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こんにちは。
 
冬の俳句は、いろんな雰囲気のものがあって楽しいです。身も心も懐も寒くなるような虚しさを詠んだ句もあれば、初雪に目を輝かせるうきうきした気持ちがの句もたくさんあります。
 
今回は、冬の季語を使った俳句の中で、芭蕉と蕪村・一茶・子規の代表作をご紹介します。

 
 
 

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(1)松尾芭蕉の冬の俳句

 

 
★初雪や 水仙の葉の たわむまで
 
 
★水仙や 白き障子の とも移り
 
 
★庭にきて 雪を忘るる 箒哉
 
 
★いざ行かん 雪見にころぶ 所まで
 
江戸の町衆は、春には花見、秋は月見、そして、雪が降ったら雪見にくりだす風流な習慣がありました。
 
この俳句は、子供が雪にはしゃいでいるのではなく、大人たちが、これから雪見に出かけるとしようという想いを詠んだものです。
 
道ですべって転んだらなお一興。さあ転ぶ所まで出かけようという内容から、心うきたつ心情が、ひしひし伝わりますね。  
 
★旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる
 
この俳句は、解釈が2通りあるんですよ。
 
1.「夢の中ではまだ枯野をかけ廻っているのだけれど、病に倒れた私はもう旅に出ることも出来ない。悲しい。」
 
最近は、国語の授業などでは、こちらの解釈が主流です。
 
この解釈では、悲壮感があふれていますね。この句が松尾芭蕉の「辞世の句」といわれる所以です。
 
2.「 病気になったけれど、まだ私の夢は枯野をかけ巡っている。早く治ってまた旅に出たいものだ。」
 
こちらは、まだ治ってまた旅に生きようという希望を感じる内容です。
私は、こちらを支持したいですね。
 
その理由は、この俳句の前置きに「病中吟」というのが、ついているからです。
 
この句からは、病で倒れたけれど、養生すれば治るだろうという前向きな気持ちが、伝わります。
 
 
 
 
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(2)与謝蕪村の冬の俳句

 

 
★寒月や 門なき寺の 天高し
 
 
★楠の根を 静かにぬらす 時雨かな
 
 
★水仙や 寒き都の ここかしこ
 
 
★化けそうな 傘かす寺の 時雨かな
 
 
★草枯れて 狐の飛脚 通りけり
 
「狐の飛脚」というのが、面白いですね。
 
蕪村の俳句には、よく狐が登場します。
 
それも野生の狐じゃなくて、人を化かす狐です。
 
でも、この俳句の狐のように、怖ろしい化け狐ではなく、ちょっと化かされてみたいなと思えるような愉快な雰囲気の狐です。
 
ちょっとメルヘンチックでステキだなと思うのです。
 
蕪村は、俳画の確立者でもあるので、鳥獣戯画のような擬人化したイメージが脳内にあったのかもしれませんね。楽しいです。
 
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(3)小林一茶の冬の俳句

 

 
★大根ひき 大根で道を 教えけり
 
 
★これがまあ 終のすみかか 雪五尺
 
 
★うつくしや 年暮れきりし 夜の空
 
 
★む(う)まさ(そ)うな 雪がふうは(わ)り ふは(わ)りかな
 
「雪がふうわりふうわり」という表現
 
小林一茶ならではですね!
 
雪を美味しそうと感じる心、子供のような純真さが感じられて、すごく素敵です。
 
 
★ともかくも あなた任せの としの暮
 
この句の「あなたまかせ」というのは、他人まかせとういう意味ではなく、阿弥陀如来を指しています。
 
一見、神頼みっぽく感じなくもないですが、どんなに裕福であっても、貧乏であっても、ありのままの自分で年を越していきましょうという意味になります。
 
とらわれの無い達観した雰囲気で、なかなかよいなと思う句です。
 
 
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(4)正岡子規の冬の俳句

 

 
★山茶花を 雀のこぼ す日和かな
 
 
★団栗の 共に掃かるる 落ち葉かな
 
 
★古園や 桃も李 も雪の花
 
 
★誰かある 初雪の深さ 見て参れ
 
 
★いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
 
肺結核で脊椎カリエスを患い、病床にあった正岡子規が、外の雪の深さを幾度も家の人に訪ねた様子を詠んだ句です。
 
今までは心楽しいものだった雪も、今では起き上がって自分で見ることもできないもどかしさが、伝わります。
 
子規のこの句の内容は、こちらの記事でくわしく書いています。
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