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こんにちは、このかです。
 
秋はお月見の季節、月が美しい季節ですね~♪
 
ああ、でも、私は暗くなってから外出することはまずないので、ほとんど月を見ることはないんです。家の中では、カーテンばっちり閉めてますし。
 
そもそも、現代の都会で見る月は、そんなに存在感はありません。
でも、電灯がなかった江戸時代は、月明かりはとても明るく美しく、灯りの代わりとして大切なものだったでしょうね。
 
 
松尾芭蕉は、名月を鑑賞するために、2つの旅に出て紀行文を書いています。
 
今回は、中秋の名月を詠んだ芭蕉の名句を、ご紹介します。

 
 

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名月や池をめぐりて夜もすがら

 

 
名月や 池をめぐりて 夜もすがら
 
 
もう、芭蕉の「名月」の俳諧といえば、コレですよ!
 
 
寂びの雰囲気満点です♪
 
 
これは、芭蕉が43歳のとき、『笈の小文』の旅に出る前年の秋に、江戸で詠んだ俳句なのでした。芭蕉庵で「月見の会」をしたとき、隅田川に舟を浮かべて詠んだといわれます。風流ですね~。
 
まだ電気のない江戸時代の夜は、今よりずっと闇が深かったでしょう。そんな夜空にこうこうと輝く月は、明るく美しかったでしょう。
 
中秋の名月は、陰暦8月15日の夜の月のことです。
現代の暦では9月から10月初めでに当たるのですが、ここで問題です。
 
 
池の周りを回っているのは、人(芭蕉)でしょうか?
それとも、名月でしょうか?
 
また、名月は、夜空に輝く月でしょうか?
それとも、水面に映る名月なのでしょうか?
 
 
俳句は、いろんな解釈ができて、おもしろいです。
 
 
定説は、「芭蕉が、池に映る名月の美しさに感動して、無心の境地で一晩中池の周りをまわっていた」でしょう。「月」と「池」があると、「池に映る月」と連想するのが自然だからです。でも、実際は、夜空に輝く月を直接見るほうが美しいですよね。もしかしたら、そちらかもしれませんよ。
 
 
私は、こういう静かな寂れた空間に独り佇む、芭蕉の「寂び」の俳句が大好きです。難しいことは分かりませんが、室町時代から続く「侘び寂び」の世界観を、17の文字に見事に紡ぎだしているなあと思えるのです。
 
 
芭蕉は、この俳諧をどういう意味で詠んだのかなと、いろいろ思いめぐらすと楽しいです。芭蕉は、『更級紀行』の冒頭近くに「三更月下入無我(さんこうげっかむがにいる)」と表しています。この漢詩は「真夜中に、月の光の下で無我無心の境地に入る」という意味なのですが、この俳句もこの境地で詠んだのでしょう。
 
 
名月と池という美しい天地の自然物の中で、「禅」の無我無心の境地にいる奥深さを感じます。
 
一晩中、池の周りをぐるぐる回っていても、考え事をしていたわけではないということですよ。

 
 

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松尾芭蕉は「名月」を愛でる旅にでた

 

 
芭蕉は、『奥の細道』の前に4つの紀行文を書いています。
 
そのうちの2つ、『鹿島詣』『更級紀行』は、「名月」を鑑賞するための旅でした。
 
 
『鹿島詣』の旅に際して、芭蕉は「このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり」と記しています。また、『更級紀行』には、「三更月下入無我(さんこうげっかむがにいる)」という漢詩を引用しています。
 
 
でも、なぜ、月を見るためにわざわざ茨城や長野まで行ったの?と思いますね。
実は、どちらも、古代からよく和歌に詠まれたロマンあふれる「歌枕の地」だったのです。
 
特に、更級には「姥捨山伝説」があり、その話の展開の中で「名月」がキーワードとして出てくるのでした。
 
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更級は、姥捨て山と名月がセットで連歌される歌枕なのです。
 
芭蕉も、ここでそんな俳諧を作っていますよ。
 
 
俤(おもかげ)や 姨ひとりなく 月の友
 
 
物悲しさが伝わりますね。
 
芭蕉は、これより5年前に母親を亡くしています。「姨(うば)ひとりなく」から、母親を思い出していたのだなあと思えます。
 
 
また、この俳諧を読んだ江戸の人々は、「更級」という言葉に、なかなか自分では行くことのできない、ロマンチックで神秘的な地を想像したのです。
それが「歌枕」の力ですね。

 

この記事のまとめ


 
★松尾芭蕉の名月を詠んだ名句と言えば・・・
 
名月や池をめぐりて夜もすがら
 
★松尾芭蕉は、名月を鑑賞するために2つの旅に出、紀行文を残した
 
その紀行文は『鹿島詣』(1687)と『更級紀行』(1688)だった
 
 
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