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こんにちは、このかです。
今回は、またまた私の好きな西行法師についてです♪
彼は、都の「北面の武士」というエリート職に就いていましたが、世を捨てて放浪の歌人となりました。
そんな彼のクールな生き方は、こちらで紹介しています。
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「西行法師」の生き様が超絶クール!桜と月に魅せられた放浪の歌人
宮廷を去った西行は、始めに都の北の鞍馬(くらま)に行き、そこで小さな庵(あん)を結んで自己を見つめました。
そして、その後、各地を旅してまわります。
「桜」をこよなく愛した西行らしく、まずは3年ほど桜の名所・吉野山で暮らし、28歳のとき親戚筋の奥州藤原氏を訪ねて平泉へ行きました。その後は、高野山で庵を結び、30年ほどその地を拠点にして、旅に出たり戻ったりを繰り返していたようです。
彼は、旅の途中、行く先々で歌を残しました。
歌の才も高かった後鳥羽院は、自然や心情をストレートに言葉にした西行の歌を、ことさら好んだといわれます。
娘が心配過ぎて、コッソリのぞき見したりして
『西行物語』に、西行が出家するとき、すがりつく幼い娘を蹴っ飛ばして出て行ったというエピソードがあります。
どれぐらいの強さで蹴ったのかがわからないのですが、言葉が独り歩きしていて、ひどい父親のイメージがついているようです。
でも、ポンと蹴るのと、コロコロ転がるほど蹴っ飛ばすのとでは、全然違いますよね。どんな感じだったのでしょう。
で、その西行法師。
実は、娘のことを実子同然に育ててくれと、弟にしっかり頼んで出家していました。
そして、それから数年後、娘の暮らす家の近くにやって来た西行は、数人の子供たちと一緒に外遊びをしていた娘を見つけて、こっそりのぞき見、というかガン見していたのでした。
「うん、さすが我が子、あの子は美人になるぞ~♪」とか思っていると、娘に気付かれてしまいます。そして、「変なオッサンがいるから、みんな、あっちへ行こう!」と言って逃げられたことがありました。(『発心集」』より)
なんだかんだで、気になっているのですね。
出家したくせに、全然世俗を捨てきれていないじゃないかと思える西行が愛おしいのでした。
芸術家は、こうでなければ!
源頼朝にたまたま出会い流鏑馬の指南をしたという噂
西行が68歳のとき、源平合戦で、東大寺の大仏が焼失してしまいました。
東大寺の住職は、復興のために奥州藤原氏に「砂金を送ってほしい」と頼んだけれどなかなか送ってくれないので、西行に伝えてほしいと頼みに来たのです。
70歳前で東北地方への旅なんて、この時代、ものすごーく大変なことですよ。
でも、西行は引き受けたのです。
おそらく、これが藤原秀衡と会う最後の機会だと思ったのでしょう。どちらも、かなりの高齢になっていましたから。
西行と会った約半年後に、秀衡は病で急死しました。
その後、奥州藤原氏は、かくまっていた源義経を見捨て、結局、自らも源頼朝に滅ぼされてしまいます。藤原秀衡は非常に優れた武将でしたが、3人の息子はそろいもそろって残念でした。秀衡の言葉に従って、義経と共に戦ったほうが、まだましだったかもしれませんよ。
頼朝は、有能な武将だった秀衡が亡くなるのを待ってたのでしょう。ひそかに狙っていたのは、見え見えです。
その2度目の奥州へ向かう旅の途中、西行は、なーんと鎌倉で源頼朝とばったり出くわしたのだそうです。
そのくだりは、『吾妻鏡』に記されています。
頼朝が鶴岡八幡宮に参拝したとき、鳥居の辺りを徘徊する老僧がいて、不審に思った頼朝が家臣に尋ねさせると、それが西行法師だとわかったのでした。
西行法師と知った頼朝は、すぐに呼び寄せて「歌と流鏑馬」について、教えを請いました。
西行は、始めは「歌なんて、感じたことを31語で表すだけですよー。」「流鏑馬の事なんて、もう忘れましたー。」なんて言ってはぐらかしていたそうですが、頼朝があまりに熱心なので、流鏑馬については、真面目に指南してあげたそうです。
それが、その翌年から鎌倉で行われる「流鏑馬」になったのだとか。
そして、一晩あかし、翌日も頼朝に滞在をすすめられましたが、西行法師は出立しました。
出立の際、頼朝はお土産にと高価な銀製の猫を贈ったのですが、西行は館の門を出ると通りで遊んでいた子供に、「これで遊びなさい」と言ってあげてしまったのだそうです。
西行は、仲の良い親戚の奥州藤原氏を狙う頼朝を嫌っていたから、すぐに銀の猫を手放したという意見もありますが、私は、そんなのどうでもよかったんじゃないかなと思います。西行は、究極のミニマリストです。「物」に興味なんてないから、「別にいらんわー」と思ったのではないでしょうか。
それより、なんで「猫」?ってところが、気になります。
おわりに
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
西行法師は、旅の途中やひとりぼっちの草庵で暮らしながら、友達がいなくて寂しー、都が懐かしー、煩悩捨てきれませんというネガティブな歌を、たくさん残しています。
そして、私はそういう彼の和歌が好きです。
ネガティブは「悪」ではないです。改善する必要もないと思います。世の中は明と暗のバランスで成り立っているんです。ポジティブばっかりだと疲れ果てます。それに、多くの文学作品は、作家の葛藤や暗さの中から生み出されています。それが、創作活動の原動力になると思うのです。
雪月花を詠んだ西行法師の和歌は、長くなりましたので、こちらの記事でお伝えしています。
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桜と月を愛した歌人・西行法師の和歌を「山家集」から15首紹介
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