この記事を読むのに必要な時間は約 6 分です。


 
こんにちは、このかです。
 
「和のお稽古」のもっとも王道的なものに「茶道」があります。
 
茶道というより「茶の湯」というほうが、わびさび感があって私は好きなんですけど。
 
この茶道、日本文化の集大成と、よくいわれます。
 
そんなたいそうなとも思いますが、それなりに根拠はあるようですよ。

 

スポンサーリンク

「茶道」は元は「禅」から始まった?

 

 
室町時代になると、日明貿易が盛んになって、中国の文化や美術が、たくさん入ってきます。その中の「禅宗」が、この時代から流行りだしました。
 
平安時代まで、異国の文化に触れられるのは、特権階級の貴族(公家)だけだったのですが、貴族が没落する時代がやって来たのです。
 
そう、1467年に始まって、京の都を焼き尽くした「応仁の乱」です。
 
屋敷を焼かれた公家たちは、縁者を頼って、他の地方に落ち延びていきました。このとき、彼らは都の文化や芸術を地方に伝え、「小京都」と呼ばれる街が生まれたのです。。
 
 
一方、都では、将軍の力が急激に弱まり、下の者が上の者を倒す下剋上の世の中になっていきます。群雄割拠の戦国時代の始まりです。
 
 
戦国大名たちは、武士ですね。中国から入ってきた「禅宗」は、武士の気質に合い、多くの武将がそれを取り入れました。
 
そして「茶の湯」を広める人たちを、戦国大名は指南役として召し抱えたのです。
 
 
茶の湯の大成者・千利休は、織田信長の茶の指南役をしていました。信長が「本能寺の変」で討たれてからは、豊臣秀吉に仕え、最期は切腹して果てます。
 
 
この時代は、一国の領土よりも茶釜のほうが価値があるという、とんでもないことが起こっていたようです。
 
茶の湯バブルみたいで、すごいですね
それほどの一大ブームを、引き起こしていたということです。
 
「茶の湯」を、「お茶のおもてなし」から「日本文化の集大成」にまで引き上げたのは、千利休といわれますよ。
 
では、それがなぜなのか、見ていきましょう。

 

スポンサーリンク

茶の湯の大成者「千利休」のおもてなしの心

 

 
千利休は、「茶の湯」を、ただお茶を飲む作法としてだけでなく、お客さんが通って来る庭(露地)をしつらえ、季節の花を生け、そのときにふさわしい掛軸を飾り、茶器(茶碗、釜、水差し)を選び、ときには懐石を用意し、趣向をこらした茶室をセッティングするという空間すべてをコーディネートするものにしました。
 
これって、すごくないですか?
 
上の一文の中に、いろんなものが詰め込まれていますよ。
 
茶道
華道
庭→庭園造り
掛軸→書道・水墨画
茶器→陶芸
懐石料理
茶室→究極に無駄を省いた書院造

 
すごいでしょ?
 
これ、それぞれが一つの文化や芸術として独立させることができますね。
 
華道、書道、水墨画、陶芸家、料理人、庭師などなど、いろんな分野にパーツ分けできます。
 
それらすべてを合わせたものが「茶道」なのです。
つまり、「日本的な美の世界」そのものを空間に表現したものなんですよ。
 
 
それが、「茶道」が「日本文化の集大成」と呼ばれるわけです。
 
 
茶道は「もてなし」と「しつらい」の美学といわれます。
 
けっして、「私はおもてなしの心を大切にしてます」と押し付けるのではなく、「お客さんに心をつくしたおもてなしをしていただけた」と感じてもらうことが大切なのです。
 
そして、客の側にも、もちろんそれに応える作法や心配りというものが必要です。
 
「亭主」と「客」の間に通う人間的なぬくもり、それを「和敬清寂」の精神といいます。この精神を、「茶道」ではとても大切にしているんですよ。

 

まとめ

 

 
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
 
「茶道」で伝えたい大切な事は「型」「作法」をとおして「こころ」を伝えようということなのでしょう。
 
「茶道」の先人たちが築いて、守り続けてきた日本の「こころ」は、今も私たちの思想や日常のちょっとしたふるまいの中に息づいています。
 
あいさつや冠婚葬祭、贈答のマナーは、日本人特有のものがありますね。
こういうものが、それなんですよ。
 
みんなが少しずつ、相手のことを思いやる気づかいができると、優しい社会になると思います。
 
でも、最近の都会の人は、みんな忙しそうにしていますね。
 
朝の出勤時の都会の駅なんて、怖いです。
それだけ、みなさん大変だということですね。
 
もう少し、みんながゆったりできる、やわらかい世の中になってほしいと思います。
 
【関連記事】茶道を始めたい!始めに必要な「物」は意外と少ないよ

スポンサーリンク