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こんにちは、このかです。
 
以前、京都のお寺で写経をして感じたことをお伝えしました。
  ↓
 
勝林寺(東福寺)で「写経体験」★お抹茶お菓子付きで楽しかった♪
 
 
「般若心経」は、1500年前から日本で愛されてきたお経なので、多くの人が、その名前を知っています。
 
 
でも、いつ、誰が作って広めたのか、どの宗教なのか、ご存知でしょうか?
私は無宗教で、仏教や禅宗の組織的なことにはうとく、まったく知りませんでした。
 
 
般若心経は、宗派は問わないそうです。また、「般若心経」を唱えると魔物を呼ぶなどの悪い噂は、一部の排他的な新興宗教が広めたものなので、ウソなのだそうです。
 
 
そもそも真夜中過ぎに唱えただけで霊や魔物が出てくるなんて、本当だったら凄すぎるでしょう。
 
 
今回は、「般若心経」の意味や伝えた三蔵法師こと玄奘三蔵について、お伝えします。

 
 

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「般若心経」は「智慧」のエッセンス

 

 
最近、写経がブームになっていることもあり、「般若心経」というお教の名をよく耳にするようになりました。内容ももちろんのこと、262文字という1時間ぐらいで写経できるという時間的な手軽さもあって、人気があるのです。
 
 
「写経」=「般若心経」かというと、そうでもありません。
 
 
京都のお寺では「法華経」の写経をするお寺もあります。でも「法華経」は、かなり長いのです。平安時代は、写経といえば「法華経」だったので、『源氏物語』等に出てくるのは「法華経」の写経といわれていますよ。
 
 
でも、長い……、体験で気軽にするには疲れるのです。ですから、今では人気もある「般若心経」の写経体験が、圧倒的に多いのです。
 
 
お釈迦様は、2500年も前にインドで生まれました。それから、多くの僧侶が、お釈迦様の言葉(教え)であるたくさんの経典を読み解いて解釈し、大乗仏教を創設していきます。
 
 
それでは、「般若心経」は、誰がどのように伝えたと思いますか?
 
 
意外なことに、おそらくあなたも知っている人物ですよ。

 
 

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「般若心経」を伝えたのは、西遊記の三蔵法師(玄奘三蔵)

 

 
「般若心経」は、中国の言葉で書かれています。
でも、それを書いたお釈迦様・ゴータマ・シッダールタはインド人でした。
 
 
ですから、いわゆる「仏教の経典」(釈迦の教え)は、もともとはサンスクリット語で書かれたものなのです。
 
 
7世紀始めに中国で生まれた玄奘(げんじょう)は、仏典の研究は原典によるべきだと考え、また、仏跡の巡礼を是非ともしたいと考え、インドへ行こうと決心しました。
 
 
当時の中国は、隋から唐に変わったばかりの政情不安定な社会でした。それで、玄奘のインドへの出国の許可は下りなかったのです。それでもあきらめきれなかった玄奘は、国禁を犯して密かに出国したのでした。
 
 
その後、孫悟空や猪八戒などと出会って、妖怪退治をしながら無事にインドに到着し、経典を手にすることができたというのが、よく知られている「西遊記」のお話です。
 
 
でも、本当に価値があるのは、その後、玄奘が経典を中国に持ち帰ってからなのです。

 
 

「般若心経」は玄奘がインドから持ち帰ったサンスクリットの経典の1つ

 
 
中国からインドへ向かった玄奘三蔵は、旅の途中で病人に出会います。その病人は、ある呪文の言葉を教えてくれました。
 
 
ギャーテイ・ギャーテイ
ハーラーギャーテイ
ハラソウギャーテイ
ボージーソワカ

 
 
それは、不思議な響きの音でした。
 
 
玄奘にはその言葉は分からず、ただの「音」としか理解できませんでした。
でも、その病人は、この呪文の言葉には、強い「魔除けの力」があるので、災いや魔物に出会ったら、唱えるようにと伝えました。
 
 
その後、旅を続けた玄奘は、砂漠で化け物に出会いました。
 
 
絶体絶命になった玄奘は、ふと病人から聞いた「呪文の言葉」を思い出しました。そして、無我夢中で「ギャーテイ・ギャーテイ・ハーラーギャーテイ……」と気合を入れて唱えたのです。
 
 
そうすると、今にも襲いかからんとしていた化け物が、叫び声をあげて逃げて行ったのです。
 
 
そうして、彼はインドに無事到達できたのでした。

 
 

玄奘は優れた翻訳家だった

 

 
玄奘は、インドから中国に無事に戻ることができました。
 
 
その後、彼は、早速手にいれた教本の翻訳にとりかかります。玄奘がインドから持ち帰った仏教の経典は、なんと、1335巻にも及んだのです。
 
 
これだけの数のお宝経典を、国禁を侵して出国し砂漠を超えて命がけで持ち帰った玄奘って、すごいですね。
 
 
でも、彼がすごいのは、 まだまだこれからなのです!
 
 
中国に帰った玄奘は、持ち帰った千巻を超える教本をサンスクリット語から中国の文字に翻訳するため20数人の翻訳チームを結成しました。
 
 
そして、それから約20年かけて、持ち帰った経典の翻訳にとりかかり、その余生の全てを捧げたのです。
 
 
玄奘が亡くなるまでに翻訳できたのは、この膨大な持ち帰った経典全体の約3分の1だったといわれます。
 
 
それでも、彼が生前に完成させた経典の翻訳の中には「般若心経」をはじめ、この経典群の中核とされる600巻に及ぶ「大般若経」が含まれているのです。

 
 

「音の力」をそのまま生かした翻訳

 
 
玄奘の翻訳の1つの特徴で、評価されているのは、重要箇所を「インドの音を残したまま」漢字(中国語)に翻訳したところです。
 
 
それが、「般若心経」262文字の最後の部分、あの旅の途中、病人に教えてもらった「呪文の音(言葉)」なのでした。
 
 
最後の呪文の直前の業はこれになります。
  ↓
故説般若波羅蜜多咒 
即説咒曰

 
 
(意味)それゆえ、この「真実を見抜く智慧」にいたる言葉を短い咒文(呪文)として伝えたい。その呪文はこれだ。
 
 
そして、この呪文の言葉につながり、終了します。
 
 
ギャーテイ・ギャーテイ
ハーラーギャーテイ
ハラソウギャーテイ
ボージーソワカ
ハンニャシンギョウ

 
 
掲諦掲諦 
波羅掲諦 
波羅僧掲諦
菩提薩婆訶 
般若心経

 
 
もともと、サンスクリット語でも呪文の言葉だったので、無理やり文字を翻訳するのは無意味です。そもそも般若心経の核の「空」は、言葉で言い表しにくいものです。解釈も人それぞれなのです。
 
 
そして、玄奘は、この部分を「意味ではなく音を主体として」翻訳しました。大切なのは、この文字の意味ではなく「音の持つ魔除けのパワー」なのです。
 
最後のしめの言葉は「般若心経」です。
 
 
「般若」=「智慧」のこと。
 
 
そして、私たちが「般若心経」と呼んでいる262文字の正式名は「般若波羅蜜多教」です。
 
 
「般若波羅蜜多教」は、「般若」=「智慧」のエッセンスの部分を262文字に要約した経典という意味なのです。

 
 

おわりに

 

 
玄奘というと、『西遊記』のもととなったインドへの旅の地誌『大唐西域記』を著した人として、知られています。(歴史で習う)
 
 
でも、「般若心経」を含む膨大な経典を中国に持ち帰り、生涯をかけてその翻訳に尽力した人だったんですね。

 
 

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