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こんにちは。
 
今回は、日本の夏の風物詩・「花火」がテーマの俳句を紹介します。
 
 
作りにくいなーと思ったら、正岡子規の俳句に多い最後の5文字を「花火なり」にするのはいがかでしょう?
 
 
「遠花火」(遠くから見る花火)というのも風情がありますよ。また、中7文字は「線香花火」が使えますよ~。

 
 

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陰暦での「花火」は「秋の季語」

 

 
夏休みに花火大会に行ったり、家族や友人たちと手持ち花火を楽しむことがあったら、俳句の題材に使えますね。
 
 
でも、「季語」を学んだ人は「花火は秋の季語なのでは?」と思うでしょう。
 
 
確かに花火は、伝統的な俳諧の連盟では「秋の季語」とされています。でも、現代人の感覚とズレているので、最近は「夏の季語」として詠まれる場合も多いんですよ。
 
 
学校では伝統的な考え方が正しいと習うので、一応「秋の季語」と覚えます。
 
 
昔の陰暦では8月中旬以降は秋とされていたので「お盆」も秋だったのです。花火はお盆のイベントの派生なので、同じく秋の季語でした。
 
 
でも、お盆も花火も今は夏休みのイベントです。ですから、「秋の季語」ですが夏休みの体験で書いても問題ないのです。

 
 

(1)与謝蕪村の俳句

 

 
まずは、江戸時代の俳人代表として、与謝蕪村の俳句をご紹介します。
 
 
江戸三大俳諧師の1人与謝蕪村は、享保年間(18世紀前半)に大阪で生まれた芸術家です。
 
 
俳諧(俳句)はもちろんのこと、絵画の才能があり「俳画」を確立した人としても知られます。
 
 
素朴でかわいらしい俳画で、とても素敵ですよ。
 
 
・花火せよ 淀のお茶屋の 夕月夜 
 
・もの焚て 花火に遠き かかり舟 

 
 
【鑑賞】
 
 
与謝蕪村の花火は、現代の町に上がるものではなく、淀川のお茶屋さんから見る江戸時代の花火の風景です。
 
 
蕪村は大阪の都島のあたりに生まれた関西人です。後に、京都を本拠地にして活躍しました。
 
 
彼の俳句は明治以降に、正岡子規や萩原朔太郎に称賛されて今に伝わります。
 
 
おそらくもっともよく知られているのはこの句でしょう。
  ↓
「菜の花や 月は東に 日は西に」
 
 
私が好きなのはこちらです。
  ↓
「春の海 終日のたり のたりかな」
 
 
のたりのたりがよいです^^♪

 
 

(2)芥川龍之介の俳句

 

 
芥川龍之介は、大正時代を代表する大文豪です。
 
 
彼は始めは句作はまったくしなかったのですが、飯田蛇笏の影響を受けて次第に俳句を詠むようになっていきました。
 
 
でも、飯田蛇笏の始めの印象はあまりよくなかったようですよ。
それはこの短編に書かれています。
 
 
⇒『飯田蛇笏』芥川龍之介(青空文庫)
 
 
木曜日に漱石先生のところへというのは、夏目漱石のサロン「木曜会」に参加したときのことですね。
 
 
芥川龍之介は飯田蛇笏と書簡(手紙)のやりとりをする仲でした。もう少し長生きしていたら、きっと直接会っていたでしょう。芥川龍之介が自殺したとき、蛇笏は哀悼の句をささげています。
 
 
・秋風に 吹かれて消えぬ 昼花火 
 
・ちる花火 水動けども 静なり 
 
・明眸の 見るもの沖の 遠花火
 
・水暗し 花火やむ夜の 幌俥 (ほろぐるま)

 
 

(3)その他文豪の俳句

 
 
明治時代の代文豪・泉鏡花と森鴎外、夏目漱石の俳句です。
 
 
ひいき目ですが、泉鏡花の俳句は美しいなーと思います。
 
 
・花火遠く 木隠(こがくれ)の星 見ゆるなり(泉鏡花)
 
・花火見たり ゐながら庭の 松の上 (森鴎外)
 
・温泉の 村に弘法様の 花火かな ( 夏目漱石)

 
 

(4)正岡子規の俳句

 

