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こんにちは、このかです。
 
 
あなたには、七夕の思い出がありますか?
私は家で笹に短冊を飾ることなんてなかったので、幼稚園のころの遠い思い出になります。
 
 
短冊に書いたことなどまったく覚えていないのですが、なぜか折り紙で飾りを作ったことは覚えているのでした。
 
 
なんだか難しかったのでした。
私は、今も昔も不器用です。

 
 

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七夕の由来


七夕には、有名なお話がありますね。
あの織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)のお話です。
 
 
絵本で読んだ織姫の姿は「天の羽衣」のようなもの、浦島太郎の竜宮城の姫の衣裳のようなものを着ていました。
 
 
日本の着物ではなかったのです。
だから、日本の話ではないとすぐ分かりました。
 
 
この話は、元は中国の伝説だったのです。
 
 
七夕自体が、ひな祭りや端午の節句と同じ、いにしえの日本の風習と、中国から伝承した風習が混ざり合って発展していったものなのでした。

 
 

織姫と彦星の物語★あらすじ


夏の夜空に「天の川」をはさんで輝く2つの一等星があります。
 
 
こと座のベガとわし座のアルタイルです。この2つの星が「織女星」織姫と「牽牛星」彦星と呼ばれるものです。
 
 
1年にたった1度だけ、天の川に橋が架かって逢うことを許された愛の伝説です。
 
 
むかしむかし、天の神様たちの着物を作る「はた織り仕事」をする織姫というとても働き者の娘がいました。
 
 
織姫の織る布は「五色(ごしき)」に光り輝き、季節が変わるごとにその彩まで変わるそれはそれは美しい布でした。
 
 
天の神様は織姫を自慢にしていましたが、はたを織るのに一生懸命で、化粧ひとつせず自分の髪や服をかまおうともしない織姫を哀れに思いました。
 
 
「織姫もそろそろ年頃になった。そうだ、織姫にふさわしい婿を探してやろう」
 
 
天の神様はそう言って、さっそくあちこちを探しまわったのです。
 
 
天の神様が「天の川」の岸辺を歩いていると、牛の世話をしている若者が見えました。若者は彦星といい、牛を飼って畑仕事に精を出す真面目な青年でした。
 
 
「この真面目な青年であれば、織姫の婿にふさわしいだろう」
天の神さまはそう思い、織姫に牽牛を紹介しました。
 
 
織姫と彦星は一目見てお互い恋に落ち、すぐに結婚しました。
 
 
2人はとても仲のいい夫婦になりました。でも、困ったことに遊んでばかりいて、ちっとも仕事をしなくなってしまったのです。
 
 
天の神様が注意をしても、返事はするけど仕事はしないという感じで、遊び惚けておりました。
 
 
織姫がはた織をしなくなったので、「はた織り機」にはほこりがたまり、天の神様の服は古びてよれよれになってしまいました。
 
 
また、耕されなくなった彦星の畑は、作物が枯れしまい雑草だらけです。飼っていた牛はやせ細って病気になってしまいました。
 
 
堕落した2人に我慢ができなくなった天の神様は、「もうこれ以上、お前たち2人を会わせるわけにはいかぬ!」と言い、「天の川」の東と西に2人を引き離したのです。
 
 
自業自得ですね・・・

 

 
彦星に会えなくなった織姫は、毎日毎日泣き暮らしました。彦星も家に引きこもり、牛の病気はどんどんひどくなっていきました。
 
 
それを哀れに思った天の神さまは、2人に言いました。
「お前たちが以前のように毎日まじめに働くのなら、1年に1度だけ2人が会うのを許そう」
 
 
その言葉に励まされた織姫と彦星は、心を入れ替えてまた真面目に働くようになりました。1年に1度、7月7日の夜に会えることを楽しみにして。
 
 
そして織姫は前にもまして美しいはたを織るようになったので、みんなはとても喜びました。
 
 
彦星も一生懸命に牛の世話をし畑を耕したので、牛はすっかり元気になって畑にも作物がたわわに実りました。
 
 
待ちに待った7月7日に雨が降ってしまうと、天の川の水かさが増して、2人は川を渡ることができません。
 
 
でも、そんなときは、どこかからカササギという鳥の群れが飛んできて、広げた羽を連ねて橋をかけ、織姫と彦星を会わせてくれるのです。
 
 
おしまい

 
 

感想


恋にうつつを抜かし、堕落したバカ夫婦の話でした。
 
 
「恋人同士」と思っている人が多いようですが、れっきとした「夫婦」です。
で、エロい事(←大人向けの話はこうなってる)ばっかやってて、ちっとも働かなくなったということなのです。
 
 
天の神様、甘すぎるんじゃないですか?
 
 
織姫の「はた織スキル」が素晴らしかったからでしょうか。
やっぱり、手に職があるのというのは大事なことというのは分かりました。

 
 

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織姫・牽牛伝説は奈良時代には伝わっていた!


この織姫と牽牛(彦星)の話は、日本には万葉の時代にすでに伝わっていました。「万葉集」の有名な大伴家持の和歌に歌われているんですよ。
 
 
「百人一首」にも選ばれている和歌ので、ご存知の方も多いでしょう。

 
 

大伴家持の和歌「百人一首6番」


鵲(かささぎ)の、渡せる橋に、置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
(中納言家持)
 
 
【意味】
「カササギが渡したという橋に置いた霜が真っ白になっているのを見ると、夜も更けたということだろうなあ。」
 
 
雨の日の七夕の夜に、カササギが天の川に翼を連ねて橋をかけ、織姫を渡したこの伝説を元にした和歌です。
 
 
平城京の建物と建物をつなぐ階段は、当時、天の川にカササギが渡した橋にたとえられていたのですよ。
 
 
寒いある夜に、宮中の警護をしていたいた家持が、階段に霜が降りているのを見てこの伝説を思い出したのでしょう。
 
 
警備員をしながらも「心は雅(みやび)」、さすがは巨匠です。
 
 
大伴家持は「三十六歌仙」の1人で、「万葉集」を最終的に編纂した人ともいわれるすごい人なのでした。

 
 

日本の七夕行事の移り変わり


奈良時代に織姫・牽牛伝説と一緒に日本に伝わったのが「乞巧奠」という中国の風習でした。
 
 
「乞巧奠」は、「はた織り名人」だった織姫にあやろうというもので、はた織や裁縫が上達するようにと願い、7月7日の夜、祭壇に針や糸などをお供えした行事でした。
 
 
平安時代になると、御所の清涼殿(せいりょうでん)の前に祭壇が設けられ、二星(織姫と牽牛)の会合を祝い、お香をたいて楽を奏で詩歌を楽しむ宴が催されるようになりました。
 
 
室町時代になると、「織女祭」という宮中行事になったのです。
 
 
七夕の行事が庶民に広く普及したのは、これもひな祭りやこいのぼりと同じく江戸時代なのでした。

 
 

おわりに


織姫と彦星の話は、天の川とベガ・アルタイルという「お星さま」の話なのでロマンがありますね。
 
 
夏のプラネタリウムでも、よくテーマに取り上げられます。
 
 
昔の人は、ロマンがあったのだなーと思うのでした。今では夜空を見上げて物思いにふけるということは、都会ではなかなかできなくなりました。
 
 
天の川が見えませんからね。
 
 
「はた織り名人」の織姫の織る「布」が「五色に輝く」というのも、しっかり短冊に受け継がれています。
 
 
それについては、こちらの記事でお伝えしていますよ。

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