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ひな祭りは、五節句の1つ「上巳(じょうし)の節供」ともよばれます。
「節句」は、古くは「節供」という漢字が当てられていました。
(ここでは「桃の節句」「上巳の節供」と使い分けます。)
上巳の「巳」は、その文字の通り「蛇」のことです。
この節句は、「巳」という漢字の示すとおり、中国から来たものです。
もとは3月3日ではなく、3月の始めの「巳の日」に行われるものでした。
これはひな人形の元となった古代の「人形(ひとがた)流し」が水辺で行われることに由来します。
古来より、「水」の隠喩は「龍」で「龍」の化身は「蛇」とされています。
今も使われている言葉にも、それは表れています。
● 寺社の境内→「辰口の手水(ちょうず)」
● 家庭の水の出口→「蛇口」
このように、普段何気なく使っている言葉に、昔からの意味が残っているのです。
「上巳の祓」
「上巳の節供」は、もともと、自分の身を清めるため、禊ぎを行って穢れを落とすものでした。
これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」といいます。
この文化は、平安時代に日本に渡り、貴族階級に取り入れられました。
そして、川での禊ぎに変わって「人形(ひとがた)」を川に流すようになったのです。
これが「流し雛」の原型です。
この「流し雛」が、時代が下り、公家や上流武家の間で上司への贈答品となりました。
質素だった形代が、江戸時代には、豪華な飾り人形に変わったのです。
「潮干狩り」の起源となった「磯遊び」
「上巳の節供」には、古来、漁村では「磯遊び」「磯祭り」「浜降り」などという、潮干狩りをかねて海岸へ出かけ、持ち寄ったごちそうを食べる神事がありました。
現在、外遊びとして行われている「潮干狩り」は、この「桃の節句」の「磯遊び」が起源なのです。
今でも、静岡県の伊豆東部・瀬戸内の沿岸部・九州北部などでは、「桃の節句」に1日がかりで磯にでかけ、アワビやサザエなどを採って、ひな人形に供える風習が残っています。
沖縄県や奄美には、3月3日は「浜下り」という慣習があります。
この日は、女性たちだけで浜辺で酒宴を行い、男子禁制でけっして家に帰ってはいけないという禁忌があります。
その日、家にいると蛇に襲われ、蛇の子を産んでしまうという怖い言い伝えがあるのです。
一方、海から遠い農村では、野山や河原で飲食を楽しむ「山遊び」が行われていました。
そのときは、もちろんひな人形を持参して飾り、お供えをします。
このとき携帯用に持ち出されたのが、「ひなあられ」の原形といわれます。
ひな祭りの行事食や五節句の詳しい説明は、こちらにあります。
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長崎県の上五島では、「山遊び」と「磯遊び」の複合型の「山磯遊び」なるものが行われていたそうです。
いずれにせよ、水辺で身を清め、自分に降りかかる災いを人形(ひとがた)に擦りつけて流すというのは同じです。
まとめ
「巳の日」に、ひな人形の元の形「ヒトガタ」を、水に流し穢れを祓うというところから、「上巳の節供」とよばれるようになったのでした。
五つの節句は、「人日(じんじつ)」「上巳(じょうし)」「端午(たんご)」「七夕(しちせき)」「重陽(ちょうよう)」です。
それぞれに、深い意味がありますよ。(´・ω・)
★ 「桃の節句」=「上巳の節供」の「巳」は「蛇」のことだった。
★ 水(水辺)との関連が深い。
★ 「磯遊び」が「潮干狩り」の起源となった。
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