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こんにちは。
いにしえの京の和歌を紹介します。鎌倉時代までの歌人の歌です。
百人一首などでよく知られているものや私が好きで知っていただきたい和歌を中心に選びました。
京都の地名は単なる場所ではなく、そこから連想される風情を丸ごと読み込んでいますよ。
せっかくなので、それも一緒に味わって行きましょう。。
京都の春夏秋冬の和歌
京都の「歌枕」の地は、嵯峨・嵐山や宇治、東山など都から少し離れた洛外(田の字地区の外)が多いです。
ですから、残っている歌も自然あふれる少し寂しげな場所が多いのです。
でも、もちろん洛中の和歌もありますよ。では、まずは洛中の和歌から洛外へという形でお伝えしますね。
洛中の和歌
◆滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
【作者】大納言公任(藤原公任)・千載集
【意味】滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月がたってしまった。しかし、素晴らしい滝であったという名声だけは流れ伝わって、今でもやはり聞こえてくることだ。
まずは、藤原公任です。漢詩、和歌、管弦の才を兼ね備えた「三舟の才」と呼ばれる秀才で、日本史的になかなか興味深い人です。
藤原一族の御曹司でしたが、親戚筋の藤原道長が北家の主流になったため摂関職には就けませんでした。和漢朗詠集の編者です。
この和歌の滝は奥嵯峨にある大覚寺の滝のことです。水が枯れてもなおその名が伝わるという名滝です。大覚寺には今も「名古曽(なこそ)の滝」と碑が残っています。
◆見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける
【作者】素性・古今集
【意味】はるかに京をみわたすと、柳の緑と桜の色とを混ぜ合わせた色彩が見事だ。京の都こそがまさに春の錦であるのだなあ。
目の前に美しい初夏の色彩がばあああっと広がるとても美し和歌ですね。都loveな気持ちもじゅうぶん伝わります。
在原業平と親しかったようですが、ロマンチックで色彩豊かな作風が業平と似ているなーと思います。
素性法師は父親の僧正遍照(百人一首12番)がおもしろい人です。平安前期のイケメン僧侶・僧正遍照(俗名は良岑宗貞)は、桓武天皇の孫で出世コースを約束されたスーパーセレブでした。(六歌仙の1人)
でも、敬愛していた天皇の崩御を機にすっぱり出家したのです。そんな父親に「お前も息子だから出家しろ」とよくわからん理屈で出家させられたのが、息子の素性法師なのでした。
素性法師は百人一首21番の歌人です。21番の歌は学校では、当然のように「男性が女性目線で作った和歌」と習います。でも、この時代だし本気で男の恋人を待っていてもおかしくないよねと思えるのでした。
◆血の涙 おちてぞたぎつ白川は 君が世までの名にこそ有けれ
【作者】素性・古今集
【意味】悲しみの血の涙が落ちて、白川が激流となっている。この「白い川」という川の名は、あなたの在世までの名前だったのだなあ。
場所は祇園白川、今も風情の残る京都の中心部(鴨川東岸)です。
「白川」と「赤い涙」と色彩的に対比させたところがうまいといわれ、当時絶賛された歌でした。確かに、素性法師らしい手法の和歌です。
でも、この和歌は藤原良房が亡くなったとき、その悲しみを代表として素性法師が詠んだものでした。
和歌の美しさばかりが引き立って、なんだか良房の死を悼む気持ちが薄いような気がします。本当に嘆き悲しんでいたら、彼ほど才のある人ならもっと情に訴える和歌を造れたんじゃないかなと思えるのです。
◆風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける
【作者】従二位家隆(藤原家隆)・新勅撰集・百人一首98番
【意味】風がそよそよと楢(なら)の葉に吹きそよぐ楢の小川の夕暮れは、もう秋のような気配だ。でも、ただ夏越の祓(なごしのはらえ)のために行なわれている禊(みそぎ)が、いまはまだ夏なのだというしるしなんだなぁ。
すっかり秋の気配が感じられるけど、この行事を見るとまだ暦の上では夏なんだなーという季節感が感じられます。
この和歌の心情が本当なら、平安時代の京都は、けっこう涼しかったのでしょうね。今の京都の夏は、巨大サウナの中(盆地なので)みたいです。
「楢(なら)の小川」というのは、奈良ではなく京都の上賀茂神社の前を流れる参拝人が手口を清める御手洗川(みたらしがわ)のことです。
そして、上賀茂神社では今も6月30日に「夏越祓(なつごしのはらえ)」という行事が行われます。
これは、簡単にいうと上半期の最後の日にお祓いをする儀式です。この日に京都の人は「水無月」と呼ばれる縁起物の和菓子を食べます。
わが家は大阪の北摂ですが、やはり6月後半になると和菓子屋さんに期間限定で「水無月」が並びます。ういろう好きなので、毎年必ずゲットなのです!
