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日本人は昔から四季折々の季節感のある植物を文学・芸術に取り入れてきました。
 
 
冬の季語になる植物といえば・・・
 
 
早梅・寒菊・枯菊・山茶花・水仙・冬菜・葱(ねぎ)・大根・蕪・南天・万両
 
 
そして、椿(つばき)
 
 
冬になると、生垣に赤や白の色鮮やかな椿の花が目立つようになりますね。白い雪と深紅の椿の色のコントラストが、とても美しいです。
 
 
今回は椿を季語に使った俳句をご紹介します。

 
 
 

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香りのない花・椿

 

 
椿は香りがない花として知られます。
 
 
そして、椿の花は枯れるとき、花びらがしおれる前に首の根本からぽろりと地面に落ちます。
 
 
それを縁起が悪いと武士が嫌ったという説がありますが、実際はそういうところが潔(いさぎよ)いと好まれていたとも伝わりますよ。
 
 
私なら、凛としてかっこいいと思いますが・・・
 
 
そういう性質からつけられた花言葉は「謙虚な美徳」です。
 
 
絵画や陶芸のモチーフに使われることも多く、茶道でも冬の茶花として好まれ茶室を彩ってきました。

 
 

椿の季語いろいろ

 

 
椿はとおい昔の奈良時代の「日本書紀」に、神聖な樹木として登場しています。
 
 
日本人にはかなり昔から認識されていたようです。
 
 
文学的にも古く、すでに「万葉集」でうたわれています。
 
 
俳句で用いられる場合、赤椿・白椿・寒椿・玉椿・落椿など、椿の様子をふくめた季語として使われることが多いですよ。
 
 
5文字の季語になるので、使いやすいですね。

 
 

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(1)正岡子規の椿の俳句

 

 
近現代俳句の祖・正岡子規は生涯にたくさん俳句や短歌を残しています。
 
子規についてはこちらを⇒正岡子規と5つの有名俳句
 
 
一つ落ちて 二つ落たる 椿哉
 
くたひれを やすめる道の 椿哉
 
山椿 昼間の月の 白さ哉
 
くたふれて 立とまりたる 椿哉
 
うつぶせに 椿ちるなり 庭の隅
 
おびたゞしく 椿散けり 馬繋
 
お百度や 落ちた椿を 拾ふちご
 
宮守の はき集めたる 椿かな
 
このごろの 夜の朧さや 白椿
 
ひねくりし 一輪椿 活け得たり
 
ほつたりと 笠に落ちたる 椿哉
 
ほろほろと 椿こぼるゝ 彼岸哉

 
 

(2)高浜虚子の椿の俳句

 

 
高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。
 
 
柳原極堂が創刊した俳誌「ホトトギス」を引き継いで、俳句だけでなく和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として発展させました。夏目漱石など小説家からも寄稿をうけています。
 
 
落椿 投げて煖炉の 火の上に
 
こゝに又 こゝた掃かざる 落椿
 
囀りの 高まる時の 落椿
 
大空に うかめる如き 玉椿

 
 

(3)水原秋櫻子の椿の俳句

 

 
水原秋櫻子(しゅうおうし)、名前に「秋桜(コスモス)」が入って美しいですが、本名は水原豊という男性の俳人です。
 
 
高浜虚子に俳句を学んでいましたが、後に離反しました。
 
 
ホトトギス派の代表といわれた「ホトトギス四S(シイエス)」の1人です。「ホトトギス四S」は、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十の4人ですよ。
 
 
おぼろにて 一樹紅白の 落椿
 
磯魚の 笠子魚もあかし 山椿
 
竹外の 一枝は霜の 山椿
 
八重椿 漁港二月の 風鳴れど
 
玉椿 海の日の出は 靄ふかし
 
うつし世に 浄土の椿 咲くすがた

 
 

(4)山口青邨の椿の俳句

 

