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こんにちは。
私は仕事の添削物を出しに、ほぼ毎日家の近くの郵便ポストに行くのですが、そのポストの隣に、小さな祠と「お地蔵さん」があります。
どなたか、たまに、きれいなお花をお供えしているときもあるのですよ。
関西には「地蔵盆」があるので、多くの人が、お地蔵さんは子供を守ってくれる仏様と思っているようです。でも、どうして、道端に安置されているのでしょうね。
今回は、「お地蔵さん」の由来や正体を、ご紹介します。
お地蔵さんは地蔵菩薩
以前、娘が歴史の授業で、「如来と菩薩の仏像の違いって何? よくわからーん!」と、言っていたことがあります。
仏教の道にも階級があって、ややこしいんですよね。
「お地蔵さん」は、「地蔵菩薩」という仏教の「菩薩」です。
仏教の仏様は、大きく分けると、「如来」「菩薩」「明王」「天部」「垂迹」の5つあり、前から順に階級が高く、担当している役割も様々なのです。
「如来」というのは、悟りを開いて最高の境地に達した仏様のことです。
「菩薩」は、悟りを開いて「如来」になる前の修行中の存在なのです。
他に、観世音菩薩や虚空蔵菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩などがありますよ。
菩薩は、成仏を求める修行者なので、人々と共に歩み教えに導くという点で、庶民の信仰の対象となっていきました。
お地蔵さんの姿
お地蔵さんは,多くの場合次のような姿をしています。
● 地味な僧侶の姿
● 右手に魔除けの道具「錫杖」を、持っている
● 左手に宝を生み出す「宝珠」を、持っている
● 赤いよだれかけを、かけている
お地蔵さんのファッションアイテム、赤いよだれかけは、結構目立つので、目にしたことのある方も多いと思います。
これは、お参りする人に、奉納されたものなので、新しいよだれかけをしているお地蔵さんも多いです。
よだれかけが「赤色」なのは、「魔除け」の色であることと、「生命力に富む」色だからといわれます。
生まれてすぐの人間は、エネルギー(生命力)満タンなので、「赤ちゃん」「赤ん坊」と呼ばれるのだそうですよ。
お地蔵さんの誕生
今からおよそ2500年くらい前に、インドでお釈迦様が仏教を開きました。
でも、インドには、仏教が始まるずっと前から、民間信仰の神様たちがいたんです。日本の場合と、似ていますね。
その中に、大地の恵みをもたらしてくれる「プリティヴィ」という神様がいました。
この女神様こそが、「お地蔵さん」の前身だといわれているんですよ。
仏教が開かれると、インドの神様プリティヴィは、仏教の経典の中で「地蔵菩薩」に融合されるようになったんです。
お地蔵さんは、お釈迦様から、お仕事を与えられています。
それは、
「これから弥勒菩薩が如来になって衆生を救済するまでの56億7千万年の間,六道(天道,人間道,修羅道,畜生道,餓鬼道,地獄道)で苦しむ衆生を救ってほしい。」
というものでした。
お釈迦様は,お地蔵さんに、これから長い間、いろいろなところで苦しんでいるすべての人々を救ってほしいと頼んだんですね。大変なお仕事ですよ。
六道輪廻
お釈迦様の言葉に「六道」というのが、出てきましたね。
インドなどでは、人が亡くなると、生前のその人の行いによって6つの世界のどれかに生まれ変わり、それが永遠に繰り返されるという思想が信じられていました。それを「六道輪廻」の思想といいます。
人が生まれ変わる6つの世界は、こちらです。
● 天道
● 人間道
● 修羅道(嫉妬や怒りで争う世界)
● 畜生道(人間以外の動物の世界)
● 餓鬼道(餓えと渇きに悩まされる世界)
● 地獄道
「賽(さい)の河原」の子供たちを救う逸話
お地蔵さんに、子供の守り仏のイメージが定着したのは、江戸時代に広まった伝承に由来します。
その話を、ご紹介しますね。
昔は、親より先に亡くなった子供や水子は、三途の川の「賽(さい)の河原」で、供養のために、石の塔を築くと信じられていました。
「賽(さい)」というのは、親より先に死んだ子供が親不孝の罰として、河原に積み上げる石のことを指します。
河原で石を積んでいると、鬼がやって来て積んだ石を崩します。そして、子どもが積み直すと、また鬼に崩されます。石が積み終わるまで、死んだ子どもはあの世に行くことが出来ず、父母を想いながら、河原で永遠に石を積み上げ続けなければならないのです。
それを哀れんだ「地蔵菩薩」は、賽の河原の子供たちを抱いて、錫杖の柄に取り付かせ救い出しました。そして、自分が子供たちの親となって救うと誓ったのです。
そこから、「地蔵菩薩」は、弱者、特に、子供を救う仏様という印象が強くなっていきました。
余談ですが、京都の洛外に「西院(さいいん)」という地名があります。
平安時代、そこは、「魔界との西の境目」といわれていて、その先に「三途の川」の河原があると考えられていました。「西院」の名の由来は、「賽の河原」の「賽(さい)」といわれます。
昔は、栄養状態が悪く、病気をしても治療できなかったため、庶民の子どもは死亡率がとても高かったのです。ですから、「西院の河原」には、多くの子どもの亡骸が捨てられていたのだそうです。
西院は今はにぎやかな所なんですが、平安時代は誰も住まない「都の西の果て」で、その名にはこういう悲しい由来があったのですね。
お地蔵さんと道祖神
お地蔵さんは、日本各地にたくさんあります。
他の仏像で、これほど身近に生活の中で、目にするものはありませんね。
それは、お地蔵さんが、日本古来の道祖神信仰と結びついたからなのです。道祖神というのは、自然の石や石像・石碑、つまり、道ばたの神様です。
もともと道祖神は、日本古来の民間信仰から生まれた神様で、その名の通り「旅行安全を守る道祖の神様」でした。昔は街道で追い剥ぎなどが横行し、旅はたいへん危険を伴うものだったのです。ですから、道祖神は、旅に出る村はずれや街道の分かれ道に、たくさん立てられました。
そして、村のはずれ(=村の入口)に立てられたことから、「防障・防塞の神」という性格も持つようになったのです。つまり、悪い人や疫病が村に入って、村人を困らせないようにする番人の役目ですね。
民間信仰は、基本として、不老長生・子孫繁栄・五穀豊穣など生活に密着したご利益があります。次第に、道祖神信仰にもその範囲が広がって、いろんなご利益がある神様となっていきました。
お地蔵さんまとめ
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
それでは、最後に、お地蔵さんの特徴をまとめておきますね。
★ お地蔵さんの前身は、古代インドの神プリティヴィだった
★ お地蔵さんは、仏教の「地蔵菩薩」となった
★ お地蔵さんが道端にいるのは、道祖神と結びついたから
★ 「賽の河原」の伝承で、子供の守り仏という印象が強まった
★ お地蔵さんには、いろんな種類のご利益がある
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