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「月」といえばお月見を連想するように、本来、月は「秋の季語」です。
 
 
だから、ほかの季節の月を詠む場合、「春の月」のように季節をくわえて季語とします。
 
 
「春の月」は風景の美しさと相まって、風流な雰囲気の句が多く素敵です。
 
 
句作の参考にどうぞ♪

 
 

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(1)与謝蕪村の「春の月」の俳句

 

 
与謝蕪村(よさぶそん)は俳諧師だっただけでなく「俳画」の創始者で、画家としても活動していました。そのせいか、写実的で絵画的な発句を得意としたのです。
 
 
蕪村の俳句は、情景が目に浮かぶような感じがします。
 
 
春月や 印金堂の 木のまより
 
女倶して 内裡拝まん 春の月

 
 

(2)正岡子規の「春の月」の俳句

 

 
近現代俳句の祖・正岡子規は生涯にたくさん俳句や短歌を残しています。
 
子規についてはこちらを⇒正岡子規と5つの有名俳句
 
 
花か人か 影もおぼろや 春の月
 
花にいで 花にかくるや 春の月
 
春の月 恋する人を 照しけり
 
春の月 枯木の中を 上りけり
 
羽衣の 太鼓聞えぬ 春の月
 
かけたより みちておほろや 春の月
 
ふじよりも 立つ陽炎や 春の空
 
ぼろぼろと 尺八吹くや 春の月
 
春の夜の 月や出づらん 人の声
 
婚礼の 乗物多し 春の月
 
吉原や 橋ひきあげて 春の月
 
春の月 一重の雲に かくれけり
 
土手三里 花にはなれぬ 春の月
 
十二橋 どちら向いても 春の月
 
つくはねも 見ゆるやう也 春の月

 
 

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(3)山口青邨の「春の月」の俳句

 

 
山口青邨(やまぐちせいそん)は岩手県出身の俳人で、本名を吉朗といいます。
 
本職は鉱山博士でした。俳句の師匠は高浜虚子です。
 
 
このごろや 春月高く 地中海
 
春の月 大いなりけり 書庫の上
 
春月に ものいうてゐる 子供かな
 
春月も すさまじ古き 杉の上

 
 

(4)山口誓子の「春の月」の俳句

 

 
山口誓子(せいし)は京都の俳人で、本名は山口新比古(ちかひこ)という男性です。
 
ホトトギス派を代表する「ホトトギス四S(シイエス)」の1人でしたが、後に水原秋桜子についてホトトギスを離脱しました。
 
「ホトトギス四S」は、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十です。
 
春の月 海ある方へ 犬走る
 
春月の 下ゆく汽車の 煙の束
 
春月の 出づるに間あり 堀の暮
 
別るべき 家や春月 幹にさす
 
春月の 照らせるときに 琴さらふ
 
石橋に 春月の光 さしかゝる

 
 

(5)高野素十の「春の月」の俳句

 

 
高野素十は茨城県出身の俳人で、本業は医師でした。
 
東京帝国大学医学部在学中に先輩だった同じく医師の水原秋櫻子に出会い、秋櫻子のすすめで句作を始めました。
 
「ホトトギス四S(シイエス)」の1人です。
 
 
春の月 ありしところに 梅雨の月
 
田の上 に春の月ある 御社
 
春月や 室生寺の僧ふ ところ手
 
春月や畑の蕪盗まれし

 
 

(6)飯田蛇笏の「春の月」の俳句

 

 
飯田蛇笏(だこつ)は山梨県出身の俳人です。本は武治(たけはる)、別号は山廬(さんろ)です。
 
高浜虚子に師事し山梨の山村で暮らしながらも格調の高い句を作り続け、大正時代の「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍しました。
 
俳誌「雲母」を主宰しています。山梨県出身で、同じく俳人の飯田龍太は蛇笏の息子です。
 
 
ゆく春の 月に鵜(う)の鳴く 宿りかな
 
土屋より 暮春の月の 上りけり
 
春月に ふところひろき 名所山
 
起居なれし 疎開夫人に 春の月

 
 

(7)日野草城の「春の月」の俳句

 

 
日野草城(ひのそうじょう)は東京出身の俳人で、本名は克修(よしのぶ)、ホトトギスで俳句を学びました。
 
俳句雑誌にフィクションの新婚旅行の俳句を10句載せて師匠の高浜虚子に激怒され、「ホトトギス」を除名されました。
 
当時の俳句は、フィクションやエロティシズムの句はダメと厳しかったのです。京都東山の「ミヤコホテル」に泊まっていないのに新婚旅行に行ったという設定で句作をしたのが批判されました。
 
虚子とは、晩年に和解できたようです。
 
 
春の月 うすき帷は 影ばかり
 
春の月 くもりて冴えて 更けにけり
 
春の月 ふけしともなく かがやけり
 
春の月 水のおもてに とゞきけり
 
春の風 薄暮の月の 幽かなる

 
 

(8)大野林火の「春の月」の俳句

 

 
大野林火は神奈川県生まれの俳人です。本名は正(まさし)。東京帝国大学経済学部卒で臼田亜浪に師事し、俳誌「石楠」に俳句や評論を発表しました。
 
抒情的な作風の俳句を多く残し、俳誌『浜』を創刊したり後進の指導にあたる活躍をしました。
 
1953年には俳人協会会長に就任しています。
 
 
幾十の 切株の上の 春の月
 
春の月 米磨ぐ音の 中に出る
 
城ある町 春三日月を 舟型に
 
春の月 米磨ぐ音の 中に出る
 
春三日月 かすかにひかる 鳩の巣に

 
 

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