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いけばなは、日本の伝統文化の1つとして、広く知られていますね。
 
でも、ちょっと現代人の生活には合わないなあという部分もあります。
 
伝統を守りつつ、よりよくアレンジもしていくというのが、理想なんでしょうね
 
それでも、やっぱり「いけばな」は、衰退の道を辿っています。
 
伝統文化は、敷居の高さを感じる人も多いし、今は、昔と違って「趣味」の種類も増えました。
花を飾るというだけでも、フラワーアレンジメントもありますからね。
 
西洋風の家には、そちらのほうが相応しいというのも、実際よく分かります。

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いけばなの歴史


 
花を仏前に活ける慣習は、飛鳥時代にさかのぼります。
 
それから時代を経て、中国文化の影響を受けながら、仏花を器に挿すという「花「の姿形が工夫されるようになりました。
 
そして室町時代に入ると、京の六角堂の僧「池坊専慶」が披露した「花」が、都で大評判になります!
 
これが、日本文化としての「いけばな」の始まりだといわれています。
「華道家元・池坊」の誕生ですよ‼
 
それから長い年月、多くの流派に枝分かれし、流行りすたりを繰り返しながら、いけばなはずっと続いてきました。

そして、「いけばな」人口は、戦後の高度成長期(昭和40年代)にピークを迎えます。
 
当時の流派は3千以上、その人口は約3千万人に及んだそうです。
(先生談なので小原流の統計か国の統計か出所不明)
 
大繁盛ですね~♪

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現在の数字ははっきりわかりませんが、小原流の会員数を知っている先生によると、びっくりするほど減っているそうですよ。
しかも、減り続けているそうです。
 
予想どおりだけど・・・。

 

生け花人口が減った原因は?

住環境の変化

 
いけばなは、仏前に供える「立花」が基本とされています。
つまり、もともと「床の間」に飾るもの花だったのでした。
 
昔ながらの間取りの日本家屋には、床の間と玄関に「瓶花(へいか)」を飾る場所があります。
 
でも、洋風住宅が増えた今の家では、背の高い瓶花を飾るスペースなんてないですし、そもそも床の間のある家自体、少なくなっていますね。

 

女性の生き方の変化

 
戦後のいけばなは、「嫁入り前のたしなみ」として習う意味合いが多かったようです。
 
今の感覚では、古臭い考えだなあと思えますが、「教養の1つ」として学ぶべきものとされていたのとしたら、精神的にゆとりのあった時代だったんだなあとも思えます。
 
昔の中流以上の婦女子は、現代人のように、あくせくしていなかったのでしょう。

 

趣味やレジャーの選択肢が増えたこと

 
男女を問わず、現代は楽しめる趣味の種類が数多く存在します。
 
文化・芸術というジャンルに絞っても、いろんな選択肢があるので、本当に「いけばな」に関心がある人しか、やってみようと思えないというのもわかります。

 

敷居の高さ

 
最近、日本文化に関心を持つ20~30代が増えているそうですね。
 
でも、「いけばな」は、着物を着て和室でたしなむというイメージが強く、またインターネットで教室を探しにくいので、始めの一歩を踏み出しにくいと感じるかもしれません。

システムのブラックボックス化

 
料金体系やステップアップの目安が、よくわからないというのは、現代の感覚では不安です。
 
料金は、もっともはっきりさせておかなければいけない所だと思います。

 

教授者の世代交代が滞っている←先生の意見

 
40、50代でまだまだひよっこというこの業界は、やはり古い体質が残っているのでしょう。若い人が躊躇することが多く、後継者がなかなか育たないのは問題です。
 

おわりに


 
どんな物事でも、長く残るにはある程度時流に乗って変化することが必要だと思います。
 
小原流の「小原雲心」が、現代住宅に合うようにと「盛花」を発案したように、伝統はそのままの形で残しつつ、変えるべきところは思い切って変える柔軟性を持たなければいけないのしょう。

 

「いけばな」は、600年続く日本の文化です。
これからも、ずっと長く日本固有の文化とし残るよう、守り手が増えてほしいと願います。