この記事を読むのに必要な時間は約 13 分です。


 
こんにちは、百華です。
 
 
今回は、太宰治の『待つ』という短篇小説を読んでいきましょう。

 
 

スポンサーリンク

1.『待つ』はどんな作品?


 
『待つ』は、1942(昭和17)年に書かれた太宰治の短篇小説です。
 
 
まさに太平洋戦争(大東亜戦争)中ですね。
 
 
女性独白体の作品です。女性独白体は太宰の得意とした書き方で、他に『女生徒』『ヴィヨンの妻』などがあります。
 
 
なんと、当時の言論統制にひっかかり「時局(時代の局面)にふさわしくない」と返却されています…。
 
 
もしかしたら、当時の風潮に反する何かが含まれている、と察した人がいたのかもしれません。
 
 
当時、多くの男性が戦場に駆り出され、文学者たちは国策のもとに戦争賛美の小説を書かされました。
 
 
しかしそんな動きに同調せず、世の中を自分なりに眺める人もあったのです。
 
 
太宰は、胸部に疾患があったため兵役検査に落ち、作家として独自の文学を追求します。
 
 
他、谷崎潤一郎永井荷風(ながい かふう)なども、めげずに細々と執筆を続けました。

 


 

2.『待つ』の簡単なあらすじ

 

二十歳の私は駅のベンチに腰かけ、行き交う人々を尻目に毎日ひたすら何かを待っている。
 
それは生活への自信かもしれないし、自分の運命を変えるような男性かもしれない。
 
やはり、分からない。ぱっと明るくて素晴らしい何か…。
 
結局どれもこれも違うような気がするが、それでも何かを、胸を躍らせて待たずにはいられない。
 
このような娘がいたことを、忘れずに覚えておいてほしい。

 
 

スポンサーリンク

3.『待つ』の詳しいあらすじ

 
それでは、『待つ』を客観的にみていきたいと思います。
 

①時代背景は?

 

 

いよいよ大戦争が始まって、周囲がひどく緊張してまいりましてからは、……

 
 
『待つ』の舞台は、太平洋戦争が始まったあとの「省線のその小さい駅」です。
 
 
太平洋戦争中は、挙国一致・銃後奉行(じゅうごぶぎょう)といったスローガンが掲げられました。
 
 
挙国一致とは、国を挙げて戦争に協力せよという呼びかけのこと。銃後奉行とは、国家のために女性は家で家事・育児に専念せよというものです。
 
 
(戦は昔からどこの国にもありましたが、国家による強制や、一部の軍の暴走は、行きすぎてしまうと恐ろしいものです。)
 
 
1行目から「省線」(=軍事輸送のため国が管理していた)といった、戦時色の強いものが出ています。

 
 

②「私」はどんな女性?

 

1,異質な存在


「私」は、省線の駅で毎日誰かを待つ二十歳の娘。しかし何を待っているのかは分かりません。
 
 
女性は家で家事をすべきという風潮があった中、駅のベンチで毎日ぼんやりする娘は、なかなかに異質な存在といえます。
 
 
電車の戸口から吐き出されるたくさんの人々とも、非常に対照的です。
 
 
人々は一様に怒っているような余裕のない顔で、「私」を無視し、急ぎ足に歩いていきます。
 
 
たくさんの人をつめこみ、どんどん吐き出していく電車は、世間,世論の象徴といえましょう。
 
 
ゆくえのしれない戦争へ流されるように向かっていく大衆です。

 
 

2,人間嫌い

 
 
また「私」は人間が嫌いで、家で母と縫い物をするほうが楽だといいます。
 
 
世の中の人たちは、したくもない話をし、お互い用心して、疲れて一生を送るものだろうか、と、やたらに饒舌(じょうぜつ)な人への恐怖や嫌悪があります。
 
 
※誠実な気持ちで言葉をつかいたい,うそを言うのは嫌だ、という人物は太宰文学にわりと出てきます。

 
 

3,揺れ動く心になやむ

 

「私」が駅に行くようになったきっかけは、大戦争が始まったことでした。
 
 
同時に、家でぼんやりすることへの罪悪感と、国の役に立ちたいがための焦りを感じます。
 
 
家を飛び出し、とりあえず駅に座っている状態の「私」は、2つの思いの間で揺れ動きます。
 
 
その2つとは「自分の運命を決めるような、ステキな男性が現れないかしら(♡)」という時局にふさわしくないものと、「必死に働いて国の役に立ちたい」という時局にかなった現実的なものです。
 
 
誰か来るかという期待,恐怖,空想などを感じながら待つ「私」ですが、中でも注目したいのは「けしからぬ空想」という言葉です。
 
 
これは「軽はずみな空想」「不埒(ふらち)な計画」と同じもの。
 
 
自分の命をも差し出せるような男性と、機会をねらって知り合うことを指します。この時代、自由恋愛は不埒なものだったのですね(!)。「みだらな女」という表現が、当時の価値観を伝えています。
 
 
ましてや、大戦争で周囲が緊張しているときですから。
 
 
一方、「大戦争が始まって、なんだか不安で、身を粉にして働いて、お役に立ちたい」というのは、戦時下の女性として現実的な行動です。
 
 
この立派そうな口実の裏には、ステキな男性を待つ不埒な気持ちがあるのではないか、と正反対の気持ちの間で揺れています。

 
 

③「私」が待つものとは何?


「私」は何を待っているのか、本文を追っていきましょう。
 

1,自信を待つ?

 
大戦争が始まって、今までの生活に自信を失った「私」は、自信を待っているといえます。
 
 

2,運命を待つ?

 
 
自分の運命を決めるような男性が来ないだろうか、と期待するような場面もありましたね。
 
 
しかし「~しれない」がよく使われており、自分で自分の思いがはっきり分かっていないところもあります。

 
 

3,大戦争の終わりを待つ?

 
 
一体誰を,何を待っているのか。人間か,人間でないものか,明るい自然か,と思いをめぐらせますが、大戦争が始まってから待っているのだけは事実です。
 
 
目の前をぞろぞろ通る人に対し、細かく震えて一心に待つ「私」。
 
 
戦争へ突きすすむ民衆の群れと、それに流されまいとする「私」でしょうか。
 
 
大戦争の終わりをひたすら待つ「私」が読み取れます。

 
 

3.まとめ


 
しかし結局、「私」は自分が何を待つのかはっきり自覚できていません。
 
 
本作品は、戦争が始まって揺れ動く「私」を描いています。
 
 
そして最後、「私」は「あなた」に自分を覚えておいてほしい,見つけてほしいと語りかけました。
 
 
戦争へすすんでいく空気の中、こんな「私」の存在をどう思うか、と読者に問いかけるのです。
 
 
今でこそ色々と考えさせられる作品ですが、当時としては大問題だったでしょう。
 
 
この小説を広く発表するわけにいかなかった事情が、なんとなく分かる気がしませんか。

 


【関連記事】