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松尾芭蕉と言えばあなたは、どんな俳句を思い浮かべますか?
 
古池や……?
五月雨を……?
 
私は、この句です。
 
夏草や 兵どもが 夢の跡
 
この俳句が、いちばん歴史浪漫を感じるんですよ!
奥州藤原氏ですよ。源義経ですよ。『平家物語』ですよー!
 
「夢の跡」というフレーズが、じーんなのです。
 
今回は、この俳句について、お伝えします。

 

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『奥の細道』

 

 
松尾芭蕉は、江戸・深川を出発してから44日目、5月13日(新暦6月29日)に、奥州平泉を訪れ、夏草が生い茂る荒野の風景を目の当たりにしました。
 
 
岩手県南西部に位置するこの地は、11世紀末から12世紀にかけての約90年間、藤原清衡(きよひら)に始まる奥州藤原氏が、栄華を極めた都市です。そして、兄・源頼朝に追われた義経が最期に身を寄せた場所でもあります。
 
 
この地に立って、芭蕉は、500年前に滅んだ藤原三代の栄華と源義経の最期に、想いをはせたことでしょう。
 
 
杜甫の名句「国破れて山河在り 城春にして草木深し」とつぶやき、時を忘れて涙を流したと、『奥の細道』に記しています。
 
 
芭蕉は、この平泉で2つの俳句を残しました。

 
 

(1)夏草や 兵どもが 夢の跡

 

 
まずは、平泉の荒野で一句………
 
 
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
 
 
(意味)高館にのぼってあたりを見渡すと、藤原氏の栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が茂る風景が広がるばかりだ。(この夏草を眺めていると、すべてが夢と消えた儚さに心が誘われるなあ)
 
 
自然(夏草)と人事(兵どもが夢の跡)が、対比的に用いられています。
 
 
人間の思うこと・やることは儚く消えゆくのに、自然は何があっても変わらずたくましく存在しています。『平家物語』の諸行無常をに通じるものがありますね。
 
 
ちなみに、ここで同行者の河合曾良も句作しています。
 
 
「卯の花に 兼房みゆる 白毛かな」
 
 
義経主従が藤原泰衡の軍勢と戦ったとき、白髪を振り乱して、勇猛果敢に戦った兼房について詠んだ曾良の句です。
 
 
義経の老臣・兼房は、高館最期の日に、義経一家の最期を見届けた後、館に火を放ち、敵の大将ともども火の中に飛び込み、壮絶な最期を遂げたと伝わります。(架空の人物ともいわれます)
 
 
白い「卯の花」から「兼房の白髪」を連想して、当時に想いをはせて詠んだものですね。

 
 

(2)五月雨の 降り残してや 光堂

 

 
続いて、芭蕉は平泉の中尊寺を訪れ、美しい金色堂を参詣しました。ここで詠んだ句は、先の「夏草や~」とセットで出されることが多いです。
 
 
「五月雨の 降り残してや 光堂」
 
 
(意味)あらゆるものに降り注ぎ、朽ちさせる五月雨も、この「光堂」にだけは雨を降らせず残してくれたかのようだ。500年経っても「光堂」は色あせずに美しいままだなあ。(光堂(ひかりどう)は、中尊寺の「金色堂」を指します。)
 
 
この句も先のと同じく、移り変わる人の世と、時が流れても変わらず光り輝く「光堂」との対比が、感じられますね。

 
 

おわりに


松尾芭蕉は、この平泉に午前中3~4時間ほど滞在したようです。
 
 
『奥の細道』に記載されているのは、ほぼ史実どおりですが、経堂はこのとき実際は閉じられていて、芭蕉は中を見ていません。経堂に「三将の像」があると記していますが、実際にあるのは光堂です。これは、芭蕉が勘違いしたのだろうといわれています。
 
 
ちなみに、当時、金色堂(光堂)を保護していたのは、やはり仙台藩伊達家でした。

 
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