕉については⇒★こちらを♪
 
撫子に かかる涙や 楠の露
 
撫子の 暑さ忘るる 野菊かな
 
霜の後 撫子咲ける 火桶哉
 
酔うて寝ぬ 撫子咲ける 石の上

 
 

(2)服部蘭雪の撫子の俳句

 
 
服部嵐雪(はっとりらんせつ)は芭蕉の弟子で、芭蕉の弟子の中でも特に優れた10人「蕉門十哲」の1人に数えられる俳諧師です。
 
 
なでしこよ 紅粉おしろいも 散らしすて
 
一筆画 鷺なでしこの なびきかな

 
 
 

(3)小林一茶の撫子の俳句

 

 
小林一茶(こばやしいっさ)は、江戸時代後期に、長野県の農家の長男として生まれました。継母や異母弟と折り合いが悪く、15歳で江戸へ奉公に出ています。
 
25歳のころから俳諧を学び、39歳のとき、病に倒れた父の看病で一度信濃に戻りました。
 
50を過ぎてから数回結婚したのですが、子供のほとんどは病気などで亡くなっています。 江戸での暮らしも、相当貧しかったようですね。
 
「おらが春」、「一茶発句集」という俳句文集が有名です。一茶の作品は小さなものに対する優しさがにじみ出る、情のあるものが多いです。
 
 
なでしこや 片陰できし 夕薬師
 
秋霧や 河原なでしこ りんとして
 
露の世や 露のなでしこ 小なでしこ

 
 

(4)正岡子規の撫子の俳句

 

 
近現代俳句の祖・正岡子規は生涯にたくさん俳句や短歌を残しています。
 
 
子規についてはこちらをどうぞ。→⇒正岡子規はこんな人♪
 
 
月の俳句もたくさんたくさん作っているので、そのごく一部をご紹介します。
 
 
蝶一つ 撫子の花を 去り得ざる
 
秋風に 撫子白き 桔梗哉
 
萩桔梗 撫子なんど 萌えにけり
 
なてしこの 小石ましりに 咲にけり
 
なでしこに 蝶ぶらさがる たわみ哉
 
撫し子や ものなつかしき 昔ぶり
 
撫し子や 人には見えぬ 笠のうら
 
撫子に 蝶々白し 誰の魂
 
撫子の 種つるしたり 花もある
 
撫子の 脇を思えば 河ばかり
 
撫子の 花にあはれや 蛇の衣
 
撫子は 昼顔恨む 姿あり 正
 
撫子は 月にも日にも 細りけり
 
撫子や 上野の夕日 照り返す
 
撫子を 折る旅人も なかりけり
 
野の道に 撫子咲きぬ 雲の峯

 
 

(5)山口青邨の撫子の俳句

 

 
山口青邨(せいそん)は岩手県出身の俳人で本名は吉朗といいます。本職は鉱山学者で、師匠は高浜虚子でした。
 
 
撫子の 紅もかなしき 捨扇
 
撫子や ただ滾々と 川流る
 
撫子も 白芙蓉も 白秋暑し
 
末枯や かはらなでしこ 石にそひ

 
 

(6)日野草城の撫子の俳句

 
日野草城は東京出身の俳人で、本名は克修(よしのぶ)、ホトトギスで俳句を学びました。
 
俳句雑誌にフィクションの新婚旅行の俳句を10句載せて師匠の高浜虚子に激怒され、「ホトトギス」を除名されました。当時の俳句は、フィクションやエロティシズムの句はダメと厳しかったようです。
 
でも、虚子とは、晩年に和解できたそうです。
 
 
月よりも 夏の灯強し 撫子に
 
摺えゐる 撫子に水 太く打つ

 
 

(7)中村草田男の撫子の俳句

 

 
中村 草田男(なかむらくさたお)は中国アモイ出身の俳人で。本名は清一郎(せいいちろう)といいました。
 
東京帝国大学国文科を卒業し、高浜虚子に師事しました。
 
彼はニーチェなどの西洋思想の影響を受けて生活や人間性に根ざした句を探求したため、「人間探求派」と呼ばれます。
 
「萬緑」を創刊した人です。
 
 
撫子や ぬれて小さき 墓の膝
 
撫子や 母とも過ぎにし 伊吹山

 
 

(8)中村汀女の撫子の俳句

 
中村汀女は、本名は破魔子(はまこ)という女性の俳人です。
 
昭和を代表する女流俳人でした。
 
撫子も 挿し十分に 意を得たり
 
撫子も 木賊の丈も 秋に入る

 
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