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「恥の多い生涯を送ってきました」
「生まれて、すみません」( ̄▽ ̄)

 

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陽気なナルシスト?

 

 

 

 

文豪の中でも、今も多くの人に共感される太宰治。
 
彼は人生で5回、自殺を試みています。
そのうち3回は、心中です。
その最後の相手が、愛人の山崎富栄でした。
 
富栄とは行きつけの屋台で会い意気投合したのですが、その数日後、妻の美智子との間に次女が生まれています。
さらにその8か月後には、他の愛人の子供を認知しています。
 
それでも、富栄は太宰の肺結核の看病をし、執筆活動を支えたそうです。

 

女性にもてた人気者

 
生前も多くの人から、自堕落な生活を指摘されている彼ですが、女性には非常にもてました。
 
実際の彼は、社交的で話し上手、酒席ではいつも話題の中心にいる人でした。
学生のファンや編集者など、自宅への訪問があまりに多いので、仕事場を別に構えるほどの人気者だったそうです。
 
その陽気さは彼の本質の一部です。
それは中期の作品「お伽草子」「女学生」などによく表れています。

 

「道化」を演じるに共感される

一方、「人間失格」を若い頃に読むと、主人公の「葉蔵」=「太宰治」のような錯覚に陥りがちです。
 
彼の陽気さは「道化」としての演技だったのか。
 
それは半分は正しく、半分は太宰の創作・狙いでした。
彼は、巧妙に「太宰治」という虚像を作り出しています。
 
女性が惹かれるのは、その無邪気で陽気な本性と、生への不安と罪の意識を捨てられない自己矛盾をかかえたところなのかもしれません。

生い立ち・作風

 

 

 

 

それでは、彼の生い立ちを、簡単にみていきましょう。
 
太宰治、本名・津島修治は、青森県の大地主の息子として生まれます。
父は、貴族院議員を務めました。
長兄は、後に青森県知事になります。
 
生活が荒れたのは上京してからです。
10代後半から花柳界に出入りし、芸妓や女給など常に女性と交流がありました。
オシャレで話し上手、気の利いた冗談もうまい太宰は、すぐに人気者になったそうです。
 
東京帝国大学文学部仏文科に入学しますが、授業についていけず脱落、その後、退学になりました。
 
21歳のとき、井伏鱒二に弟子入りしますが、女性関係や借金でいろいろ問題を起こしています。
 
26歳のとき、急性盲腸炎から腹膜炎になり、麻薬鎮痛剤を使用し、それ以降、薬物中毒に悩まされるようになりました。
借金の多くは、薬代と豪遊費によるものです。

 

芥川龍之介を敬愛

中学生の頃から、芥川龍之介を尊敬していたのは有名で、芥川の顎に手を添えた写真のポーズを、真似て撮った写真が残っています。
 
第1回芥川賞受賞を逃したとき、選考委員の1人・川端康成に、「作者、目下の生活に厭な雲あり」と私生活を評され、猛反発しています。
 
第3回芥川賞選考のときにも、川端ら数人の選考委員に懇願する手紙を送っていますが、新人作家ではないとの理由で棄却されました。
 
芥川賞に固執したのは、生活苦から逃れるためというのも大きな理由です。
 

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作品の魅力

共感力の強い作品

彼の作品は、今も多くの人に愛読されています。
 
「人間失格」に見られるように、読者に共感させる力の強い作家です。
 
私は、作品によって作風や文章の雰囲気が異なるのが、太宰作品の魅力の一つだと思っています。また、素朴で簡潔な文章なので、すっと入ってくる感じがして読みやすいです。
 
また、読者の主観が入ることで、いろいろな読み方をさせる作風でもあります。
例えば「人間失格」は人によって視点が変わりますし、同じ人でも中学時代の初読みと30代での再読とでは、異なる主題が見えてきます。
 
「人間失格」しか読んでなくて、太宰は暗いから嫌いという人には、「お伽草子」など中期の明るい作品をおすすめします。また、違う太宰治に気づくと思います。

明るく透明感のある作品も多い

彼は暗いテーマの作品だけでなく「女学生」「お伽草子」「走れメロス」など、全く作風の違う明るい作品も残しています。
 
どちらかというとこの人の個性は、こちらの作品に近いでしょう。そして、そのような作品も、高水準な文章力で書いています。かなりの技巧派です。
 
太宰治は、2度目の心中未遂の後、石原美智子と結婚して精神的に立ち直ります。このときに一旦立ち直れたことで、これらの佳作を生み出しました。

 

