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こんにちは、このかです。
 
お正月近くなると、書店にいろいろな「百人一首」が並ぶようになります。
 
「小倉百人一首」は、選ばれている人たちが歴史的に知られている人が多く、深く知れば知るほど楽しいです^^♪
 
季節や恋など分類されているのですが、その中で「冬の歌」は6首あります。
季節別では、断トツで「秋の歌」が多いですよ。
日本人の好みがわかりますね~。
 
ちなみに、季節の歌は、全部で32首です。
 
春ー6首
夏ー4首
秋ー16首
冬ー6首

 
恋の歌43首に比べると少ないですね。
平安貴族にとって、色恋はとっても大事なものだったからでしょうか?
 
でも、厳選された「季節の歌」は秀歌ばかりですよ。

 
 

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「冬の和歌」

 
「百人一首」に収められた6首と、古今集・新古今集の和歌を、合わせて10首、ご紹介します。
 
寒くて寂しいだけではなく、凛とした冬の風景の美しさを詠んでいる歌が好きです。日本人の感性の奥深さを感じますね。

 

「百人一首」から6首

 

 

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1.田子の浦に うち出てみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ

 
 
山部赤人・新古今和歌集(百人一首4番)
 
(訳)田子の浦に出てはるか遠く見渡すと、真っ白な富士の高嶺に今も雪が降り続いていくんだ。
 
山部赤人は身分の低い役人でしたが、天皇の行幸にお供する宮廷歌人として重用されていて、道中たくさんの山を見てきました。駿河の国の田子の浦から見る富士の山は、それは壮観だったでしょう。
 
この歌は「万葉集」にも「雪は降りけり」という結びでのっている歌です。
 
藤原定家はこの歌に「幽玄美」を感じ、結びを「雪は降りつつ」として、「新古今和歌集」にも選びました。
 
白く美しいベールをまとったような冬の富士の美しさを繊細に表現した抒情的な歌です。

 
 

2.かささぎの 渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける

 
大伴家持・新古今和歌集(百人一首6番)
 
(訳)天の川にカササギが渡すという端に、真っ白く霜が降りているのを見ると、夜がすっかり更けたのだと感じるよ。
 
「かささぎの橋」というのは、七夕の織姫と彦星の伝説のことですよ!
 
山上憶良も「天の川」を歌に詠んでいます。このことから、奈良時代後期には、もう中国から七夕伝説が伝わっていたと、分るのです。
 
家持は、この「かささぎの橋」を平城京の御殿の階段に、宮中を天上界になぞらえて詠みました。「霜」は「天上で白く煌めく星々」をたとえたものです。
 
冴え冴えとした美しい冬の夜空を、見事に表現した歌ですね。

 

3.山里は 冬ぞ寂しき まさりける人目も草も かれぬと思へば

 
源 宗于(むねゆき)・和漢朗詠集(百人一首28番)
 
(訳)山里は冬になるとよりいっそうさびしさが増すようだ。訪れてくれる人もなくなってしまうし、草木も枯れてしまうんだからな。
 
歌人としての教養は高い人で、この歌は「本歌取り」です。

 
 

4.心あてに 折らばや折らむ 初霜の置きまどはせる 白菊の花

 
凡河内躬恒(おうしこうちのみつね)・古今和歌集(百人一首29番)
 
(訳)心のままに折ってみようか、あてずっぽうに。真っ白い初霜にまぎれて見分けがつかくなっている、白い菊の花を
 
とても寒い冬の朝、凍てつくような空気の中、縁側へでてみると、庭の白菊の上に真っ白の初霜が降りていた。その風景を詠んだ歌です。
 
倒置法を使って「白菊の花」を強調しています。可憐な白菊と初霜の美しさが凛とした寒さの中で際立っています。美しい歌です。

 
 

5.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 触れる白雪

 
坂上是則・古今和歌集(百人一首31番)
 
(訳)夜が白み始めたころ、有明の月の明かりでこんなに明るいのかと見違えてしまったけれど、この明るさは、吉野の里に降った真っ白な雪だったのだ!
 
