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中島敦の「山月記」はとても有名な作品ですね。
でも、なんとなく「主人公が虎になった!」というは分かるんだけど「変身した理由は?」と聞かれるとあやふやだったりします。
「山月記」は、漢文(漢学)マスターの中島敦が書いた、「人虎伝」という中国のお話を元にアレンジしたものです。
こういう作品は、「元の作品と違う点」が、筆者のいちばん伝えたい事なんですよ。
あらすじをご紹介しながら、2つの作品の違いに注目していきましょう♪
目次
「山月記」のあらすじ
「山月記」の舞台は、唐の時代の中国です。
主な登場人物は、李徴(りちょう)とその親友の袁傪(えんさん)の2人ですよ。
(1)プライド高い李徴が発狂してしまった!
李徴(りちょう)は、若くして高級官僚になりました。博学な秀才でしたが、かたくなでプライドが強く、役人の身分に満足していませんでした。意識高い有能な人にありがちな性質ですね。
それで、彼は官職を辞めて「詩人」として名を上げようと思い立ち詩作に没頭しましたが、思うように名声は上がりませんでした。
李徴は仕方なく妻子を養うために地方の小役人になりましたが、以前、自分が愚鈍だとバカにしていた者たちの下で働くのは、李徴にとってものすごく屈辱的なことでした。
彼は公用で旅に出たときにとうとう発狂して、叫びながら飛び出してしまいました。そして、そのまま山の中に消えて行方知れずになってしまったのです。
(2)「虎」になった李徴が親友の袁傪と再会!
翌年、李徴の親友だった高官の袁傪(えんさん)が、公用で南方を旅しました。
袁傪(えんさん)が地方の宿屋をまだ朝暗いうちに出ようとしたところ、「人食い虎」が出るから白昼にした方がよいと止められました。でも、大勢なので大丈夫だよと振り切って出たところ、1匹の虎が草むらから躍り出たのです。
虎は身をかわして草むらに隠れました。袁傪はその草むらから「危ないところだった」と繰り返しつぶやく声を聞きました。
その声の主が友人の李徴だとわかり、袁傪はびっくりしました!
正体がバレた李徴は、姿を隠したまま語り始めました。
「一年ほど前、如水のほとりに泊まったとき、誰かに名を呼ばれたのだ。無我夢中で走っていくと、山林に入り込んでいき、いつの間にか虎になっていたのだ。」
「始めは夢だと思ったが、そのうちなぜ自分は以前人間だったのだろうかと思うようになり、獣や人を襲って食らう、虎としての意識が強くなってきた。」
(3)李徴の頼みとは?
「ところで君に1つ頼みがある。自分がまだ記憶している数十の詩編を、書き残しておいてくれないだろうか。」
李徴にそう頼まれた袁傪(えんさん)は、部下に命じてそれを書き取らせました。
李徴の「詩」は詩人としての素質は確かにあると思えましたが、第一流の作品となるにはどこか微妙な何かが欠けているように袁傪(えんさん)には思えました。
「嗤(わら)ってくれ」と自嘲する李徴は、今の懐(おもい)を即席の漢詩にして述べました。
人々は、みなこの薄幸な詩人を哀れに思いました。
(4)なぜ李徴は「虎」になったのか?
李徴は話を続けました。
「こんな運命になったことについて思い当たるのは、詩で名を成そうとしながら、進んで師についたり詩友と交わり切磋琢磨しようとしなかった。かといって、俗物の仲間に入る気にもならなかった。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のせいだ。」
「人間は誰でも猛獣使いでその猛獣は性惰だというが、己の場合この尊大な羞恥心が猛獣、つまり虎だった。」
「これが自分や妻子、友人を傷つけ、己の外形をこのように内心にふさわしいものに変えてしまったのだ」。
(5)李徴と袁傪の別れ
夜明けが近づくと、李徴は自分はもうすぐ虎に還るから別れなければならないと言いました。
そして、最後の願いとして、妻子には自分はもう死んだと伝えてほしい、厚かましい願いだが経済的な援助をしてくれないかと頼みました。
そして、最後あの丘に上ったら一度振り返ってもらいたいと、李徴は言い残しました。
袁傪ら一行が言われたとおりに振り返ると、1匹の虎が茂みの中から姿を現わし咆哮したかと思うと、また元の草むらに姿を消したのでした。
元ネタ「虎子伝」との違いがおもしろい!
「山月記」を書く際、中島敦は『国訳漢文大成』に所収されていた唐の李景亮の「虎子伝」という作品を参考にしました。
「山月記「との大きな違いは、ただ1つ!
李徴が虎になった理由です。
「虎子伝「の李徴は、虎になったのを思い当たることがないのかと尋ねられたとき、こう答えます。
それを、その家の者に知られ、未亡人と密会できなくなった。
そこで、風に乗じて火を放ち、一家数人をみな焼く殺してその地を去ったのだ.
『虎子伝』の李徴は、不倫が相手の家族にばれて会えなくなった腹いせに放火殺人を犯したという、ただの「ケダモノ」=虎です。
一方、『山月記』の李徴の言い分は、もっと高尚な理屈っぽいものですね。
李徴は、自分の詩の才能を認められたかったけれど、臆病で人と交わらず、尊大な態度をとり、その自負心が邪魔をして、才能を磨くことができなかったのです。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心、これは近代人の自意識を描いています。
こういう尊大な臆病者、あまり好きじゃないなーと思います。近くにいたら、うっとおしくていやですよ。
自分はできるといばっていて、実はたいしたことがない人です。でも、多くの芸術家や詩人は、こういう「心」を持ち合わせているのかもしれません。
きっと、中島敦もそうだったのでしょう。
彼は、生前かなりモテモテでしたが、気管支喘息が悪化して33歳で亡くなりました。作品が高く評価されたのは、主に没後でした。
祖父が漢学塾の先生で父親が中学(高校)の漢文の先生という漢文学者の家系で生まれ育っただけあって、年齢の割に高い教養ががうかがえる文章ですね。
コアなファンがいるのも納得なのでした。
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