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みなさま、推理小説やサスペンスドラマはお好きでしょうか?
 
 
日本最古の長編物語『源氏物語』は、主人公の光源氏と多くの女性のドロドロした恋愛劇という印象が強いですね。
 
 
でも、実はそれだけではありません。
 
 
ドロドロした男同士のいや~な出世競争なども、しっかり描かれているのでした。
 
 
全部で54巻ですから。
 
 
政治サスペンス、処世術、仏教的因果応報など、いろんな要素を含んでいるのです。
 
 
舞台が宮中、つまり「国の最高機関」ですから、トップの大臣(摂政・関白)になろうという優秀な貴族達がたくさんいます。ということは、出世競争や政治的な駆け引きも、もちろんあるはずなのです。
 
 
紫式部は、頭中将(とうのちゅうじょう)という、若手ツートップの片割れともいえるハイスペックなライバル(であり義兄)も登場させますし、笑い事では済まされない政敵も出てきます。
 
 
そして、彼女はほかでもない「宮中」でこの物語の大部分を書きました。『源氏物語』は当時、女性だけでなく男性官僚にも人気があったそうですよ。
 
 
今回は、そのあんまり色気のない(?)政治的な視点から、『源氏物語』の「第一部」のみどころをお伝えします。

 
 

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母「桐壺の更衣」がイジワルされた本当の理由

 

 
光源氏の生母・「桐壺の更衣(きりつぼのこうい)」は、後ろ盾がなく身分の低い更衣です。しかし非常にすばらしい女性だったらしく、桐壺帝はゾッコン、彼女だけを寵愛するようになりました。
 
 
物語の始まりはここなのですが、そもそもそれがよくなかった!
 
 
もう、このはじまりから、すごい波乱を予感させます。
 
 
光源氏の父・桐壺帝は、天皇です。天下を治め給う「帝」なのです!
 
 
平安中期頃の帝には、絶対君主のような権力はありません。中宮(=皇子の母)の実家(リアルでは藤原氏)の力を頼りに、政治を行っていたのでした。
 
 
ですから、大きな後ろ盾(リアルでは藤原北家)を持つ女性を正妻として扱うのが、慣例のようなものだったわけです。
 
 
当時の上流階級は「一夫一妻多妾制」なので、正妻以外に社会的に認められた妻を複数持つのは当然です。が、後ろ盾のない女性をひいきし「皇子」を生ませることは、多くの政敵を作る原因,国が乱れるもとになります。
 
 
「後ろ盾」とは「金と権力」、つまり、女性の実家の財力と父親の権力です。
 
 
そして宮中で帝の寵愛を求める女性たちは、自分だけではなく、一族の出世や家の繁栄を背負っていました。ですから、みんな必死&わりと責任重大です。
 
 
もちろん、「卑しい女の分際で、帝の寵愛を独り占めしてっ!」という嫉妬はあったでしょうけれど、それだけではないのです。もっとシビアな問題です。
 
 
また、当時、桐壺帝には中宮はいませんでしたが(のちに藤壺が中宮に)、重臣である右大臣の娘・「弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)」があとつぎ候補の皇子を生んでいました。なのに、帝が後ろ盾のない更衣にゾッコンというのはやっかいです。
 
 
「弘徽殿の女御」やその父の右大臣に身内が世話になっている人々が、みな「桐壺の更衣」に敵意を持つのは、もっともなことなのでした。
 
 
つまり、帝の行き過ぎた寵愛が、いじめをエスカレートさせているようなもの。
 
 
弘徽殿側の勢力は、一致団結して後宮で桐壺の更衣をいびります。
 
 
「廊下に汚物をまき散らして帝の部屋へ行けなくする」、「戸に鍵をかけて閉め出す」など、単純ですがなかなかダメージの大きい嫌がらせを続けます。心が折れそうです。
 
 
桐壺の更衣が皇子(=光源氏)を生むと、いじめはますますエスカレートし、もともと体の弱かった彼女は、ついに病に倒れ亡くなってしまったのでした。
 
 
光源氏が3歳のときです。
 
 
それを知った帝は、彼女を想ってさめざめと泣くばかり。。。
 
 
そして、後ろ盾のない我が子(=光源氏)を皇子のままにしておくのは争いの原因になりかねないと考え、「源氏」という姓を与えて臣下にします。
 
 
右大臣や弘徽殿の女御は、これでいったん胸をなでおろしたでしょう。
 
 
ここまでの内容は、後ろ盾のない女性をえこひいきすると、本人も周りも不幸になるという宮中の教訓話を含んでいると思われます。

 
 

須磨への隠遁でどん底ピンチに!