主な作品と冒頭

「人間失格」
「恥の多い生涯を送ってきました。」
 
「走れメロス」
「メロスは激怒した。」
 
「駆け込み訴へ」
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は酷い。酷い。」
 
「女生徒」
「あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。」
 
「斜陽」
「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ。」とかすかな叫び声をお挙げになった。」

概略

 

 

 

 

●1909年6月19日
青森県の大地主の息子として生まれる。
父親は貴族院議員を務めた地方の名士。
本名は「津島修治」。
 
●1925年(16歳)
初めての作品「最後の太閤」を、生徒会誌で発表。
このころから芥川龍之介に傾倒し、芥川作品を読みまくる。
芥川先生が好きすぎて、ノートの余白に何度も「芥川龍之介」と書きつめた。( ̄▽ ̄)
 
●1927年(18歳)
旧弘前高等学校に入学。
芥川龍之介が自殺。大きなショックを受ける。
 
●1929年(20歳)
共産主義に目覚め、左翼活動を始める。
期末試験前夜に自殺未遂。
 
●1930年(21歳)
東京帝国大学文学部仏文科に入学。
(当時の仏文科は、ほぼ無試験)
尊敬していた井伏鱒二に弟子入りするが、私生活は荒れ放題。
カフェの女給と心中未遂し、女性のみ死亡。
 
●1935年(26歳)
大学を退学になり、新聞社への就職も失敗。
鎌倉山中で首吊り自殺未遂。
芥川賞に応募した作品が評価されるが「次席」となり賞を逃す。
 
●1936年(27歳)
これまでの作品を集めた処女創作集「晩年」を刊行。
パビナール中毒で入院。
内縁の妻・小山初代と心中未遂、その後、離別。
 
●1939年(30歳)転機‼
石原美智子と結婚し、精神的に立ち直る。
「富嶽百景」「女生徒」「皮膚と心」を発表。
 
●1940年(31歳)
「走れメロス」を発表
 
●1943年(34歳)
「富嶽百景」「右大臣実朝」を発表。
太平洋戦争が始まっているが、病気がちだったので戦争には行かず。
(1941年:真珠湾攻撃➾1945年:戦争終結)
 
●1944年(35歳)
「佳日」「津軽」など明るく透明感のある作品を発表。
 
●1947年(38歳)
「展望」「ヴィヨンの妻」「斜陽」を発表。
「ヴィヨンの妻」は無頼派の評価が定まった作品。
「斜陽」は没落貴族の物語で「斜陽族」という流行語を生んだ。
 
●1948年(39歳)
病んでいた肺結核が悪化。精神面もボロボロ。
「人間失格」「グッドバイ」(未完の遺作)を発表。
「人間失格」は、戦後600百万部以上の大ベストセラーに‼
6月13日玉川上水で愛人の山崎富栄とともに心中し死亡。
 
遺体は1週間後、19日の太宰治の誕生日に引き上げられた。
2人の遺体は、しっかりと細ひもで結ばれていた。
墓は、本人の希望通り、三鷹・禅林寺の森鴎外の墓の向いに建てられた。
 
毎年、命日にここで太宰を偲ぶ「桜桃忌」が行われる。

 

おわりに

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地方のお金持ちの家に生まれ、人気者で女性にもてて、才能にも恵まれていたのに、破滅的な死を選んだ・・・。
 
年表を追うと、ドラマティックな人生ですね。
 
ミステリ(江戸川乱歩)好きな管理人としましては、
「なぜ心中してくれる女性が3人もいたのか」‼
この点がすごく気にかかります。
 
女性のあなたに質問です。
 
「一緒に死んであげてもいい。」と思える男性に出会ったことがありますか?
 
う~~ん、これ、私にはありえない発想なので、
もしかしたら、自殺願望のある女性を嗅ぎ分ける嗅覚でも持っていたのか?
などなど、いろいろ考えてしまいます。
 
でも、もしもそこまで思える人に出会ってしまったら、女性としては幸せなのかもしれませんね。

 

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