 
山口青邨(やまぐちせいそん)は岩手県出身の俳人で、本名を吉朗といいます。
 
本職は鉱山博士でした。俳句の師匠は高浜虚子です。
 
 
うすらひに 浮むともなく 落椿
 
どの室も 椿を活けて 島の宿
 
はなやかに 沖を流るる 落椿
 
わが性の 淋しき道へ 落椿
 
山風に 挿したる椿 傾きぬ
 
松は松 椿は椿 冴えかへる

 
 

(5)飯田蛇笏の椿の俳句

 

 
飯田蛇笏(だこつ)は山梨県出身の俳人です。本は武治(たけはる)、別号は山廬(さんろ)です。
 
高浜虚子に師事し山梨の山村で暮らしながらも格調の高い句を作り続け、大正時代の「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍しました。
 
俳誌「雲母」を主宰しています。山梨県出身で、同じく俳人の飯田龍太は蛇笏の息子です。
 
 
あさり足る 鵯さへづれり 山椿
 
西霽(は)れて 窓の木がくれ 白椿
 
八重椿 蒼土ぬくく うゑられぬ
 
ぱらぱらと 日雨音する 山椿
 
はなびらの 肉やはらかに 落椿
 
植ゑるより 金蜂花に 紅椿

 
 

(6)日野草城の椿の俳句

 

 
日野草城(ひのそうじょう)は東京出身の俳人で、本名は克修(よしのぶ)、ホトトギスで俳句を学びました。
 
俳句雑誌にフィクションの新婚旅行の俳句を10句載せて師匠の高浜虚子に激怒され、「ホトトギス」を除名されました。
 
当時の俳句は、フィクションやエロティシズムの句はダメと厳しかったようです。京都東山の「ミヤコホテル」に泊まっていないのに新婚旅行に行ったという設定で句作をしたのが批判されました。きゅうくつですね。
 
室生犀星が「別にいいじゃん」と擁護したことで、「ミヤコホテル論争」と呼ばれる論争に発展しています。
 
虚子とは、晩年に和解できたようですよ。
 
 
紅椿 こゝだく散りて なほ咲けり
 
わがひとり さまよへば一つ 紅椿
 
ひもじくて おとなしき子や 落椿
 
一水の 迅きに落つる 椿かな
 
咲き満ちて ほのかに幽し 夕椿
 
大原路や 椿落ち添ふ 牛の糞
 
梅の雨 椿の雨の 小鳥かな

 
 

(7)大野林火の椿の俳句

 

 
大野林火は神奈川県生まれの俳人です。本名は正(まさし)。東京帝国大学経済学部卒で臼田亜浪に師事し、俳誌「石楠」に俳句や評論を発表しました。
 
抒情的な作風の俳句を多く残し、俳誌『浜』を創刊したり後進の指導にあたる活躍をしました。
 
1953年には俳人協会会長に就任しています。
 
 
白椿 うすみどり帯び 湿らへる
 
南風に 勢ひたちけり 椿垣
 
坐禅石 椿の真紅 宙にあり
 
椿まで 日のとどく昼の 頃を発つ

 
 

(8)種田山頭火の椿の俳句

 

 
自由過ぎる流浪の俳人・種田山頭火(たねださんとうか)
 
自由律俳句を代表する変人(天才?)なので、字数ルールは無視しまくりでどこで切るのかよくわからんみょうちきりんな俳句たくさん残しています。
 
彼のような俳人もいるので、思い切って自由に作るのもおもしろいかもしれません。(先生の添削を受ける場合はおすすめしませんが)
 
彼の俳句はその生き様を知ってこそ生きてくると思います。私は好きです。
 
 
いちりん挿の 椿いちりん
 
のれにこもる 藪椿 咲いては落ち
 
ぬくうてあるけば 椿ぽたぽた
 
ひらくより しづくする椿 まつかな
 
借せといふ 貸さぬといふ 落椿

 
 
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