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こんにちは、このかです。
 
 
今回は、谷崎潤一郎の代表作というか「日本の美」の代表作ともいえる『陰翳礼讃』について。
 
 
この作品は、谷崎お得意のフェチでもマゾでもなく、彼が「美」について書いた随筆のような評論のような作品です。
 
 
「日本の美」が好きなら、是非度もご一読ください!
 
 
浅く読むと、比較して西洋美を批判しているように感じますが、そうではなく、もっと本質的な違いを鋭く見据えた芸術論です。
 
 
谷崎潤一郎は、もともと若い頃、大の西洋かぶれでした。
 
 
それが、ある時期から日本文化に回帰したのです。私もこのコースをだどっているのでよくわかります。西洋文化を少し突っ込んで学ぶと、なんか違和感を感じるのです。
 
 
これは育った環境からくる違和感だと思います。「日本」という環境で生まれ育つと、ベルサイユ宮殿の調度のようにキラキラゴテゴテした芸術に疲れを感じるのです。
 
 
陰翳(いんえい): 陰影、つまり、光の当たらない陰の部分
礼讃(らいさん): 敬いほめたたえること

 
 
光ではなく「暗闇」を礎に育まれてきた日本人特有の美意識について、谷崎が語った短編をご紹介します。

 
 
 

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純日本家屋の「陰翳」を味わうのは現代は難しい

 

 
谷崎は関東大震災で関西の芦屋に移り住んでから、兵庫県の山の手でなんどか引っ越しをしています。「家屋」のしつらえには、かなりのこだわりがありました。
 
 
彼は電気やガス等の近代文明や、タイルなどピカピカ輝くものを使う西洋技術を取り入れない「純日本家屋」に対する思い入れがめちゃくちゃ強い人なのです。
 
 
普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住もうとすると、電気や瓦斯(ガス)や水道の取附け方に苦心を払い大変だということですが、確かに「木」と「土」の文化は、ガス・電気・水道とはなじみません。
 
 
電灯にシェードをかけるより、いっそ裸電球にした方が味わいがあるとか、扇風機は日本風家屋には溶け込まないとか、谷崎流の美しい日本家屋について、たくさん述べています。

 
 

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理想の厠(かわや)は「陰翳」あってこそ?

 

 
特に、厠(かわや)に対する思い入れは強く、『厠のいろいろ』と別の短編として表すほどでした。
 
 
厠(トイレ)をこれだけ真面目に、あの流麗な文章で語っているところが、なんともおもしろくて笑えます。
 
 
現代のトイレは「風雅」で「花鳥風月」とは程遠い存在になってしまっている、厠とは「ある程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが必須条件」なのだそうです。
 
 
トイレが明るすぎて、真っ白な壁に真っ白なつやつや便器では、自分の排泄物が際立って見えるからだめとかいうのがおもしろいです。あくまで暗がりで、周りの闇に溶け込むようなうすぐらい色彩の中で用を足すのが理想なのだとか・・・
 
 
自分で家を建てたときは、ピカピカタイルを使わず、床には楠の板を張り詰めたけれど、水洗式の便器は妥協せざるを得なかったそうですよ。

 
 

「陶器」より「漆器」の美を愛でたい

 

 
西洋人は食器などでもピカピカに研き上げるけれど、われわれはああいう風に研きたてないと、食器や貴金属についての考え方も違うと書いています。
 
 
他に西洋と日本の「紙」の白さの違いや、身近な日用品を取り上げて、「陰」のあるものをひた賛えています。

「日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明かりの中においてこそ、初めて本当に発揮されると云うことであった。」【出典元『陰翳礼讃』】

「闇」を条件に入れなければ、漆器の美しさは考えられないと言います。確かに、明るい蛍光灯の灯りの元では、漆器は野暮臭い感じがしますね。でも、我が家も、ほとんどの器が陶器のものです。
 
 
でも、和紙を巻いたぼんやり明るい間接照明の空間の中でこそ、漆器のお椀の暗いつやが引き立つというのは想像できますね。
 
 
谷崎は、京都の「わらんじや」という料理屋の狭い茶席を取り上げているんですけど、東山にある「わらじや」のことでしょうか。
 
 
同じお店なのか、よくわかりません。
そのお店だったら、是非、夜に行ってみたいです。

 
 

漱石先生の大好物「羊羹」の陰翳美を語る

 

 
夏目漱石にとって「羊羹」はただの甘味ではありません。
 
 
胃潰瘍で血を吐いて倒れてもやめられない至極の逸品で美術品だったのです。
 
 
それは、その「羊羹」が間接照明に淡く照らされ、美しい漆器の器と合わさってこその美なのでした。
 
 
それについて、谷崎はこう表しています。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。
 
玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。
 
クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。
 
人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。
 
【出典元『陰翳礼讃』】

「羊羹礼讃」です・・・
これだけの文章でよく語れるものですね、脱帽!

 
 

日本人の肌の「白さ」は西洋人の「白さ」と異なる

 

 
日本人の肌は、西洋人より白い人もいるけれど、その白さの中に陰があってやはり違うのだそうです。
 
 
「能」の舞台の証明と衣装があることで、美少年の能役者の肌理の細かさが引き立てられ、女の肌とは違った蠱惑を含んでいるように見えるなどなど、肌の美については、絶好調のきわどい耽美表現が続きます。さすが!( ̄▽ ̄)

 
 

おわりに

日本人が、西洋文化をまねた文明の利器を取り入れた事で、失ったものは多いと気づかされます。
 
 
谷崎潤一郎は、これを書いたのは、われわれがすでに失いつつある「陰翳の世界」を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたいと思ったからだそうです。
 
 
でも、その陰翳礼讃は、日本の高級旅館、高級料亭に、ひっそりと引き継がれていると思います。

 
【参考】
『陰翳礼讃』青空文庫

 

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