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谷崎潤一郎には有名な作品がたくさんありますが、なかでも『春琴抄』の名前を目にする人は多いのではないでしょうか。
 
 
身近な本屋に並んでいたり、映画や漫画にもなったりしていますね。
ちなみに私は、山口百恵ちゃんと三浦友和の映画が気になっています……(’▽’)
 
 
それはとにかく『春琴抄』は発表当時(昭和八年=一九三三年)から、川端康成に
「ただ嘆息するばかりの名作で、言葉がない」
といわれたほどの作品です!
 
 
私は最初、「琴・三味線の師匠をやっている」というヒロインのキャラクターや世界観に、ノスタルジーを感じました。
 
 
ですが、この作品の魅力は、何よりも作者の「語り」にあります!!
 
 
今回は、そんな『春琴抄』のあらすじを確認し、面白いポイントを紹介していきます。

 
 

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主な登場人物

 

 
  (本名は不明)
 
話をすすめていく語り手。冒頭で琴と佐助の墓を訪れる。
 
 
鵙屋琴(もずや こと)
 
大阪の裕福な薬屋の、二番目の娘。1829年生まれ。
「容姿端麗」だったが、9歳のころに失明。それから琴と三味線の才能をのばしていく。師匠に春琴の名を与えられてから20歳で独立。
本名は琴だが、作品の中では春琴と書かれがち。
 
 
温井佐助(ぬくい さすけ)
 
春琴より4つ年上で、彼女の家の丁稚(でっち)をしていた。三味線に打ちこみ、のちに検校(けんぎょう)となる。
 
 
鴫沢てる(しぎさわ てる)
 
1874年頃から、佐助に音曲を習う。春琴と佐助の2人に仕えた女性。

 
 

『春琴抄』の簡単なあらすじ


 
大阪の薬種商人の家に生まれた春琴(しゅんきん)は、9歳の時に視力を失いながらも美貌と才気に恵まれ、琴三弦(三味線)の名手とうたわれる地唄の師匠になります。
 
 
そんな春琴に憧れ慕った奉公人の佐助は、かいがいしく春琴の世話をするようになり三味線の弟子になります。
 
 
やがて、ある事件が起こり、佐助は師・春琴への献身と敬慕から、自らの眼に針を刺し……。

 

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『春琴抄』の詳しいあらすじ

◆「私」の墓参り


 
書き出しはこうです。
 
 

春琴、ほんとうの名は鵙屋琴(もずやこと)、大阪道修町の薬種商の生れで没年は明治19年10月14日、墓は市内下寺町の浄土宗の某寺にある。先達(せんだって)通りかかりにお墓参りをする気になり立ち寄って案内を乞うと、……

 
 
「私」なる人物が、大阪市内にある春琴と佐助の墓を訪れます。
 
 
春琴のお墓が約六尺=180メートルくらいあるのに対して、佐助のは四尺に足らぬほど=120メートルほどだったといいます。
 
 
「私」は二つの墓を見て思うのでした。

 
 

それを見ると生前検校がまめまめしく師に仕えて影の形に添うようにこしょうしていた有様が偲ばれあたかも石に霊があって今日もなおその幸福を楽しんでいるようである。

 
 
これからの物語を予感させるような文章ですね。
 
 

◆出会い

 

 
※「私」は、どこからか『鵙屋春琴伝(もずやしゅんきんでん)』という小冊子を手に入れます。
 
 
ここからは、主に
 
 
この小冊子の内容&鴫沢てるの話&「私」の推測によって、話がすすんでいきます。
 
 
春琴はお金持ちの商家に生まれた美貌の娘ですが、9歳のころ失明してしまいます。それから舞をあきらめて琴や三味線=糸竹の道にはげみました。
 
 
そして、彼女が師匠のもとへ稽古に行くときのお供が、佐助(さすけ)でした。
 
 
佐助の実家は春琴の家の家来筋にあたるもので、二人の間にははっきりと主従関係がありました。

 
 

◆カゲキなお稽古

 

 
佐助ははじめて春琴を見たときに「盲目の春琴の不思議な気韻に打たれ」ました。
 
 
13歳のころからずっと憧れ、崇拝していたのです。
 
 
じつは、春琴の「意地悪さ」はこのころから芽生えていたようです。それも、佐助に対してだけわがままになり、彼もそのわがままを喜んで聞きます。
 
 
佐助の憧れは、彼女と同じように目を閉じて三味線を弾きたい,同じ「暗黒世界」を過ごしたいという欲に変わります。まわりの大人たちのすすめもあり、春琴を先生として三味線をならいはじめるのです。
 
 
それは、まだ子ども同士の「学校ごっこ」のはずでした。
 
 
しかし二人はだんだん真剣になり、曲がうまく弾けないときの佐助は、春琴に罵倒されたり殴られたりしてよく泣きます。
 
 
芸の世界のきびしい師弟関係だけでなく、春琴の加虐性(一言でいうと、Sっぷり)が描かれていますね。(彼女がそうなるように仕向けたのは佐助だ、とも。)
 
 
彼らの関係は不思議で、「主従とも相弟子とも恋仲ともつかぬ」何ともいえないものでした。
 
 
春琴が佐助そっくりの男の子を産んだときですら(!)、結局うやむやになってしまいますしね……
 
 
彼女はとにかく気が強かったのです。

 
 

◆春琴の独立・彼らの生活

 

 
春琴は20歳のときに実家を出て、琴・三味線の師匠として独り立ちします。もちろん佐助もついていきました。
 
 
彼女の音楽の才能と美貌は、世間の評判です。
 
 
しかし春琴は内面(うちづら=自宅でのふるまい)が悪く、日々の食べ物や衣服,化粧品、小鳥を愛する「小鳥道楽」などにお金をつぎこみました。
 
 
身のまわりの世話はすべて佐助にやらせ(食事もトイレもお風呂も!)、一人だけものすごーーーーくぜいたくな暮らしをしたので、弟子たちはやりきれない思いだったでしょう……。
 
 
また、音楽を習いたいとやって来る人たちも、きびしすぎる稽古についていけません。彼女はいわば「軽いノリ」を許さなかっただけといえるのですが、手癖の悪さも災いして恨まれるようになります。
 
 
そしてついに、衝撃的な出来事が……!

