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こんにちは!
NHK朝ドラ『ブラッサム』で再注目、宇野千代(1897~1996年)の一生を紹介します。
彼女は98歳というご長寿なのでザックリしたものにはなりますが、年表も付けています。
では、生い立ちからみていきましょう♪
生い立ち

1897(明治30)年、山口県の岩国市で誕生。
裕福な家ではなく、母はすぐ亡くなります。
父は子どもに厳しいくせに、超・自分勝手……。
ですが、継母は千代を長女として重んじ、千代は異母兄弟にも慕われたようです。
地元の女学校(中学校)にいるときから創作活動をはじめ、同時期に父と死別。
卒業後に小学校の代用教員をつとめます。
そこで、同僚の先生に片想い!
ラブレターを届けますが、当時は自由恋愛がゆるされずクビになってしまいました。
千代にとっての初恋と失恋です。
とにかく前向き!転職時代

その後、いとこの藤村忠と仲を深め、22歳で結婚。
藤村は大学生でした。
(当時、男性が大学生で身を固めるのはめずらしくありません。)
東京での生活はギリギリ💦
出版社の事務員・モデル・家庭教師などを転々としてとにかくかせぎます。
フランス料理店・燕楽軒(えんらくけん)で給仕に出たときには、多くの流行作家と知りあえました。
芥川龍之介・菊池寛・佐藤春夫・のちに結婚する画家の東郷青児など。すごい顔ぶれですね。
しかし、燕楽軒は18日でやめました(…)。
藤村の就職にともなって北海道へ移住し、そこから、創作が芽を出しはじめます!
文士たちとの交流

1921年。
「脂粉の顔」を『時事新報』の懸賞小説に応募すると、みごと1等に当選!
ちなみに2等は尾崎士郎。
作家として東京で暮らしたい千代は、思想の面でも尾崎に共鳴。
さっそく同棲をはじめ、3年後に藤村と離婚します。
一流雑誌『中央公論』『婦人公論』に小説を発表しつつ、家事をこなして家庭を支えました。
関東大震災を経て、時代は昭和へ(1926年~)。
多くの文士が住みついた東京の馬込村(まごめむら)に、千代と尾崎も移ります。
梶井基次郎や川端康成と親交をもちました。
千代は断髪・洋装という最先端のファッションを取り入れ、文士たちのあこがれを集めます。
ですが、やがて尾崎との生活にきれつが入り、2人は別れを選びました。
才能開花!マルチな活動

ここから、より仕事に熱中しようとします。
けれど、やはり誰かを愛さずにいられない性分だったようで…。
取材で出会ったのが、女性と自殺未遂事件をおこして話題沸騰中の画家・東郷青児。
フランス帰りの東郷との暮らしは千代を刺激します。
『色ざんげ』(1933年~)は、彼をモデルにした長編小説です。
そして1936年に、雑誌『スタイル』を創刊!
元々きものに興味があった千代。
『スタイル』はおしゃれな女性がターゲットの総合雑誌になりました。
このころ千代がひとめぼれしたのが、10歳年下で作家の北原武夫。
第3の男です。
千代の方から猛アプローチして結婚し、彼は『スタイル』の編集にも関わります。
すでに、日中戦争(日華事変ともいう。1937年~)がはじまって緊縮ムードでしたが、千代は何よりおしゃれを大事にしました。
千代にとっての戦争は、ただ暗いものではありません。
制約の中でいかに工夫して暮らすかという、腕のみせどころだったようです。
戦後文化の中で

1945年に終戦をむかえると、休刊していた『スタイル』を復活させます。
戦後、世間ではアメリカ文化が大流行し、洋裁ブームでもありました。
そうした時流にのった『スタイル』は大成功!
売り上げの一部で熱海に別荘を買うほど✨
千代には、様々な服をデザインする力がありました。また、銀座をはじめとして各地に店をもちます。
他、友人に同行してパリへ渡ったり、馬込村でおぼえた麻雀(マージャン)に興じたり。
しかし!
金銭管理が不得意な千代は、脱税調査にうまく対応できず、雑誌の売り上げが伸び悩むように。
デパートできもの展をひらき、一度はピンチを切り抜けました。
ただ、がんばりの甲斐なく、スタイル社は1959年に倒産。
多額の借金をかかえてしまいます。
さらに夫・北原の愛人問題が絶えず、1964年に離婚。
25年間の結婚生活は、千代にとって1番長くつづいた異性関係でした。
その一方で、作家活動は旺盛!🌸
約10年かけて完成させた「おはん」が、女流文学者賞をとったのです。
「おはん」はさっそく、文楽になったり映画化されたりもしました。
現在も、千代の代表作としてまず名前が挙がる作品ですね。
元気で幸せなおばあちゃんとして

その後、千代が最も影響を受けた人物は、思想家の中村天風(てんぷう)でしょう。
スランプにおちいっていた千代は、天風の講話で回復。
老眼のため眼鏡をかけ、男性とも今までのような関わり方はしないと決意しました。
60歳を過ぎると和服で生活するようになり、テレビ出演が増えます!
1983年から新聞連載された『生きて行く私』も、ベストセラー&ドラマ化で大ヒット!
元号が平成に変わり、1990年には岩国市名誉市民に選ばれました。
その5年後、最後の著作集『私何だか死なないような気がするんですよ』を刊行。
1996年6月、急性肺炎で逝去。
98歳でした。
まとめ

宇野千代は、生まれや能力の面で、最初からものすごく恵まれていたわけではありません。
けれど、とにかく努力をおしまない。
「なんとかなる!」というマインドで100年近くを生き抜いてきた、とってもタフな人なんですね。
小説家として文章をみがき、美しくなろうとおしゃれをがんばる。
健康に気をくばり、恋もたくさんする。
そんな等身大の女性として、彼女の魅力をお伝えできたらな、と思います。
代表作
・『脂粉の顔』(1921年)
・『墓を暴く』(1922年)
・『色ざんげ』(1933年~)
・『人形師天狗屋久吉』(1943年)
・『おはん』(1947~1957年)
年表
・1897年(0歳)
11月、山口県の現・岩国市川西に生まれる。
・1899年(2歳)
生母・トモが肺結核で死去。
・1900年(3歳)
父が再婚。
・1911年(14歳)
父の命令でいとこの藤村亮一に嫁ぐが、10日で戻る。
・1914年(17歳)
女学校を卒業後、小学校の代用教員になる。
・1919年(22歳)
藤村忠と結婚。
・1921年(24歳)
『脂粉の顔』でデビュー。
・1926年(29歳)
尾崎士郎と結婚。
・1929年(32歳)
東郷青児と知り合う。
・1933年(36歳)
北原武夫の小説に感動し、はがきを出す。
『色ざんげ』の発表をはじめる。
・1936年(39歳)
雑誌『スタイル』を創刊。
・1939年(42歳)
北原武夫と結婚。
・1947年(50歳)
『おはん』の連載をはじめる。
・1958年(61歳)
『おはん』が第9回女流文学者賞を受賞。
・1959年(62歳)
スタイル社が倒産。
・1967年(70歳)
株式会社宇野千代を設立。
岐阜県根尾村に、「淡墨(うすずみ)の桜」を見に行く。
・1983年(86歳)
『生きて行く私』がベストセラーになる。
・1990年(93歳)
岩国市名誉市民となり、文化功労者として顕彰される。
・1996年(98歳)
急性肺炎のため逝去。
※参考文献:刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版、2026年8月)
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