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こんにちは。
 
昔話で狐や狸が人を化かすシーンがありますね。狐と狸が化かし合いをするとも。
 
これ、そもそもの由来は何だと思いますか?
もとは中国の伝説で、それが日本に渡ってきたのだそうですよ。
 
中でも「九尾の狐」は、さまざまな「傾国の美女」に化けて、国を滅ぼした伝説があるのです。
 
美女が国を亡ぼすって、かなり興味深い話だけど、そんな簡単ではないでしょう。

 

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鳥羽上皇に取り付いた九尾の狐

 

 
平安時代末期、鳥羽上皇の時代に、一目見たら恋い焦がれて死んでしまうほどの美女がいるとうわさになりました。
 
 
その美女がどこからかやって来たのか、彼女の素性は誰も知りませんでした。
ただ、名前を「玉藻(たまも)の前」といいました。
 
 
恋い焦がれて死ぬほどの美女ならば、是非とも手にいれたいと思った鳥羽上皇は、玉藻の前を呼び寄せて、愛妾としてそば近くに仕えさせました。
 
 
ですが、それ以来、上皇の様子が、どんどんおかしくなっていったのです。顔色は青ざめ、眼は虚ろで、行動は落ち着きなく急に怒り出し、臣下の言葉に耳を傾けなくなってしまいました。
 
 

陰陽師がよばれる

 

 
鳥羽上皇は、いったいどうしてしまったのだろうと心配した家臣たちは、陰陽師の安倍泰成を呼んで、占わせることにしました。
 
 
そして、安倍泰成が占ったところ、鳥羽上皇に狐の妖怪がとりついていると分かったのです。
 
 
「天竺(インド)で班足王(はんぞくおう)の后となり、中国の殷の紂王(ちゅうおう)の后、妲己(だっき)となり、また、周の幽王 (ゆうおう)の后、褒姒(ほうじ)となった妖がおります。
 
 
ことごとく一国の王を惑わして、その国を滅ぼした、その妖の本性は、白面金毛の九尾の狐です。
 
 
それが今、日本に来て、玉藻と名乗っているのです。」
 
 
その占いを聞いた臣下たちは、騒然となって、すぐに安倍泰成に調伏するよう依頼しました。

 
 

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美女に化け次々と国を亡ぼす妖狐

 

 
「九尾の狐」が化けたといわれる美女は、どれもこれも人間離れした美しさで、国王を堕落させていきました。
 
 
インドの班足王(はんぞくおう)の夫人、華陽夫人(かようふじん)の話は、班足王自身が伝説上の人物なので、モデルは特にいません。
 
 
中国の殷(いん)の妲己(だっき)は、紂王の実在の寵姫で、王を堕落させ、四字熟語「酒池肉林」の元になった享楽な生活に導いた傾国の美女といわれます。
 
 
彼女は、「炮 烙(ほうろく)の刑」と呼ばれる残酷な刑を見ると、たいへん楽しそうに大輪の花のように艶やかに笑って喜んだそうですよ。
 
 
また、周の褒姒(ほうじ)は、大変美しい女性だったのに、普段はけっして笑いませんでした。あるとき、手違いで兵を集 める為の烽火(のろし)があがり、城下に兵が集まったのを見て、始めて「ほほほ」と笑ったのだそうです。
 
 
その笑顔の美しさは、光り輝くようでした。彼女の笑顔を見たいために、幽王 は有事でもないのに烽火(のろし)を上げさせるようになったのです。そんな状況が続き、次第に軍の指揮が取れなくなっていきました。そして、とうとう幽王は家臣に滅ぼされたと伝えられています。
 
 
平安時代、日本に現れた「玉藻の前」には、モデルはいたでしょうか?
 
 
一説には、鳥羽上皇の寵愛を受け、保元・平治の乱を引き起こした美福門院得子(びふくもんいんなりこ)が、そのモデルだといわれますよ。
 
 
傾国の美女は、悪女ですが、魅力的でもありますね。
 
 
男社会の中で、自分の実力(妖力ですが)で一国の王を傀儡にし、大国を滅ぼす美女なんて、すごくかっこよくないですか? ダメですか?(´・ω・)

 
 

陰陽師・安部泰成の「九尾の狐」退治

 

 
玉藻の前の元に行った安倍泰成は、「泰山府君(たいざんふくん)」の法を行いました。それは、安倍晴明ゆかりの強力な呪術でした。
 
 
その威力で、玉藻は苦しみもだえ、ついにその正体を表したのです。それは、白い毛皮にふさふさした九つの尾を持つ美しい狐の姿でした。
 
 
その妖狐は、調伏されると突然飛び上がり、遥かかなたの天空に逃げ去ってしまったのでした。

 
 

九尾の狐・東北に逃げて「殺生石」となる

 

 
九尾の狐は、その後、東北地方の那須に現れ、帝は弓の名手の上総介広常(かずさのすけひろつね)と三浦介義純(みうらのすけよしずみ)に命じ、8万もの軍隊を派遣して「九尾の狐」退治に赴きました。
 
 
そして、とうとう妖狐は射殺され、巨大な石となります。ですが、その怨念は毒気となって、それ以来、近づく人や鳥獣を殺し続けたのでした。
 
 
時はくだり、室町時代にこれを伝え聞いた名僧・源翁和尚がこの地を訪れ、術をかけた杖をさして一喝すると、巨石は3つに割れました。
 
 
3つに分かれた石の1つは会津へ、1つは備後へと飛んで行き、残った1つがこの地に残り「殺生石」として、今も語りつがれているのでした。
 
 
3つに割れて効力は薄まったかもしれませんが、「殺生石」の霊力はまだ残っています。
 
 
実は、その辺りは火山地帯なので、硫化水素や亜硫酸ガスの毒ガスが噴出しているのです。小さな生き物が死んでしまうのは、その毒ガスのせいなのでした。

 
 

殺生石は「奥の細道」にも登場

 

 
那須温泉神社の境内には、今も、妖狐の御魂を鎮めるため「九尾稲荷神社」が祀られているそうですよ。
 
 
江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉は、「奥の細道」の旅で、この地を訪れ「殺生石」について、いろいろ書き記しています。
  ↓
松尾芭蕉「奥の細道」の殺生石は今もあるの?那須の「九尾の狐伝説」