夜明けに白く残っている「有明の月」の月明かりを、吉野の白い雪に見立てています。
 
「月の白い光」を「白い雪」に見立てるのは、中国の漢詩でよく用いられていた技法(比喩)です。平安時代前期の人は、漢詩がブームだったので、よく引用しています。
 
冬の歌は、物悲しい心情と掛けたものが多い中、この歌は景観の美しさに感動している気持ちを、素直に表現していて素敵です。

 
 

6.あわじしま かよふ千鳥の 鳴く声に いくよ目覚めぬ 須磨の関守

 
源兼昌・金葉和歌集(百人一首78番)
 
(訳)須磨の浦から淡路島へと行き来しながら、恋人を呼んでなくせつなげな千鳥の声に、いったい幾夜目を覚ましてしまったのだろうか、須磨の関守は。
 
「千鳥」は、水辺に住む小型の鳥です。冬の浜辺を象徴する鳥で、家族や友人を慕って寂し気に鳴く鳥とされていました。
 
お題の「関路千鳥」の「千鳥」はこの鳥。
そして、「関路」は『枕草子』の「関は逢坂、須磨の関」を踏まえて、関守に着目しました。
 
淡路島の方から渡ってくる千鳥の寂しい鳴き声で目覚める関守の孤独感が、ひしひし感じ取れますね。

 
 」

「古今集」より冬の和歌

 

 

1.冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ

 
清原深養父・古今集
 
(訳)まだ冬だというのに、空から花が散ってくるのは、雲の向こうは春なのだろうか。
 
ちらちらと雪の降ってくるのを、花びらが散ることにたとえています。
 
寒くて長い冬にうんざりして春を待ちわびている頃を詠んだ歌です。雲の向こうは春なのだろうかという下の句から、もうすぐ春がやって来るというとワクワクした期待感を感じますね。

 
 

2.雪降れば 木ごとに花ぞ 咲きにける いづれを梅と わきて折らまし

 
紀友則・古今集
 
(訳)雪が降って、木に白い花が咲いたように見える。木梅(きごと)と書くと梅という時になるが、どの木を本当の梅の木と区別して折ったらよいだろうか
 
「木梅(きごと)」「梅の木」と結び付けています。おもしろい発想の歌ですね。
 
庭の木のほとんどに雪が積もっていて、どれがどの木だかわからなくなっている状態です。特に、梅の花は白いので、雪の白さでどれが梅の木なのかがわからないなーという想いが伝わります。
 

「新古今集」より冬の和歌

 

 

1.月を待つ 高嶺の雲は 晴れにけり 心あるべき 初時雨かな

 
西行法師・新古今集
 
(訳)月の出を心待ちにしていると、高嶺に掛かっていた雲が晴れ渡って時雨も止んだよ。なんと人の情を解する初時雨であることよ。
 
月と花(桜)の歌人・西行法師の和歌です。
 
時雨を擬人化して、自分の想いを情感豊かに表していますね。
時雨というウエット感のある叙景と全体の雰囲気がよく合っています。情景が目に浮かぶようですよ。

 
 

2.駒とめて 袖打ち払ふ 陰もなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ

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藤原定家・新古今集
 
(訳)馬をとめて、袖に降りかかった雪を払い落とすような物影すらないよ、佐野の渡し場の雪の夕暮れどきよ。
 
冬の雪の日に、旅人が悩んでいる情景を詠んだ歌です。
夕暮れ時、あたり一帯を白一色にする雪の中の情景が、いかにも寒そうですね。
 
定家らしい本歌取りの歌ですよ。
 
本歌は万葉集のこの歌です。
  ↓
「苦しくも降り来る雨かみわの崎狭野の渡りに家もあらなくに」(万葉集・巻三・二六五、長奥麻呂)