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「辞世の句」とは

「辞世の句」は、中世以降広く流行し、文人の最期や切腹の際には欠かせない習わしとなりました。
「漢詩」で詠まれたものもありますが、多くは「和歌」の詩形をとっています。
 
戦国武将の「辞世の句」の場合、最期を予見できず残せなかった場合は、部下が代わりに詠みました。
割と広く知られていて、かつ、おすすめの「辞世の句」を紹介します。

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戦国武将の「辞世の句」

「独眼竜」伊達政宗

 

 曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く
 
何も見えない暗闇を照らす月の光のように、己の信念を光として、先の見えない戦国の世を歩いてきたのが自分の人生だった。

出羽国の大名、伊達家17代当主。仙台藩初代藩主です。
隻眼だったため「独眼竜」との異名を持ちます。
 
個人的にかなり好きな武将なのですが、それを省いてもこの「辞世の句」はよいと思います。
 
戦国武将らしく、ハチャメチャな生き方をしていますが、和歌や茶道、学問にも精通し、一流の風流人という一面も持ち合わせていました。
 
いろいろな顔を持っているところが魅力的だと思います。

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「忠義の人」清水宗治

 浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
 
浮き世(現世)を今こそ渡ってあの世へ行くんだ。
武士として名前を高め、高松の地の苔のように永劫に残して。


清水宗治は備中高松城主で毛利氏に仕えます。
 
豊臣軍との戦いで、高松城の水攻めに散った忠義の人です。
水攻めで作られた人工湖の上(舟上)での見事な切腹は、秀吉から「日本一の武辺(ぶへん)」と賛辞を送られるほどでした。
これ以降、武士の切腹が「名誉ある死」と認識されるようになります。
 
知名度低めですが、戦国武将らしくない(?)誠実な人柄に惹かれます。

「剣聖将軍」足利義輝

 五月雨は つゆかなみだか時鳥 わが名をあげよ 雲の上まで
 
降りしきる五月雨は露だろうか、それとも私の涙であろうか。
ホトトギスよ、どうか私の名前を天高く上まで広めてくれ。

室町幕府第13代征夷大将軍です。
 
室町幕府の将軍の中でも特に武術に優れ、剣豪、剣聖将軍ともいわれます。
義輝が将軍になったとき、すでに幕府の力は失墜していました。
 
それでも最期まで幕府の威光を取り戻そうと剣をとって戦った人です。
松永久秀と三好三人衆に敗れました。
 
最期まで将軍復権を願っていた無念さが、にじみ出ています。

「三大梟雄」松永久秀

 平蜘蛛の釜と俺の首の二つは やわか信長に 見せさるものかわ
 
この平蜘蛛の釜と俺の首の二つは、信長にお目にかけようと思わない。

心に残る辞世の句ではありませんが、非常に面白い人物なので紹介します。
 
松永久秀は、日本史上初の爆死で果てた人として知られています。
日本三大梟雄にも数えられる下剋上の申し子のような人です。
 
主君を何度も裏切ったり、将軍・足利義輝を追い込んだり、東大寺の大仏を焼いたりしています。( ;∀;)
織田信長に従ったり逆らったりしながら、智略を持ってのし上がりました。
 
最期は、信長が欲しがっていた「平蜘蛛の茶釜」を割ってから割腹し、さらに爆薬に火をつけて自らを吹き飛ばしました。なんとも派手な自害です。
爆死する前に、この「辞世の句」を信長に送ったそうです。
 
信長は「平蜘蛛の茶釜」を渡せば命は保証するといっていたのですけど。
なぜか信長は、久秀に甘いですね。
後世では完全に「悪人」のレッテルを貼られていますが、意外と魅力的な人だったのかもしれません・・・。
 
辞世の句にも、「意地」が表れていておもしろいです。(笑)

「越後の龍」上杉謙信

 極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし
 
私は死後に極楽に行くのか地獄に行くのかはわからない。しかし、私の心は雲のかかってない月のように、一片の曇りもなく晴れやかだ。

越後国の武将。後世では「越後の虎」「軍神」などと称される上杉謙信。
ライバル武田信玄との川中島の戦いが有名です。
 
「軍神」と呼ばれながらも、愛読書が「源氏物語」というのが、親近感が持てて素敵です。(´・ω・)
 
毘沙門天のご加護の元、心穏やかに旅立ったのでしょう。

「木綿藤吉」豊臣秀吉

 露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速の ことも 夢のまた夢
 
露の如くこの世に生まれ落ち、また露のように消えていくこの身であることよ。大阪で暮らした日々の栄華も全ては夢の中の夢のようであった。

夢の中で夢を見ているようなはかない一生だったという意味です。
 
これが、栄華を極めた秀吉が晩年に残した句だとしたら、豊臣家の今後を予見していたのかと思えます。
 
ただ、晩年の秀吉が本当にこのような句を詠むことができたか、疑問視もされています。

番外編

細川ガラシャ

 散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
 
花も人も散りどきを心得てこそ美しいのだ

戦国武将ではなくその妻ですが、戦国時代の「辞世の句」で最も知られている句の一つなので、紹介します。
 
明智光秀の三女・珠。
細川忠興の正室で、聡明で美しく気丈な人だったと伝わります。
 
熱心なキリシタンで「ガラシャ」という洗礼名のほうが有名です。
 
石田三成に人質に捕られかけたとき、それを拒否して自害しました。
(キリシタンは自害が禁止されているので、家老に自分を斬れと命じます)
 
死に様の潔さ、美しさと相まって、この「辞世の句」も広く知られているのでしょう。