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菊、撫子、萩などなど、秋を代表する花々は、情緒のある涼やかなイメージのものが多いですね。

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今回はかわいらしい秋の花、「秋桜(コスモス)」を詠んだ俳句をご紹介します。
 
 

秋の桜と表す「コスモス」

 

 
コスモスは漢字で和名を「秋桜」と表すことが多いですね。
 
 
でも、本来「秋桜」はそのまんま「あきざくら」と読んだのですよ。
 
 
これをコスモスと一般的に読むようになったのは、山口百恵さんが歌ったヒットソングの影響なのだそうです。
 
 
日本には、明治時代初期に外来種として入ってきた新しい植物です。だから、俳句に季語として使われるのも明治以降なのでした。
 
 
でも、今ではすっかり「秋の花」代表なので、俳句に使われることも多いです。

 
 

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(1)高浜虚子の「コスモス」の俳句

 

 
高浜虚子は愛媛県出身ですが、長く神奈川県鎌倉市で暮らした俳人です。
 
 
柳原極堂が創刊した俳誌「ホトトギス」を引き継いで、俳句だけでなく和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として発展させました。夏目漱石など小説家からも寄稿をうけています。
 
 
コスモスの 花吹きしなひ 立もどり
 
コスモスの 花遊びをる 虚空かな
 
コスモスの よく動きゐる 花の数

 
 

(2)水原秋櫻子の「コスモス」の俳句

 
水原秋櫻子、名前に「秋桜(コスモス)」が入って美しいですが、本名は水原豊という男性の俳人です。高浜虚子に俳句を学んでいましたが、後に離反しました。
 
 
ホトトギス派の代表といわれた「ホトトギス四S(シイエス)」の1人です。ちなみに、「ホトトギス四S」は、水原秋櫻子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十の4人です。
 
 
コスモスの およそ百輪 色同じ
 
コスモスの 晴れといはばや 嵐あと
 
コスモスも すがれる蝶も 露しとど
 
コスモスの 雨ありけらし 朝日影
 
コスモスや 花おとろへず みだれそめ
 
コスモスを 離れし蝶に 谿深し

 
 

(3)高野素十の「コスモス」の俳句

 

 
高野 素十(たかのすじゅう)は、茨城県出身の俳人で医師でした。
 
 
高浜虚子に師事し、虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践した人です。「ホトトギスの四S」の1人と称されました。
 
 
コスモスの 花のとびとび 葭の中
 
コスモスの 倒れ倒れし 花の数

 
 

(4)山口青邨の「コスモス」の俳句

 
 
山口青邨(せいそん)は岩手県出身の俳人で本名は吉朗といいます。本職は鉱山学者で、師匠は高浜虚子でした。
 
 
コスモスの いよよみだるる 影も添ひ
 
コスモスの 君と言はれし 人思ふ
 
コスモスの 天にのぼらん 如く揉む
 
コスモスの 一輪月に とどきたる
 
コスモスに かくれんばかり 教会は
 
コスモスの 月夜月光に 消ゆる花も
 
コスモスの 白き空にて うちそよぎ
 
コスモスの 白ばかり咲く ことし又
 
コスモスの 擾乱(じょうらん)月夜 茫々と

 
 

(5)日野草城の「コスモス」の俳句

 

 
日野草城は東京出身の俳人で、本名は克修(よしのぶ)、ホトトギスで俳句を学びました。
 
 
俳句雑誌にフィクションの新婚旅行の俳句を10句載せて師匠の高浜虚子に激怒され、「ホトトギス」を除名されました。当時の俳句は、フィクションやエロティシズムの句はダメと厳しかったようです。
 
でも、虚子とは、晩年に和解できたそうです。
 
 
コスモスや 夜目にもしるき 白ばかり
 
コスモスや 妻がやさしく 子がやさしく
 
コスモスや 客に恋はるゝ 湯女頭
 
コスモスや 茶室を罷る 三五人
 
引き据うる 古び盥や 秋ざくら

 
 

(6)中村汀女の「コスモス」の俳句

 

 
中村汀女は、本名は破魔子(はまこ)という女性の俳人です。
 
昭和を代表する女流俳人でした。
 
 
コスモスの 夜の花びらの 冷えわたり
 
コスモスの 広きみだれに 夜のとばり
 
コスモスの 夜は一色に 花そむき
 
常にわが コスモスは彼の 花圃の花
 
コスモスを はなれぬ蝶と 貨車群と

 
 
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