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こんにちは。
 
 
芥川龍之介の代表作『鼻』
 
 
この作品は、芥川の人生ですごいターニングポイントになった初期の作品です。
 
 
若き芥川龍之介は小説家として認められようと努力していましたが、なかなか文壇でよい評価をもらえませんでした。「羅生門」を発表したときなんて、偉い人から「もう、君、小説家やめたら?」とか言われています。
 
 
それでもがんばって発表したこの作品『鼻』が、夏目漱石の目に留まったのです。
 
 
『鼻』を読んだ夏目漱石が、芥川に「激賞」の手紙を送ったというのは、よく知られています。漱石先生に褒められたら、周りの人たちの反応が変わるし、自分に自信がついてやる気がでるでしょうね。
 
 
この作品も「古典」の元ネタがありますよ。『今昔物語集』 巻28の20 「池尾の禅珍内供の鼻の物語」と『宇治拾遺物語』 巻2の7 「鼻⻑き僧の事」です。
 
 
でも、彼が伝えたい「主題」は、オリジナルなのですよ。

 
 

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『鼻』のあらすじ


「鼻」は、人間の体の中で、多くの慣用表現に使われますね。
 
 
「鼻が高い」「鼻にかける」「鼻につく」「鼻をへし折る」「木で鼻を括る」などなど、プライド高そうな、偉そうなイメージの言葉が多いです。
 
 
その理由は、鼻が顔の真ん中にでーんとついている存在感のある器官だからでしょう。

 
 

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(1)僧・禅智内供の鼻は異常な長さだった

 

 
僧侶・禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と言えば、池の尾で知らない人はいないぐらい有名でした。彼はすごく長い鼻をしていたのです。長さは15~18㎝もあって、顔の真ん中からソーセージ(腸詰)がぶら下がっているような感じだったのでした。
 
 
内供(ないぐ)は、50歳を過ぎた高僧でしたが、この長い鼻を2つの理由から苦にしていました。
 
 
1つは、実際に不便なことです。ごはんを食べるとき、長すぎて食べにくいので、向かい側に座る後輩僧侶に棒で持ってもらわなければいけなかったのです。これはめんどくさいですね。
 
 
そして、もう1つは、この鼻によって自尊心が傷つけられたことです。
 
 
池の尾の者は、あの鼻では妻になる女性はいないだろうから、内供が僧侶でよかったと同情する者や、あんな鼻をしているから出家したのだろうと批評する者もありました。
 
 
内供(ないぐ)は、心の中では、普通の鼻でありたいと切実に思っていたのです。

 
 

(2)鼻が普通の大きさになった?

 
 
ある年の秋、内供の弟子が長い鼻を短くする方法を、医者から教わって来ました。
 
 
内供はいつもどおり、自分は鼻のことなどまったく気にしていないように装いながら、弟子がそう言うならと、その方法を試してみました。
 
 
その方法は、簡単にいうと、鼻を熱湯でゆでて、その後、弟子が足で踏みつけるというものでした。とっても熱そうで痛そうな方法ですね。
 
 
でも、茹だった鼻はむずがゆく(それだけで済んだの?)、もう一度茹でてから出してみると、よくある鍵鼻と大差ないほど短くなっていたのです。
 
 
「こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。」
 
 
内供は自分の短くなった鼻をさわっては、のびのびした気分になりました。

 
 

(3)普通の鼻になったのに、なぜか笑われる内供


 
ところが、2~3日経った頃、内供はある事に気づきました。人々が内供の鼻を見ては笑いをこらえているのです。それも、鼻が長かったころとは、また質の違う笑い方でした。
 

人は他人の不幸には同情するけれど、人がその不幸を乗り越えると、なんとなく物足りなさを感じ、もう一度同じ不幸に陥れてみたいという意地悪な気落ちを抱くものなのです。

 
内供が不快に感じたのは、そのような「傍観者の利己主義」をなんとなく感じ取ったからなのでした。
 
 
内供は日に日に怒りっぽくなって、鼻が短くなったことをかえって恨めしく思いました。周りの僧たちは、そんな内供の陰口をたたくようになります。
 
 
これまで憂鬱の種だった長い鼻が人並みになったのに、内供はまったく幸せにはなれなかった(別の笑われ方をした)というのがポイントですね。

 
 

(4)鼻が元に戻ってしまった!なのに内供は・・・

 
 
ある夜、内供は急に鼻がむずがゆくなりました。触ってみると、むくんで熱を含んでいます。
 
 
無理に短くしたから病になったのかもと思いながら寝て、朝になって目が覚めると、忘れかけていたある感覚が戻ってきていたのです。
 
 
内供が鼻に手をやると、そこには昔の長い鼻がありました。 内供は、鼻が短くなった時と同じはればれとした心もちになりました。
 
 
「こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。」
 
 
そう心の中で自分にささやいたのでした。

 
 

『鼻』の感想のポイント


芥川龍之介は、長編は大作にはなり得ないと考えていたようですが、この短編小説は、本当によくできていると思います。
 
 
内供の内面の変化と傍観者の態度から、利己的という「人間の本質」が読み取れます。
 
 
鼻を人並みにしようと思う心は、美容整形できれいになりたい女性の心理と同じようでもありますが、彼が「僧侶」というのがポイントです。
 
 
内供はかなりの高僧だったので、自分が容姿を気にかけていることを悟られたくないと思っています。
 
 
でも、めっちゃ気にしてますね。それが人間ってもんです。
 
 
「こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。」
 
 
このフレーズが2回出てきます。
 
 
1度目は、長い鼻が短く人並みになったとき、2度目は変に笑われるようになった短い鼻が元の長い鼻に戻ったときです。
 
 
内供が心の底でもっとも気にしているのは、「人から笑われたくない」という思いなのだなと伝わります。
 
 
私はそんな悟りきれない内供(ないぐ)が、とても人間味のある人でいいなと思うのでした。
 
 
芥川龍之介の作品は短編が多いので、1つの文庫に5作以上入っていることが多いです。ですから、出版社によってはあれにもこれにもこの作品が入っているよということもあります。気を付けてくださいね。
 
 
たとえば、私は文字が好きなので新潮か角川がお気に入りなのです。(二次元好きなので表紙も大事)

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by カエレバ

 
 
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