「水無月」はこんな和菓子です。⇒「水無月」は6月30日限定の京の伝統和菓子
由来もきちんとあっておもしろいですよ。
◆みそぎする 賀茂の川風吹くらしも 涼みにゆかむ妹をともなひ
【作者】曽禰好忠(そねのよしただ)・好忠集
【意味】禊が行なわれる賀茂に川風が吹いているらしい。妻を連れてこれから涼みに行こう。
曽禰好忠は百人一首の歌人で歌の才は認められていましたが、偏屈な人だったらしく、貴族たちに好かれていませんでした。
もともと位が低いので、宮中に上がれず地方公務員のような仕事にしか就けなかった人です。おべっか使いが苦手だったのかもしれません。
円融院の「子(ね)の日遊び」に招かれもしないのに出席して追い出されたという「今昔物語集」のエピソードがよく知られていますが、本当に呼ばれもしないのに行ったのかなーと思います。悪意が感じられる作品です。
源順や大中臣能宣、源重之、恵慶などと和歌をとおした親交がありました。自由闊達な歌風です。
◆白河の 梢を見てぞなぐさむる 吉野の山にかよふ心を
【作者】西行・山家集
【意味】白川の満開の桜を見ていると、(自分の思い出の中の)吉野の満開の桜と交じりあって、それが一体となって心がなぐさめられるよ。
桜の月の歌人西行法師です。
あいかわらず桜大好きですね。それも吉野の桜・・・
かつて祇園白川から近江(滋賀県)に抜ける道は「桜の名所」として知られていました。
その満開の桜を見て、吉野の山の満開の桜を懐かしんでいます。
でも、桜の花は不思議です。満開の桜を見ると「自分の心の中の最も懐かしい桜」が思い出されるというのはよくわかるのです。
西行にとっては、それが美しい京の都の桜ではなく吉野山の桜だったのでしょう。
(2)嵯峨嵐山・小倉山・清滝川・貴船の和歌
小倉山(おぐらやま)は、嵐山の向い側(保津川の向こう側)にある紅葉の名所です。そして、「小倉山」といえば「紅葉」と「鹿」なのです。3セットで歌われることがとても多いので「秋の歌」がたくさん残っています。
嵯峨・嵐山は、昔は都から遠く離れたへき地でした。その静かな場所には秋の風景がよく似合います。
余談ですが、「つぶあん」を「小倉」と呼ぶようになった2つの由来が残っています。1つは小鹿の背中にあるはんてん模様が「つぶあん」に似ているから「小倉山⇒鹿のはんてん⇒つぶあん」という連想に由来するというもの。
もう1つは、つぶあんの原料の「大納言小豆」のブランド産地が、この小倉山のすそ野だったからといわれます。どちらが先かはわかりませんが、それで今も「つぶあん」=「小倉(おぐら)」と呼ばれるのでした。
ちなみに、小豆を中国から日本に伝えたのは空海なのだそうです。(空海伝説の1つなので真偽は不明)
◆小倉山 峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆきまたなむ
【作者】貞信公(藤原忠平)・拾遺集
【意味】小倉山の峰の紅葉よ。ああ、あなたにもし心があるならば、もう一度天皇のお出まし(行幸)があるまで、どうか散らずにそのままで待っていてください。
小倉山の和歌といえば、私はまずこの和歌が思い浮かびます。紅葉に呼びかけている(擬人化)しているところが、すごく日本人らしくて素敵だなーと思うのです。
藤原忠平の人間性や優しさがにじみ出ているとても好きな和歌です。藤原忠平は菅原の道真を陥れた左大臣・藤原時平の弟でした。でも、道真と仲が良く道真が左遷されたあと大宰府にも何度か手紙を送っていました。
だから、「道真公の怨霊の祟り」で兄たちが変死する中、彼だけは無事だったそうです。ちなみに、「北野天満宮」を建てて道真を祀ったときの左大臣は彼でした。
◆あやしくも 鹿の立ちどの見えぬ哉 小倉の山に我や来ぬらん
【作者】平兼盛・拾遺集
【意味】不思議にも鹿が立つ場所が見えない。はたして本当に私は小倉山に来たのだろうか。
小倉山の神秘的な美しさを、うまく表現していますね。
平兼盛といえば、百人一首40番と41番の「伝説の歌合対決」の勝者です。お題は「忍ぶ恋」で、対戦相手は壬生忠見(みぶのただみ)でした。
いずれも名歌で判定に困り、帝の采配を仰いだというエピソードが残っています。確かにどちらも素敵なのです。
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「忍ぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思ふと人のとふまで 」
(40番・平兼盛)
