この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。


こんにちは~。
 
最近、室生犀星⇒萩原朔太郎ときて、芥川龍之介に行きついています。
 
人間関係はなかなかよくコミュ力もあって友達も多い、漱石先生のようにほめてくれる先輩もいるし、太宰のように大好きという後輩もいる、友達も多いです。
 
 
なのに、なんでこの人自死したのでしょう?
 
 
「ぼんやりした不安」を乗り越えられなかったのか、菊池寛の書いているとおりなのか、心の病だったのか・・・
 
 
とにかく彼の死は、多くの人に衝撃を与えました。
 
 
今回は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のあらすじと感想をお伝えします。

 
 

スポンサーリンク

『蜘蛛の糸』あらすじ

 

 
お釈迦様が、極楽の蓮池の下をふとのぞき見しました。蓮池の下は「地獄」なのです。
 
 
下に広がる後継は、地獄の血の池で、たくさんの罪人たちがおぼれそうになりながら、もがき苦しんでしました。
 
 
その中に、犍陀多(カンダタ)という大泥棒の姿が見えました。
 
 
カンダタは生前、人殺しや放火をした極悪非道な大泥棒でした。その報いを受けて、いまここで地獄の責め苦を味わっているのです。
 
 
お釈迦様は、カンダタが生前にたった一つ「良い事」をしたのを思い出しました。
 
 
それは小さな蜘蛛を踏みつぶしかけたとき、こんな小さなものにでも「命」があるのだと思って助けてあげたのです。
 
 
お釈迦様は、蜘蛛の命を救ったことに免じて、「天上」から静かに一筋の「蜘蛛の糸」を、カンダタのいる「地獄」へと垂らしたのです。
 
 
お釈迦様は、小さな虫にも一寸の魂があると考え、「命」の尊さを知るカンダタは、きっと根っからの悪党ではないだろうと思いました。そして、お釈迦様は、カンダタに「極楽」へと上るチャンスを与えてあげたのです。
 
 
自分の目の前に垂れてきた「蜘蛛の糸」を見つけたカンダタは、「チャンス!」と喜んで、蜘蛛の糸をつかんで登り始めました。このまま登っていけば、極楽まで行けるのではないかと思ったのです。
 
 
カンタダは、ぐんぐん、ぐんぐん、糸をたぐって上っていきました。
 
 
途中で疲れたカンダタは、一休みしして、ふと下を見下ろしました。
 
 
すると下の方から、「蜘蛛の糸」を見つけた他の罪人たちが、カンダタの後を追って無数に上って来ていたのです。
 
 
細い細いたった1本の「蜘蛛の糸」に、何百、何千という罪人がぶら下がっていました。そんな重さに耐えられるはずがないと思ったカンタダは、叫びました。
 
 
「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。下りろ! 下りろ!」
 
 
その瞬間、蜘蛛の糸は、ポツンと切れたのです。
そして、カンダタは、再び「地獄」へと真っ逆さまに落ちていったのでした。
 
 
お釈迦様はその様子を一部始終をご覧になり、悲しそうなお顔をされて、また蓮池の周りをぶらぶらと散歩されたのでした。

 
 

ポイントはカンタダと釈迦それぞれの想い



 
この話は、とても短くて登場人物の感情表現をあまりしていません。ですから、読み手の想像の余地が大きいのです。
 
 
子供向けとしてあっさり読むと、カンダタに着目して、自分だけ助かろうとしたのが悪い、蜘蛛の糸を自分の物だと言い、他の人たちに下りろといったので罰が下ったとなります。
 