 

 
光源氏は、光り輝く美しい貴公子に成長しました。そして、奔放な恋愛体験を重ねていきます。
 
 
その恋のお相手の1人に、「朧月夜(おぼろづきよ)」という女性がいます。
 
 
彼女は、大輪の花のように艶やかで高貴、自分の考えをしっかり持った奔放な美女。現代的でカッコイイ女性です。私は若い頃、女性の登場人物の中で、彼女が一番好きでした。
 
 
しかし、そんな彼女は右大臣の6番目の娘。最大の政敵の娘だったのです。
 
 
光源氏の生母をいじめた「弘徽殿の女御」の年の離れた妹。しかも、「弘徽殿の女御」が生んだ東宮(=のちの朱雀帝)に入内する予定がありました。。
 
 
そのようなややこしい立場の姫君と、宴のあと、月の美しい夜に出会ってしまったのです。最初は彼女の素性を知らなかったとはいえ、のちに分かってからも、2人はそのままずるずるとスリリングな逢瀬を重ねました。
 
 
「ロミオとジュリエット効果」というやつでしょうか。
 
 
しかし、当然、ついに娘の親兄弟にバレてしまう日がきました。
 
 
愚かかもしれませんが、物語的にはドラマチックでスリル満点です!
 
 
当時の宮中の女性は、ラノベを読むような気分で楽しんだかもしれません。
 
 
また、タイミング悪く桐壺帝が崩御され、朱雀帝の背後にいる右大臣一派が権勢をほこる世になって、左大臣側の人たち(=光源氏や頭中将など)は居心地が悪くなりました。
 
 
そんな不穏な情勢を察知し、みずから身をひいて当時の片田舎の「須磨」へ向かいます。贅を尽くした生活しか知らなかった彼は、このとき初めて、少しだけビンボー生活を体験したのです。
 
 
主人公を成長させるためにも、またストーリー的にも、こういう「どん底」体験をさせるのはすごく効果的です。続きが気になりますね。
 
 
須磨は寂しい場所なのですが、光源氏はやっぱり光源氏。
 
 
ここでも「明石の君(上)」という美しく聡明な受領(=中流貴族)の娘と出会い、しっかりロマンスを楽しみました。
 
 
都でひたすら男君の無事を祈る「紫の上」が不憫です。
 
 
この「明石」が、後に入内して中宮となる、光源氏の一人娘を生むのでした。

 

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冷泉帝の即位で政界の頂点に!

 

 
須磨に流された光源氏は、兄帝による恩赦で都に戻されました。
 
 
光源氏が去ってからというもの、重臣の右大臣が亡くなって自身も目の病にかかり、災厄が続きました。その理由として、みずからの過ちのせいで神仏のバチが当たった、とお考えになったのです。
 
 
平安時代の人らしい考え方ですね。ちなみに、光源氏を戻って来させるというこの恩赦に、「弘徽殿の女御」はとても悔しがります。
 
 
都に戻ってからの光源氏は、とんとん拍子に出世コースに乗り、39歳にして栄華を極めたのでした。
 
 
六条御息所の娘を、冷泉帝(また代替わり。じつは藤壺との不義の子)の中宮とし、自分の一人娘・「明石の姫君」を東宮(=朱雀帝の皇子)に入内させることに成功!
 
 
また、「六条院」という大邸宅をつくり、かつて見初めた女性たちを住まわせて一大ハーレムを築きます。
 
 
そして、冷泉帝から「太政天皇」に準ずる位という、臣下としてはこれ以上望むべくもない「最高の地位」を得たのでした。
 
 
めでたし、めでたし。

 

おわりに

 

 
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
 
 
源氏物語の「第一部」は、光源氏の人生のまばゆいばかりの頂点まで描かれており、よくある(?)ハッピーエンドの出世バナシです。
 
 
しかし紫式部は、この後の「第二部」で、せっかくつくりあげた絢爛豪華な世界を破壊していきます。
 
 
『源氏物語』の素晴らしいところは、この崩壊のステージ,第二部なのです。
 
 
朱雀院のご秘蔵娘・「女三宮」の降嫁から、少しずつ光源氏も周りの人々も苦悩に見舞われ、不幸になっていきます。そしてその描写がとても味わい深いのです。
 
 
紫式部の凄さは「第二部」にこそあると、私は思います。
 
 
長くなりましたので、そのお話はまた別の機会に♪
 
 
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