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こんにちは、このかです!
小倉百人一首には、様々な「季節の歌」を詠んだ和歌が選ばれています。
100首の中に入っている春の歌は6首です。
意外に少ないと思いませんか。
季節の歌は、全部で32首。
春ー6首
夏ー4首
秋ー16首
冬ー6首
ちなみに、恋の歌は43首入っています。
なるほど、 藤原定家が「恋の歌好き」といわれるのが、分かりますね。
でも、厳選された「季節の歌」は秀歌ばかりです。私は万葉集が好きなので、恋の歌より情景を詠んだ歌のほうがずっと好きなのです。
歌や俳句の良し悪しを感じるのは、結局理屈ではなくて感性なのだと思います。
春の短歌
早春の歌
古典の作品において「春」というのは、陰暦の初春から3月頃を指します。睦月(むつき)・如月(きさらぎ)・弥生(やよい)のころです。
春の歌は、万葉の時代は、梅や桃、桜、鶯など生き物など、様々な自然界のテーマが取り上げられました。
でも、平安時代になると、和歌が公家文化となるので、京都御所やその周辺で作られる「花」=「桜」を詠んだ歌が圧倒的に多くなっていきます。
これは、身分の低い人の歌がほとんど残っていないからともいわれています。
それでは、まず「桜」以外のテーマのものからご紹介します。
1.君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇・古今集・百人一首15番
(訳)あなたのために春の野原に出て、若菜を摘みました。私の袖にはふわふわと早春の雪が降り続いていましたよ。
詠み手のほんわりとした優しさに包まれる歌です。大好きな1首です。
この歌は「若菜摘み」を題材にしたものです。若菜というのは「春の七草」のことを指します。
つまり、春とはいっても新春、1月7日のきっと寒い日のことを詠んでいるのです。だから、「雪は降りつつ」なのですね。
2.雪の内に 春はきにけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ
二条后(藤原高子)・古今集
(訳)雪の降っている中に春がやって来ました。鶯の凍っていた涙は、今はもうとけるでしょうか。
こちらはウグイスの歌。藤原高子は陽成院(貞明親王)の母で、恋多き奔放な女性というイメージがあります。
在原業平との恋は伊勢物語の題材にもなっています。
でも、この歌からは、心やさしい雰囲気が伝わります。
ウグイスといえば「春が来た、やったー!」という内容の歌が多い中、「鶯の涙」とよんでいますね。ウグイスが自分のことならかわいらしい表現ですし、身近な人のことならいたわりの心が感じられます。
高子って本当はどんな女性だったのかなあと妄想できる一首です!
3.春きぬと 人はいへども うぐひすの なかぬかきりは あらじとそ思ふ
壬生忠岑・古今集
(訳)「もう春が来た(立春だ)」と人が言ったとしても、鶯が鳴かない限りはまだだと思う。
壬生忠岑は、本来宮中に上がることはできない身分の低い役人(六位)でした。
でも、『古今集』の選者に選ばれ、後にも、藤原公任や紀貫之、藤原定家など、多くの歌人や和歌集の選者から絶賛されています。
↑ ↑ ↑
いちいちこういうことを書きたくなるほど、私の好きな歌人なのでした♥
天皇やそれに近い貴族の歌合せや歌会に、たびたび招かれていました。
テーマ「梅」
「梅と鶯」は立春セットですね。春を告げる鳥・鶯(ウグイス)と新春に先駆けて咲く梅の花は、よく一緒に詠まれます。
また、梅といえば、たいへん梅を愛した菅原道真公を外せません。 梅は天神さんの「神文」にもなっています。
4.春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ
山上憶良・万葉集
(訳)春になるとまず咲く我が家の梅の花を、一人見ながら春の日を過ごそう。
万葉の歌のこの素朴さがたまらなく好きです。(*´▽`*)♥
5.人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの 香ににほひける
紀貫之・古今集・百人一首35番
(訳)あなたのお気持ちはどうかわかりませんが、私が懐かしい故郷だと思っている梅の花は、昔と変わらない香りを漂わせてくれていますよ。
6.君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る
紀友則・古今集
(訳)この梅の花を、あなた以外の誰に見せようというのか。色も香りも、良さが分かるのはあなたを置いて他にはありません。
この歌も、非常によく知られています。 「知る人ぞ知る」という語の語源としても有名なのでした。
7.こちふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
菅原道真・拾遺集
(訳)東風が吹いたなら、妙なる香りを起こして届けておくれ、梅の花よ。主がいないからといって、春を忘れるなよ。
大宰府に左遷された菅原道真が、毎年愛でていた御所の梅を想ってよんだ歌だとされています。
