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こんにちは。
あなたは、毎年、初詣に同じ神社にお参りに行きますか?
神社にはいろいろな呼び名がありますね。
「神社」「神宮」「大社」「天満宮」など。
例えば、とても歴史のある「伊勢神宮」と「出雲大社」、「神宮」「大社」と呼び名が異なります。その違いは何なのでしょう? これらの名称は神社名につく照合のことで「社号」といいますよ。それぞれの社号を用いるのには、ある基準があるのです。
「○○神宮」
○○神宮」の社号を付されている神社がありますね。それらは、皇室の祖先神をお祀りしている神社なのです。
例)東京 明治神宮ー明治天皇
京都 平安神宮ー桓武天皇・孝明天皇
奈良 樫原神宮ー神武天皇
伊勢の神宮は、正式名称が「神宮」といいます。
今では、ただ「神宮」とだけ言う場合、この「伊勢神宮」を指すのです。
「神宮」という社号を持つ神社は、ごくごく限られた神社です。
以前は、「神宮」(三重)と「鹿島神宮」(茨城)、「香取神宮」(千葉)だったんですよ。また、「宮」の社号を持つところもあり、これは「神宮」と重なります。「筥崎宮」(福岡)のように、古くから呼称として用いられている神社もあります。
「○○大社」
古くは「大社」(おおやしろ)といえば、大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀る「出雲大社」(島根)だでした。
大国主命は、『古事記』にも登場する大きな力を持つ「国つ神」なのです。天照大神(アマテラスオオミカミ)の命を受けて、天孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)がこの日本の地に下られたときに「国譲り」を行ったことで、よく知られています。
明治以降戦前まで、「大社」の称号は、この「出雲大社」のみに用いられました。その偉大さがわかりますね。特別待遇です。
戦後になって、広く全国から崇敬を集める格式高い他の神社に、この「大社」という社号が用いられるようになりました。
例)諏訪大社(長野)
伏見稲荷大社(京都)
春日大社(奈良)
住吉大社(大阪)
熊野本宮大社(和歌山)
「大社」は、すべて全国に社のある大きなグループの神社です。
「○○神社」
「神社」はその略称である「社」とともに、一般の神社に対する社号として用いられます。
「神宮」は、天皇家のご先祖がご祭神であるとか天皇家にゆかりの神社で、「大社」は全国に信仰が広まっている格式高い大きな神社のことを指しましたね。
それでは、他にもよく信仰されている神社についてみていきましょう。
お稲荷さん=「稲荷神社」
稲荷神社は、日本でもっとも数が多い社です。
その総本社といわれるのが京都の「伏見稲荷大社」です。
主祭神は「宇迦之御魂大神」(ウカノミタマノオオカミ)。
「赤い鳥居と狐」がシンボルです。稲荷伸は稲作の神で、狐を神の使いとみなします。稲作=食物の神様であり、後に商売繁盛の神としても崇拝されるようになりました。
天神さん=「天満宮」
俗にいう「天神さん」というのは、「天満宮」「天神社」「菅原神社」などを指します。
ご祭神は、「菅原道真公」です。
その代表的な神社は、福岡の「大宰府天満宮」と京都の「北野天満宮」ですよ。菅原道真が「梅」を愛したため、境内には梅の花が多く見られます。
菅原道真は平安初期の人で、学問、詩歌に優れ、政治的には右大臣にまで上り詰めましたしかし、その才能を恐れた左大臣・藤原時平などにより、無実の罪に問われ九州に左遷されてしまいます。左遷されるときの道真の俳句が残っています。
「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主人なしとて 春な忘れそ」
(春になって東の風が吹いたら、その風にのって(大宰府)まで花の香りを届けておくれ 梅の木よ主がいなくなったといって、春を忘れないでほしい)
そして、2年後、菅原道真は無実を訴えつつ亡くなります。
すると、都では立て続けに災害が起こるようになりました。菅原道真を追いやった藤原家の人々が次々に亡くなり、宮中に雷が落ちる事態まで発生したのです。人々は、その災害を菅原道真の祟りと考えました。
そして、帝は再び道真を右大臣の階級に戻し、太政大臣の位を贈るなどして、その魂の怒りを慰めようとしたのです。
そんな時代背景の中で、人々は菅原道真が、天変・転校を司る「火雷天神」になったと考えたのです。
天神さんは、始めは天変の神」として恐れられていたのですが、次第に、「和歌や詩歌の神」として、そして、江戸時代になると「学問の神様」として寺子屋などに祀られるようになりました。
今でも、「学問の神様」として、受験シーズンは、特に受験生の参拝客で大にぎわいです。
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八幡さん=「八幡宮」
八幡神社は、ほぼ全国的に存在します。
主祭神は「八幡大神」(応神天皇、誉田別尊)です。起源は大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」です。
平安時代になると、国家の守護神として都の裏鬼門の地に鎮座するよう勧請されました。これが現在の「石清水八幡宮」です。
「石清水八幡宮」は鎮護国家の神様」とされ、今では、伊勢の神宮に次ぐ「第二の宗廟」と称されています。
この岩清水八幡宮で元服式をあげたのが源頼家なんですよ。源家は源氏の棟梁として八幡神を氏神としています。
そして後に、頼朝が幕府を開いたとき、鎌倉に勧請して幕府の守護神としたのです。それが現在の「鶴岡八幡宮」になりました。それ以後<八幡さんは、武士の守護神として各地で祀られるようになったのです。
それぞれの神社に、様々な時代の人々が歩んだ歴史があるとわかりますね。