 
 

◆お湯かけ事件

 

 
三月のある夜、春琴は何者かに熱湯をかけられます(;゚Д゚)。
 
 
一体誰にされたのか。様々な候補者はいるのですが、真相はわかりません。
 
 
美しかった顔が、無残にも傷ついてしまいました。
 
 
(この出来事は何ページにもわたってくわしく書かれており、作者の気合いが感じられますね!!)

 
 

春琴が見られることを恐れたごとく佐助も見ることを恐れたのであった

 
 
気の強かった春琴がまるで別人のようになって悲しむのを見ると、佐助の胸にある決心がおこります。
 
 

お師匠様私はめしいになりました。もう一生涯お顔を見ることはござりませぬと彼女の前に額づいて言った。佐助、それはほんとうか、と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思していた佐助はこの世に生まれてから後にも先にもこの沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった

 
 
つまり、彼は自分の両眼に針を突きたてて、春琴と同じ盲目になることを選んだのです。
 
 
みにくくなった春琴の顔を永遠に見ないように、と。

 
 

◆佐助の幸福

 

 
佐助が盲目となったあとも、彼らの生活は変わりません。
 
 
春琴は、あいかわらず佐助だけに世話をさせます。佐助も、どんなにいそがしいときでも彼女の機嫌をとることを最優先し、ひたすら尽くします。
 
 
このころ、春琴は「春鶯囀」(しゅんおうてん)と、「六の花」(むつのはな)という二つの曲をつくりました。
 
 
また、佐助は「目がみえなくなってから、お師匠様の美しさや三味線のお上手さがはじめて本当にわかってきた」といいます。
 
 
こうして彼らは、恋愛においても芸術においても充実した生涯を送った…………
 
 
 
 
と、「私」は推測します。

 
 

『春琴抄』のワナ

 

 
ここまでざっくりと簡単なあらすじをみてきました。どんな印象をもちましたか?
 
 
『春琴抄』の面白さは、話の内容がぶっとんでいることだけではありません。
 
 
今から、本作品を読むにあたって気をつけたいポイントを二つ紹介します。もしかしたら、読書感想文や論文を書くためのコツがあるかも……!?

 
 

◆文章の特徴


 
この話をはじめて読んだとき、「段落もないし、句読点が少なくて超絶読みにくい!(# ゚Д゚)」と思いませんでしたか?
 
 
じつは、作者・谷崎潤一郎が読者にそう思わせるように書いたのです。
なので、読みにくさを感じれば感じるほど、作者の思いどおりだということに……。
 
 
谷崎の『文章読本』というのエッセイの中で、種明かしがされています。

 
 

私の点(句読点)の打ち方は、一、センテンスの切れ目をぼかす目的、二、文章の息を長くする目的、三、薄墨ですらすらと書き流したような、淡い、弱々しいこころもちを出す目的などを、主眼にしたのでありました。

 
 
「主眼にした」とは、「いちばん大切にした」という意味です。
 
 
つまり、この三つの目的を達成するために、わかりにくい文章になったのでした。
 
 
では、わざわざ読みにくくしたことでどのような効果が出たのでしょうか。

 
 

◆語り手は何者?


 
あらすじでもお伝えしたように、物語は「私」という人物が過去のことを語っていくかたちですすみます。
この人は何者なのでしょう。
 
 
この語り手は『鵙屋春琴伝』をはじめとして、色々なところから二人の情報をもってきます。鴫沢てるの話もそうです。
 
 
『春琴抄』は、そのような「情報」と、語り手の「想像」だけで成り立った作品だといえるでしょう。
 
 
どこからどこまでが誰からの情報で、「私」の考えはどこからはじまっているのか。切れ目のない文章で書かれていると、それらがあいまいになります。
 
 
だから私たちは混乱してしまうのです……。(自分で句読点やかぎかっこをつけて読むと、わかりやすくなりますよ(^_-)-☆)
 
 
 
※また、じっくり読んでみると「私」が意外に無責任なことをいっているのがわかります。
 
 
「~という」「~のであろう」「察するところ」などのいいまわしが多く、語り手も、春琴と佐助についてよく知らないのでしょう。
 
 
「けれども」もよく出てきます。一度言ったことを否定して、ああでもないこうでもないと推測しているのです。
 
 
(じつは、この語り手は二人の間に産まれた子どもではないか、という説があります。そのように考えてみても面白いですね……!)

 
 

まとめ


 
以上、『春琴抄』のあらすじとポイントでした。
 
 
なんだか、彼らの間には共依存のような関係がありそうですね。
 
 
春琴はサディスティックな女王様タイプに見えるかもしれません。しかし、彼女がそのようになったのは佐助のせいでもあると読み取れますね。
 
 
そして謎の存在「私」の語り方が、話をさらにややこしくしているような……(-“-)
 
 
ただ、春琴とは、佐助によってつくられた美であることはほぼ間違いないでしょう……。

 
 
【 ライター:百華🍑 】
 




 
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