 
正岡子規は、花火の俳句もたくさん残しています。
 
最後の5文字を「花火かな」とする句作のお手本がいっぱいです。
 
・くらがりの 天地にひびく 花火かな
 
・ふじ見えて 物うき晝(昼)の 花火かな
 
・人の身は 咲てすく散る 花火かな
 
・雨雲の 中へ打ちこむ 花火かな
 
・城山の 北にとどろく 花火かな
 
・音もなし 松の梢の 遠花火 
 
・夕曇 遠くの花火 音もなし
 
・人かへる 花火のあとの 暗さかな
 
・夕榮や 晝の花火の 打終り
 
・夕涼 小供花火の 聞ゆなる
 
・よべここに 花火あげたる 芒(すすき)かな

 
 

(5)山口誓子(せいし)の俳句

 
 
山口誓子は京都の俳人で、本名は山口新比古(ちかひこ)という男性です。
 
 
先にのべた「ホトトギス四S(シイエス)」の1人でしたが、後に秋櫻子についてホトトギス派を離脱しました。
 
・一輪の 花となりたる 揚花火
 
・花火終へ 港のぐるり 燈が残る
 
・全開し 花火大きな 菊花なり
 
・月の下 花火瓔珞 ぶら下がる

 
 

(6)山口青邨(せいそん)の俳句

 

 
山口 青邨は岩手県出身の俳人で本名は吉朗といいます。
 
 
本職は鉱山学者で、師匠は高浜虚子でした。
 
 
・うちあげし 花火くづるる 軒端かな
 
・かにさぼてん 花火のごとく 妻咲かす
 
・くづれたる 花火が垂るる 軒端かな
 
・上諏訪の 花火は遠し 湖の上
 
・眼をほそめ こけしも見るや 遠花火

 
 

(7)日野草城(ひのそうじょう)の俳句

 

 
日野草城は東京出身の俳人で、本名は克修(よしのぶ)、ホトトギスで俳句を学びました。
 
 
俳句雑誌にフィクションの新婚旅行の俳句を10句載せて師匠の高浜虚子に激怒され、「ホトトギス」を除名されました。
 
 
当時の俳句は、フィクションやエロティシズムの句はダメと厳しかったようです。京都東山の「ミヤコホテル」に泊まっていないのに新婚旅行に行ったという設定で句作をしたのが批判されました。きゅうくつですね。
 
 
室生犀星が「別にいいじゃん」と擁護したことで、「ミヤコホテル論争」と呼ばれる論争に発展しています。
 
 
虚子とは、晩年に和解できたようですよ。
 
・花火舟 櫓音ときめき 遡る
 
・遅月の 出て終りたる 花火かな
 
・閑けさや 花火消えたる あとの星

 
 

(8)中村汀女の俳句

 

中村汀女は、本名は破魔子(はまこ)という女性の俳人です。
 
 
昭和を代表する女流俳人です。
 
 
・ふと闇の 花火に反く 艪のきしり
 
・旅衣 花火を揚ぐる 門司の空
 
・早打や 花火の空は 艶まさり
 
・待ち受けし 花火の空の 響きあふ
 
・揚花火 杉の木の間に 散らばれり
 
・花火師の 麦藁帽の あちこちす

 
 

(9)飯田蛇笏(いいだだこつ)の俳句

 
 
飯田蛇笏は山梨県出身で、本名は飯田武治といいます。同じく俳人の飯田龍太は蛇笏の息子です。
 
・しばらくは 船の葭戸に 遠花火
 
・深窓に そだちて愛づる 花火かな
 
・花火見や 風情こごみて 舟の妻
 
・郷の花火 心のぬるる おもひにて

 
 

(10)高野素十(たかのすじゅう)の俳句

 

 
高野素十は茨城県出身の俳人で、本業は医師でした。
 
 
東京帝国大学医学部在学中に先輩だった同じく医師の水原秋櫻子に出会い、秋櫻子のすすめで句作を始めました。
 
 
「ホトトギス四S(シイエス)」の1人です。
 
 
花火の俳句は、素朴な句が多いので、句作の参考になりますよ。
 
 
・なかなかに 暮れぬ人出や 花火待つ
 
・庭石に 綿香花火の よべの屑
 
・大花火 重なり開く 明るさよ


 

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