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こんにちは。
 
最近、宇治に行っていないので、そろそろ行きたいな~と思っています。
 
 
なぜか好きなんです、あの宇治川の周辺。京都市内のように平日は観光客であまりざわつかず、まったりできて、歴史・文学の舞台の宝庫です。
 
 
宇治川は『源氏物語』にも『平家物語』にも登場しますね~♪
 
 
特に『源氏物語』の宇治十帖は、「宇治の橋姫」の話が出てくるので、この時代(平安中期)にもうささやかれていた伝説なんだーと、ときめきます。
 
 
今回は、そんな「宇治の橋姫伝説」について、お伝えします。

 
 

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宇治の橋姫とは

 
https://ja.wikipedia.org/wiki/橋姫・鳥山石燕の絵です
 
宇治の橋姫は、今では「橋を守る女神」ともいわれますが、たいへん嫉妬深いので、ラブラブカップルや夫婦はこの橋を通ってはいけないとされています。
 
 
橋姫に嫉妬されて、仲違いしてしまうのだそうですよ。
 
 
その伝説のもとになった、「宇治の橋姫」伝説は、いくつかのパターンがあります。ここでは、もっとも有名な『平家物語』の異本『源平盛衰記』にあるものを紹介します。意訳・要約ですよ。

 

嵯峨天皇の御代に、ある公卿の娘がいました。
 
 
その娘はある男と恋をしましたが、男は他の女性に気持ちが移り、娘は捨てられてしまいました。でも、娘はたいへん嫉妬深くその男をあきらめきれません。そして、貴船神社に参詣して7日間こもり、こう祈ったのです。
 
 
「貴船明神様、どうぞ私が7日間こもったあかつきには、生きながら鬼に変えてください。妬ましいあの女をとり殺したいのです」
 
 
貴船神社の明神は、娘を哀れに思い、「本当に鬼になりたいのなら、姿を改めて宇治川に21日間浸かりなさい」と告げました。
 
 
娘は喜んで都に帰ると、こっそり人目に触れないところで、長い髪を5つに分けて5つの角(つの)の形を作りました。そして、顔には紅をさし、体には丹を塗りました。さらに、鉄輪(かなわ)を逆さにして頭にのせ、その3つの脚に松明を燃やして、また別の松明を2本口にくわえて、その両端に火を付けたのでした。
 
 
そして、やがて夜が明けると、娘は大和大路に走り出ました。頭から5つの火が燃え上がり、眉は太く、顔も体も赤かったので、その姿はさながら鬼の姿にそのものに見えました。その姿を見た人は、魂を食われたようになって気を失い、ショック死してしまう人もいました。
 
 
そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり、娘は生きながら鬼になったのです。これが「宇治の橋姫」です。
 
 
橋姫は、妬んでいた女とその縁者、相手の男の方の親類、しまいにはだれかれ構わず、次々と人を殺していきました。男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって殺していったのです。
 
 
京の都は鬼女の出没に恐れおののきました。そして、申の時(15~17時ごろ)を過ぎるころには、鬼を恐れて誰も外出しなくなったのでした。

 

嫉妬から鬼女になり果てた挙句「橋の神様」に

 

 
つまり、これは嫉妬にかられて本当に鬼になってしまったバカ娘の話なのです。(もうちょっとましな別のパターンの話もあります)
 
 
「こんな嫉妬深い娘を哀れに思い、その願いを聞き入れた貴船大明神が、そもそもの元凶なんじゃないの?」と思ってしまう私。
 
 
嫉妬は人を滅ぼします。そんな願い、放っておけばよかったのにね。でも、日本の神様は、よくない願いや呪いを叶えてあげることも多いので、困ったものです。
 
 
かくして、この無差別殺人鬼・宇治の橋姫を、なんとかせねばということで、遣わされたのが源頼光の四天王の筆頭・渡辺綱(わたなべのつな)です。
 
 
渡辺綱(源綱)といえば、数々の鬼退治伝説を残すスーパーヒーローですよー♪
あの源融(「百人一首」の河原左大臣)の子孫でもあります。
 
 
そして、この鬼は、その渡辺綱に最終的に退治されたのでした。めでたし、めでたし。そして、そして、彼女は後に「橋の神様」となりましたー!
 
 
え? なんで~~~?
無差別殺人鬼を神様にしてしまう平安都人の感性が理解不能です。しかも、相変わらず「嫉妬深い女神」ですよ。怖いなー。

 
 

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貴船神社・奥宮は縁起りと縁結びの神社

 

 
貴船神社といえば、京の中でも強力なパワースポットとして知られています。
 
 
鞍馬寺の更にその奥に位置するハイキングコースですか?いう大変な場所です。
 
 
ここを訪れた清少納言が、お参りして散々だったわとグチっていますが、その気持ち、よく分かります。平安貴族がよく登ったと思いますよ。
 
 
貴船神社は、水の神様として有名ですが、ここの奥宮は縁結びの神様が祀られているのです。
 
 
この縁結びの神様、その一方で縁起りの神様でもあるのです。橋姫がお祈りしたのはこちらかなと思います。
 
 
貴船神社は、「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したという由緒があります。
 
 
そこから、この神社では、「丑の刻参り」をすると願いが成就するとされたのです。ですから、本来は呪咀ではなくお願いだったのですよ。
 
 
どういうわけが、後世いろいろ組み合わさって、貴船神社といえば「丑の刻参り」というイメージがついてしまったようなのでした。言い伝えとは、そういうものですね、きっと。(´・ω・)