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こんにちは、このかです。
以前、松尾芭蕉の『奥の細道』東北紀行で、那須の「殺生石」のことを取り上げました。
退治された「九尾の狐」の変化した石のことでしたよ。
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芭蕉『奥の細道』の「殺生石」は今も健在?九尾の狐(玉藻の前)伝説とは
「殺生石」は、謡曲になっているのですが、この近くにもう1つ「遊行柳」(ゆぎょうやなぎ)という謡曲の題材になった柳があります。
芭蕉は、「殺生石」を見に行った後、栃木県の蘆野の里に下りて、この「遊行柳」を観光しています。
松尾芭蕉、「遊行柳」を見て西行を想う
出典:「さわやか那須便り」
謡曲『遊行柳』は、鎌倉時代の僧・一遍(遊行上人)が、「柳の精」に出会うというファンタジックなお話です。僧・一遍が、「柳の精」に西行が詠んだ「朽木の柳」へ案内されるというくだりがあるのです。ちなみに、この「柳の精」、キレイなおねえさんではなくて、老人の姿をしているのですよ。なかなかシブいです。
「謡曲」というのは、室町時代にできた「能」の台本のようなものですが、この「謡曲」だけを演奏付きで語る場合も多かったのでした。
その謡曲『遊行柳』に、西行が登場してるんですねー!
あの西行法師ですよ!!!
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「西行法師」の生き様が超絶クールなわけ!桜と月に魅せられた放浪の歌人
芭蕉がリスペクトしていて、私もリスペクトしている「漂泊の歌人」です♥
『奥の細道』でも、芭蕉は西行の名を出しています。
道のべに 清水ながるる 柳かげ
しばしとてこそ 立ちどまりつれ (西行)
「ようやく、西行法師の歌に詠まれた、この柳のかげに、立ち止まることができたんだなあ~♪」
と、芭蕉が、時を忘れて物思いにふけっている間に、目の前で働く早乙女たちは、田んぼ一枚分の田植えを終わらせていました。
彼女たちの立ち去る姿を見て、芭蕉は、ここで一句詠みます。
田一枚 植えて立去る 柳かな (松尾芭蕉)
田植えをしているのは、幾つかの資料から、男性ではなく女性だろうと解釈されています。それで「早乙女」となるわけですよ。
でも! 「植えて立去る」の立ち去ったのは、早乙女たちなのか、芭蕉なのか、はたまた、西行なのか?
ここは、識者の間でも意見が分かれるところなんですね。
あなたは、どう解釈しますか?
私は、「西行」です、やっぱり。(笑)
ときを忘れて西行への物思いにふけっていた芭蕉が、ふと我に返って現実に戻ったとき、その想いと共に西行が去っていったという感じで、とらえたいのでした。
おわりに
2つの「謡曲」のお題となった名所観光ができて、芭蕉と曾良は、那須野を満喫できたと思います。
東北地方は、素敵ですね~♪
いつか行きたいと思ってます。
西行や芭蕉の史跡が残っていますし、宮沢賢治のイーハトーブもここだし、『遠野物語』の遠野の里もありますね。奥州藤原氏の平泉にも、伊達政宗の仙台にも行ってみたいです。一度に全部は、とても無理ですけど・・・。
西行ゆかりの柳を見ることができて、芭蕉はうれしかったでしょう。
当時は、今のように、気軽に旅行ができるわけではありません。田舎に旅にでるなんて、すごく危険だったのです。
この後、芭蕉と曾良は、いよいよ奥州路の玄関口「白河の関」に向かいます。
芭蕉は、『奥の細道』の第1章で、「白河の関を越えたいものだ」と書いていますよ。
江戸人にとって、ここから先が「みちのく」というイメージが強かったようですね。
芭蕉の東北紀行は、まだまだ続きますよー(^^)♪
でも、今回は、ひとまずこれにて失礼します。
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