 
せっかくお釈迦様がくれたチャンスを「水の泡」にしてしまったということになりますね。
 
 
わずかな善行に対してお釈迦様は慈悲は与えてくれたけど、その慈悲を自らふいにしてしまうのが人間なのだな、あ~あという感想です。
 
 
小学生の読書感想文では、この点をポイントにするだけで十分だと思います。
 
 
でも、この世界に数十年も生きていて、世の中きれいごとだけでは済まされないと知る年になると、もっといろいろ考えてしまいます。
 
 
まず、なぜ釈迦はカンタダを試したのか・・・・
 
 
カンタダは、生前に蜘蛛をわざわざ助けてあげたわけではなく、ただ踏みつぶすのをやめた程度でした。とりたてていうほど善い行いはしていません。
 
 
一方、蜘蛛の糸を見つけたとき、みんなを押しのけて一人だけ助かろうとしたというわけでもありません。もともとカンタダが一番はじめに見つけた糸で、他の誰かから糸を奪ったわけではないですね。
 
 
1本の蜘蛛の糸にわんさか人がぶら下がったらどうなるか、それを考えると「下りろ」というのも当然なのではないかと思えます。
 
 
私がもしカンダタだったら・・・・・
 
 
チキンなので偉そうに「下りろ」とは言えないけど、心の中ではめっちゃ言うでしょう。「もうちょっと重量考えて! いっぺんに上んなよ!」って。
 
 
どうしても、みんな我先にとなるので、無駄でしょうけれど・・・
 
 
そもそも、芥川はなぜお釈迦様に糸を垂らさせたのか、また、カンタダに「下りろ」と叫ばせたのか・・・・
 
 
釈迦は権力を握る人間特有の気まぐれで、そうしたのか(まさか、そんなわけないでしょうけど)
 
 
蜘蛛を見逃すぐらいの善行を行った罪人は他にもいそうなもんだけど、なぜカンダタを選んだのか(ここ多分、ツッコんではいけないところ)
 
 
一見、簡単な内容のようで、深読みするとどんどん深みにはまっていく・・・・
 
 
もしかして、宮沢賢治的「自己犠牲の精神」で、「みんなの幸いのために」と考えるべきなのでしょうか?
 
 
自分の利益と全体(他者)の利益
どちらを優先させるか・・・
 
 
自分だけ幸せになってはいけない・・・
そんなこと、考えるのは人間ぐらいなもんでしょうよ。
 
 
生物は、もともと「自分の命と種の保存を最優先」するべしと、プログラミングされてます。そこを、「人として」どう考えるかによりますね。

 
 

スポンサーリンク

おわりに


この作品は、人によって考えさせられるポイントが異なります。
 
 
・釈迦のしたことを深く追求する人
・カンタダの行為を因果応報とみる人
・地獄とはどういう場所なのかと気になる人
・芥川の意図を探りたくなる人

 
 
あなたはどこに焦点を当てて読み、だれに感情移入したでしょう?
 
 
短い文章なので、まだの人は、ぜひ読んでみてください。
 
 
無料で読めますよ⇒★『蜘蛛の糸』芥川龍之介(青空文庫)
電子書籍ですけど。
 
   
私は「歳時記」など調べもの用と漫画は「電子書籍」、じっくり読みたい小説は「紙の本」となんとなく使い分けています。
 
 
「紙の本」のほうが記憶に残りやすいという説もあるようです。五感のうちの複数を使って覚えると、より記憶が定着しやすいからだそうです。
 
 
たとえば、英単語を覚えるときに「声」に出して覚えると、目で見て口で言って耳で聞くという「3つの器官」を使うから覚えやすいのだとか。「紙の本」の場合は、手でめくるという「触覚」と「視覚」を使いますね。
 
 
私は実感できないから、ほんまかいなという感じなんですけど・・・。
 
 
芥川龍之介の作品は短編ばかりなので、読みたい作品が表題になっていないものも多いです。中をよく確認してくださいね。
 
 
私は新潮と角川の文字が好きです。(←ただの好みです)
おすすめは、こちらになります。
 
 
収録されているのは、「蜘蛛の糸」「犬と笛」「蜜柑」「魔術」「杜子春」「アグニの神」「トロッコ」「仙人」「猿蟹合戦」「白」の10編です。

   ↓

by カエレバ

 
芥川龍之介の作品はこちらでもお伝えしています。合わせてどうぞ♪  
     ↓