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黄色い菜の花が一面に広がる光景は、明るくあたたかい春の陽気そのものような風景ですね。
 
 
「春の季語」として、これまで多くのの俳人に好まれてきました。
 
 
「菜の花」を季語にした俳句は、正岡子規やその友人で文豪の夏目漱石などもたくさん詠んでいます。
 
 
でも、「菜の花の俳句」といえば、まずは教科書でもおなじみ、もはや誰もが知っている与謝蕪村のあの有名俳句でしょう。
 
 
今回は、明るく浮き立つような春らしい菜の花の俳句をご紹介します。

 
 

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(1)与謝蕪村の「菜の花」の俳句

 

 
与謝蕪村(よさぶそん)は俳諧師だっただけでなく「俳画」の創始者で、画家としても活動していました。そのせいか、写実的で絵画的な発句を得意としたのです。
 
 
蕪村の俳句は、情景が目に浮かぶような感じがします。
 
 
菜の花や 月は東に 日は西に
 
 
蕪村の代表的な一句、この俳句も非常に写実的ですね。
 
 
絵画のような風景だけど、でも一枚の写真の中にはおさまらないし三点から見た風景を盛り込んでいます。
 
 
足元には一面の菜の花。
東の方を見ると月が上ってきた。
西を方を見ると日がまだ低くぼんやり浮かんでいる。

 
 
まだ暗くなっていない夕刻の風景を詠んだ句です。
 
 
夕刻に東の空に見える月ということなので、この月は「満月」(かそれに近い形)、まあるい月ということです。
 
 
技法的なことをちょっと加えると、「菜の花や」と軽めの感動を表す切れ字「や」を使い、「月は東に 日は西に」と対句法でしめています。
 
 
このリズムが素晴らしいですね。そして、見えている光景だけをぽんぽんと書く省略法を使うことで、より「菜の花」「月」「日」が強調されます。
 
 
一枚の写真におさまらないのびのびしたスケールの、蕪村らしい実に写実的な一句だと思います。

 
 

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(2)小林一茶の「菜の花」の俳句

 

 
小林一茶(こばやしいっさ)は、江戸時代後期に活躍した俳諧師です。三大俳諧師に数えられますが、貧しい生涯だったと伝わります。
 
 
「おらが春」、「一茶発句集」という俳句文集が有名です。一茶の作品は小さなものに対する優しさがにじみ出る、情のあるものが多いです。
 
 
菜の花の 盛りに一夜 啼く田螺(たにし)
 
菜の花に かこち顔なる 蛙哉
 
菜の花の とつぱづれなり ふじの山
 
菜の花の 中を浅間の けぶり哉

 
 

(3)正岡子規の「菜の花」の俳句

 

 
近現代俳句の祖・正岡子規は生涯にたくさん俳句や短歌を残しています。
 
子規についてはこちらを⇒正岡子規と5つの有名俳句
 
 
菜の花に 婚礼したる 狐哉
 
菜の花の 中に稲荷の 鳥居かな
 
菜の花に そふて道あり 村稲荷
 
上り帆の 菜の花の上に 見ゆる哉
 
菜の花 の四角に咲きぬ 麦の中
 
ふらふらと 行けば菜の花 はや見ゆる
 
菜の花の 小村ゆたかに 見ゆる哉
 
菜の花の 野末に低し 天王寺
 
寺ありて 菜種咲くなり 西の京
 
菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

 
 

(4)夏目漱石の「菜の花」の俳句

 
 

 
明治の文豪・夏目漱石は、その生涯に約2400の俳句を残しています。
 
 
大学時代(東大予備門)に正岡子規と出会って生涯の友となり、俳句の添削を子規にしてもらうこともありました。
 
 
奈良七重 菜の花つづき 五形(ごぎょう)咲く
 
窓低し 菜の花明り 夕曇り
 
菜の花の 中の小家や 桃一木
 
菜の花の 遥かに黄なり 筑後川
 
菜の花の 隣もありて 竹の垣
 
菜の花の 中に小川の うねりかな

 
 

 
 

(5)高浜虚子の「菜の花」の俳句

 

 
高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。
 
 
柳原極堂が創刊した俳誌「ホトトギス」を引き継いで、俳句だけでなく和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として発展させました。夏目漱石など小説家からも寄稿をうけています。
 
 
菜の花に 光る時あり 城の鯱
 
菜の花 にねり塀長き 御寺かな

 
(※御寺は京都の「仁和寺」)

 
 

(6)山口青邨の「菜の花」の俳句

 

 
山口青邨(やまぐちせいそん)は岩手県出身の俳人で、本名を吉朗といいます。
 
本職は鉱山博士でした。俳句の師匠は高浜虚子です。
 
 
本を読む菜の花明り本にあり
 
本を読む 菜の花明り 本にあり
 
夜半覚めて 寒月瓶の 菜の花に

 
 

(7)飯田蛇笏の「菜の花」の俳句

 

 
飯田蛇笏(だこつ)は山梨県出身の俳人です。本は武治(たけはる)、別号は山廬(さんろ)です。
 
高浜虚子に師事し山梨の山村で暮らしながらも格調の高い句を作り続け、大正時代の「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍しました。
 
俳誌「雲母」を主宰しています。山梨県出身で、同じく俳人の飯田龍太は蛇笏の息子です。
 
 
滋賀の雨 花菜つづきに 竹の秋
 
花菜かげ 蝶こぼれては 地にはねぬ
 
菜の花の 夜目に白さや 摩耶詣
 
門前の 花菜の雨や 涅槃像
 
青蛾ゐて 甘菜の花 に南吹く
 
世を戀うて 花菜の嵐 吹く中に

 
 

(8)大野林火の「菜の花」の俳句

 

 
大野林火は神奈川県生まれの俳人です。本名は正(まさし)。東京帝国大学経済学部卒で臼田亜浪に師事し、俳誌「石楠」に俳句や評論を発表しました。
 
抒情的な作風の俳句を多く残し、俳誌『浜』を創刊したり後進の指導にあたる活躍をしました。
 
1953年には俳人協会会長に就任しています。
 
 
雨の花 菜寝がへりしても つめたしや
 
菜の花に 障子がほそく あけてある
 
ひそやかに 子がぬすみたる 花菜かな

 
 

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