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こんにちは、このかです。
日本では、行事の際に、「行事食」を食べる風習があります。
季節を感じられて、結構それが楽しみだったりします。(*’▽’)
「端午(たんご)の節句」の「行事食」といえば、「柏餅」と「粽(ちまき)」です‼
どちらが主流かというのは、地域によって違うそうですよ。あなたはどちらを食べてますか?
私は断然「柏餅」です。
「粽」は、小さいころは、お店で目にすることもなかったような気がします。今でもあまり見かけません。
今回は、なぜ「子供の日(端午の節句)」に、これらが食べられるようになったのか、お伝えします。
「柏餅」と「粽(ちまき)」
「端午の節句」は、もともと中国から伝来したものです。
「粽(ちまき)」は、その風習と一緒に、中国から入ってきたのでした。
時代が下って、江戸時代に入ると、幕府が「端午の節句」を行事として正式に制定しました。それ以降、この行事は日本全国に広まって、独自の行事として発展していったのです。
「柏餅」が記録に登場したのは、17世紀前半(寛永年間)といわれますよ。
それっていつ頃よと思われたあなた、寛永文化は、いわゆる元禄文化が始まるまでの江戸初期の文化なのでした。
戦国時代が終わり、徳川政権が充実してきて、江戸に町人文化が花開こうとしていた時代です。
つまり、「柏餅」は、日本の町人が作った日本が起源の行事食なのです。
★「粽」➾中国から伝来した物
★「柏餅」➾日本独自の行事食
「柏餅」を食べるようになったのはなぜ?
「柏の葉」というのは、新芽が出てから古い葉が落ちる特徴があります。
その様子を「後継ぎが絶えない」という縁起に結びつけ、「子孫繁栄」の縁起物と考えるようになったのでした。
柏餅は、柏の葉に上新粉とくず粉を混ぜてつくったおもちに、餡(あん)を包みこんで、二つ折りにした柏の葉で包んだ和菓子です。
家庭で手軽に作るなら、上新粉と砂糖と小豆缶と真空パックに入って売られている柏の葉だけで、簡単に作れますよ~。レンジ加熱でもOKです♪
餡(あん)は、始め(江戸前期)は、「塩餡」というものを用いていましたが、江戸後期になって「小豆餡」や「味噌餡」が使われるようになったそうです。
「粽(ちまき)」を食べるようになったのはなぜ?
粽は中国の伝説(故事)に由来する行事食です。
昔々、中国の「楚」の国に、屈原(くつげん)という詩人がいました。
屈原は、たいへん有能な政治家だったのですが、陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
そんな国の行く末に絶望した屈原は、川に身を投げて果ててしまいました。
その日が、ちょうど5月5日だったのです。
ちなみに、そのとき歌った『離騒(りそう)』という長編叙事詩は、中国文学の名作として残っています。
屈原は、民衆にとても人気があったので、屈原の死を悼んだ民衆が、川に沈んだ屈原の体が魚に食べられないようにと、太鼓をたたいて魚を追い払って、供物を投げ入れました。
でも、時代が下ったある日、屈原の幽霊が出て、「私の手許に届く前に、供物が蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまうのだ。だから、今度からは蛟龍が嫌いな楝樹(れんじゅ)の葉で米を包んで、五色の糸でそれを縛ってほしい。」 と言ったそうです。
それ以降、供物は無事に屈原の元へ届くようになったとさ。
「その楝樹(れんじゅ)の葉で米を包んで五色の糸で縛ったもの」が、粽(ちまき)の起源といわれます。
そして、この故事が、中国の「端午の節句」のはじまりになります。
「端午の節句」の由来は、こちらをどうぞ♪
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おわりに
「端午の節句」は、中国から伝わって、平安時代の宮中行事になりました。
だから、始めは京の都を中心とした関西で、行事として定着していったのです。行事食も、中国から伝わった「粽」でした。
一方、柏餅は、江戸時代に江戸(関東)で生まれます。
ですから、一般的に、「関西では粽(ちまき)が主流、関東では柏餅が主流」といわれます。
でも、乱暴にひとくくりにはできないです。
私は、ず~っと大阪で暮らしていますが、粽(ちまき)は食べたことがありません。(粽といえば中華料理のごはんの「粽」を思い浮かべます。)
ちなみに、うちの母は代々関西人、父は鹿児島出身です。
でも、京都には、「粽(ちまき)」を伝統的に扱っている和菓子屋さんがあります。
関西でも、場所によって違うのです。
おもしろいです。(*^^)v
あなたの生まれ育った地方は、どちらを食べますか?