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太宰治は『人間失格』を書いた後、次作『グッドバイ』の製作中に愛人と心中して果てます。
 
 
そのため、『人間失格』は、太宰治の遺書的作品といわれます。
 
 
話の内容は、主人公の「大庭葉蔵」が、自分の生い立ちと生き方について表した「手記の形」をとっています。
 
 
そして、その手記は、全部で3章に分かれています。

 
 

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あらすじ概略


 
『人間失格』の構成は、こうなっています。

はしがき
第一の手記
第二の手記
第三の手記
あとがき

 
 
「はしがき」は、主人公「大庭葉蔵」の残された3枚の写真の印象が書かれています。
 
 
1枚目は幼年時代、2枚目は高等学校時代、3枚目は20代後半の写真です。
 
 
それぞれの印象は、すべて人間らしくない数奇な写真(外見は美男子です)で、最後の写真は「死相」すら表れていない「一切の特徴を欠いた表情」です。
 
 
「あとがき」は、その3枚の写真とともに、「葉蔵」が書いた手記を送られた「私」が、「葉蔵」の知り合いの京橋のスタンド・バアのマダムに印象を聞くところで終わります。

 

第一の手記


 
冒頭

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「恥の多い生涯を送ってきました。」

主人公「葉蔵」は、東北の10人余り家族がいる家の末っ子に生まれます。
 
 
少年「葉蔵」は、「人間の営みというものが理解できず」、人を笑わせるおどけた「道化」を演じることで、かろうじて人とつながっていました。
 
 
彼は、常に人に会うとき恐怖心を抱いていましたが、笑わせることで「お茶目」な子と思わせることに成功します。

 

第二の手記


 
中学生になり、ほぼ完ぺきに「道化」になりきれたと思ったころ、その芝居を「竹一」という同級生に見破られます。体育の授業で笑いをとるためにわざと失敗したのが、ばれたのです。
 
 
「葉蔵」はこの秘密をさらされるのを恐れ、「竹一」を見張るように親しく付き合うようになりました。
 
 
そのとき、この「竹一」から
 
 
1.女に惚れられる
2.有名な画家になる

 
 
という2つの予言を与えられました。
 
 
その後、東京に出て高等学校に入学しますが、今度は「堀木」という素行の悪い友人と付合い、左翼運動に参加するようになります。また、「人間の恐怖をたとい一時でも、まぎらわすことのできる手段」が「酒と煙草と淫売婦」と思うようになります。
 
 
そうして、遊び明かすうちに、もともと美男子だったこともあり、女性から非常にモテる雰囲気を身にまとうようになります。
 
  
 
しかし、「葉蔵」は、あいかわらず人間の考えや営みを理解することはできませんでした。
 
 
やがて、カフェの女給、「ツネ子」と知り合い、共に鎌倉の海に飛び込んで心中をはかります。
 
 
しかし、「ツネ子」だけが死亡し、「葉蔵」は命を取り留めます。
 
 
「葉蔵」は自殺幇助罪に問われますが、父親の知り合いの「ヒラメ」に似た男に、引受人になってもらい釈放されます。
 
 
「ヒラメ」は父親と取引のあった人ですが、父親のたいこ持ちのような役も勤めていたずんぐりした四十男です。

 
 

第三の手記

 
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釈放後、「葉蔵」はそのまま「ヒラメ」の世話になりましたが、そこから出て「堀木」のところへ行きます。そして、「堀木」の知り合いの「シゲ子」のところへ転がり込みます。
 
 
「シゲ子」はシングルマザーの雑誌記者で、娘がいます。
 
 
「シゲ子」とその娘が幸福そうに暮らす姿をかいま見て、「葉蔵」は自分が二人の人生を不幸にするように思い、アパートを去ります。
 
 
その後、人を疑うことを知らない「ヨシ子」と出会い、彼女の無垢な処女性に惹かれて結婚します。
 
 
しかし、「ヨシ子」はその人を疑わないという美質があだとなり、家に出入りしていた男に無理やり犯されてしまいます。
 
 
「ヨシ子の信頼」という美質が汚されて、「葉蔵」は生きておられないほどの苦悩に陥り、ますますアルコール中毒になります。
 
 
そして、失意のあまり「葉蔵」は、「ヨシ子」が持っていた睡眠薬で自殺をはかりますが失敗します。
 
 
その後、薬を求めて入った薬局でモルヒネを進められ、使うと急激に回復したので、今度はモルヒネ中毒に陥ります。
 
 
精神的にもボロボロになって喀血することもあり、大川にでも飛び込もうかと思っていた矢先に「ヒラメ」が「堀木」を連れてやってきます。
 
 
彼らに病院に行こうと言われ自動車に乗ると、サナトリアム(療養所)に行くとばっかり思っていたら、「脳病院」に連れていかれます。

「人間、失格」
「もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。」

脳病院を退院した後、「葉蔵」は故郷へ戻り、あてがわれた茅屋で、ぼんやりと時を過ごしています。

「自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。」

↑  ↑  ↑
これが手記の末文です。

おわりに


 
主人公の「葉蔵」は、人間の感じていることや営み自体が理解できず、恐れながらも人間に好かれたいと考えていたのでしょう。その手段として、「道化」を演じるようになりました。
 
 
この作品が、今も多くの人に親しまれているのは、そこにあるとと思います。社会の中で疎外感を感じている人は、すごく共感できるでしょう。
 
 
人は誰しも素の自分を完全には出さずに、社会的な役割という「仮面」をかぶって生きています。
 
 
皆、多少は「道化」を演じているのです。
 
 
しかし、現実社会に適応して、しっかり努力しながら生きている人から見れば、「葉蔵」は、どうしようもないダメ人間ですね。
 
 
読む人のメンタルによって、好みが大きく分かれそうな作品です。(´・ω・)


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