「恋すてふわが名はまだきたちにけり 人しれずこそ思ひそめしか」
(41番・壬生忠見)
◆をじかなく 小倉の山の裾ちかみ ただひとりすむ我が心かな
【作者】西行(山家集)
【意味】雌鹿を求めて雄鹿が鳴いている。その声が聞こえる小倉山のふもとに住んでいるけど、私の心は俗世の生活を捨てて、孤独に生きる覚悟で澄みきっているなあ。
西行法師です♥
「住む」と「澄む」が掛詞になってますね。
「すみきってる」と言いながら、寂しがってるのが丸見えなところが西行らしくて素敵です。(牡鹿が雌鹿を想って鳴く=寂しさを示唆する表現)
◆ふりつみし 高嶺のみ雪とけにけり 清滝川の水の白波
【作者】 西行・新古今集(山家集)
【意味】降り積もった高嶺の雪が解けたのだなあ。清滝川の水が白波を立てているよ。
西行法師については、どうしてもひいき目で語ってしまうのですが、それでよろしければぜひご一緒にどうぞ♪
⇒桜と月の歌人「西行」の和歌15首紹介
⇒超絶クールな生き様?の西行法師
⇒西行法師の人柄がわかる2つのエピソード
◆石ばしる 水の白玉数見えて 清滝川にすめる月影
【作者】藤原俊成・千載集
【意味】岩の上を激しく流れる水しぶきの白い玉がいくつも見えて、清滝川に澄んだ月影が射している
清滝川は高雄山あたりの保津川上流を指します。高雄は川床でも知られる夏の避暑地で、奥山なのでとても水が澄んでいるのです。
藤原俊成は、藤原定家の父親で和歌の大家です。
風景を詠んだ歌が意外とさっぱりしていて素敵だなと思えます。このような自然を詠んだ藤原俊成の歌を、あと2つご紹介しますね。
◆貴船川 たまちる瀬々の岩浪に 氷をくだく秋の夜の月
【作者】藤原俊成・千載集
【意味】貴船川の瀬々の岩に玉となって散る波に、氷を砕くような秋の夜の月がかかっているなあ。
「貴船」という地名には、都の喧噪から離れた澄んだ場所、そして「神聖な美しい水」のイメージがあります。美しい玉となって砕ける清らかな水と月の美しさが絶妙ですね。
◆春日野は 子の日若菜の春のあと 都の嵯峨は秋萩の時
【作者】藤原俊成・玉葉集
【意味】春日野は「子(ね)の日」の若菜摘みをする春の後が良く、都の嵯峨野は秋の萩が咲く頃が良い(と思う)。
昔は、新年が明けて初めての「子(ね)の日」に、若菜を摘むならわしがありました。若菜摘みです。
嵯峨野は、私も「秋が一番良い」と思います!
(2)京都南部・宇治・伏見・深草などの和歌
宇治といえば一般には平等院鳳凰堂が有名ですね。かつては都の貴族たちの別荘地だった場所で、洛中から南に下ったところ(伏見のもっと南)にあります。
そして『源氏物語』宇治十帖の舞台であり「宇治の橋姫伝説」の残る地でもありました。
宇治川は「鵜飼(うかい)」でも知られていて、和歌や俳句によく詠まれています。
◆我が庵は 都のたつみしかぞ住む 世を宇治山と人は言ふなり
【作者】喜撰法師・古今集(百人一首8番)
【意味】私の仮の住まいは都の東南にあり、その「巽」という名の通り慎ましく住んでいる。しかし、世間の人はここを、世間を避けて住む山、宇治山と言うらしい。
◆暮れてゆく 春のみなとは知らねども 霞に落つる宇治の柴舟
【作者】寂蓮・新古今集
【意味】終わりになって去っていく春の行き着く所は知らないが、今、霞の中に落ちるように下りていく宇治川の柴舟とともに、春が去っいくなあ。
霞がかり長閑な宇治川の柴舟に、去ってゆく春の寂しさを詠んでいます。
ちなみに、春にかかるのは霞(かすみ)で秋は霧(きり)です
◆鶉なく 折にしなれば霧こめて あはれさびしきの里
【作者】西行・山家集
【意味】深草の里に鶉の鳴く頃になった。あたり一面に霧がたちこめていて、いかにも寂しくわびしい感じがするなあ。
鶉(うずら)は国内での渡り鳥なのです。春夏は日本の北の方で過ごして、秋冬になると京都・深草にも飛来して過ごしていたようです。
うずらでこの和歌は「秋の歌」とわかるのです。
◆朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
【作者】権中納言定頼(藤原定頼)・千載集
【意味】明け方になると、宇治の川にかかる霧がとぎれとぎれに晴れていく。そして、だんだん瀬々の綱代の木が目の前に現れてくるよ。
「網代」というのは漁業の仕掛けのことで、宇治川では冬に氷魚(ひお)を取るために使われていました。宇治らしい題材です。
他にも和歌の紹介をしています。よろしければご一緒にどうぞ♪
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