「日本三大怨霊」の中でも、とびきり仕返しの仕方がピンポイントだった(←そう当時は信じられていた)道真公・・・
首謀者はのきなみ狂死、事故死、雷が胸に直撃(←天神=雷神と呼ばれるわけ)、その後、京では流行り病が猛威を振るい、大変なことになってしまったのでした。
その凄まじい怨霊パワーは、⇒こちらの記事の後半の青枠の中に詳しくあります。(現代人が考えるとこじつけっぽいのもたくさんですが)
それで、慌ててその御魂を鎮めるようと建てられたのが、北野天満宮だったのです。
藤原氏に追い落とされた悲しみは、この梅の木への想いからも、伝わりますね。
御所にあった梅の木は、道真公左遷された「大宰府」まで飛んで行ったという切ない伝説が残っています。
テーマ「桜」
国風文化➾和歌の文化が栄えると共に、桜は「花」として盛んに詠まれるようになります。
桜には、いろいろな表情がありますね。
8.花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
小野小町・古今集・百人一首9番
(訳)花の色は長雨に打たれてう移り変わってしまいました。見る人もないままいつの間にか。私がこの世の中について思いめぐらし、ぼんやりと眺めている間に・・・。
非常に有名な歌ですね。桜の花は悲哀を誘うのでしょうか・・・?
年々、身につまされるおそろしい歌でもあります。はあああ。(*´Д`)
9.久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
紀友則・古今和・百人一首34番
(訳)こんなに日の光が降りそそいでいるのどかな春の日なのに、どうして落着いた心もなく、桜の花は散り急いでしまうのだろうか。
これも桜の歌の代表のような有名な歌です。物悲しさが漂います。
10.世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
在原業平・古今集・伊勢物語
(訳)世の中に桜と云うものがなかったなら、春になっても、咲くのを待ちどおしがったり、散るのを惜しんだりすることもなく、のんびりした気持ちでいられるだろうに。
これには有名な反歌があるのでした。
「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」
(訳)桜は惜しまれて散るからこそ素晴らしいのです。この世に永遠なるものは何もないのだから。
11.いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな
伊勢大輔・詞花集・百人一首61番
(訳)とおい昔、都であった奈良で咲き誇っていた八重桜が、今日はこの宮中(九重)で美しく輝いています。
こちらは、若い女性らしい、かわいらしい雰囲気の歌です。なぜか、季節を問わず、奈良に行くと思い出す歌なのです。
「いにしえへの奈良の都」という部分に歴史浪漫を感じて、その後に桜のなかでもひときわ華やかな「八重桜」と続くのところがとても好きでです♪
12.高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ
大江匡房・後拾遺集・百人一首73番
(訳)はるか遠くの高い山の峰にも、やっと桜が咲いた。里近くの山の霞よ、桜の姿をよく見たいから、どうか立たないでおくれよ。
大江匡房の桜は、すぐそばにある桜の花のではなく、遠くから眺める桜です。「霞」は春に立つ霧のことです。
13.あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも
山部赤人・万葉集
(訳)もしも山の桜が何日も咲いていたら、こんなに恋しいとは思わないでしょうに。すぐに散ってしまうからこそ、こんなに恋しいのだ。
確かに、桜の花が年中咲いていたら、こんなにも人の心を打つことはないでしょう。
はるか昔の山部赤人の心に、現代を生きる私たちが共感できるところに感動です!
14.花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける
西行法師
(訳)花見の客が大勢押し寄せてきて騒々しい。これがこそが桜の罪である。
これも、すごくすごく同感ですよ。ゆっくり落ち着いて、人のいないところで風情を楽しみたいです。
騒がしい人も場所も大嫌い。
15.願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃
西行法師
(訳)願いが叶うならば、桜の下で春に死にたい。草木の萌え出る如月(陰暦二月)の満月の頃がいい。
西行法師は「花」と「月」の歌をたくさん残しています。
この歌のとおり、西行法師は、如月(2月16日)に亡くなりました。生き方も死に方も、かっこいい人です。
個人的に好きなだけなのですが、いろいろ語っているので、西行に興味のある方は、是非ご覧ください(*^^*)♪
⇒桜と月の歌人・西行はやはりかっこいい★高杉晋作も尊敬していた?
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