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こんにちは、このかです。
 
文部科学省は、2021年度からの中学の歴史の授業で「聖徳太子」を「厩戸王」「鎖国」を「江戸幕府の対外政策」に変更するという改定案を出しました。
 
歴史は、考証によって、変わっていきますね。
でも、その後、世論の批判を受けて、あっさりこの改定案はくつがえされました。なので、当面は従来通りということです。
試行錯誤は大切なので、いろいろ試して世論の反応を見るのはよい事だと思います。
 
「鎖国」という言葉を使わないというのは、私は大賛成ですけど。
日本は、交易国と貿易港を絞り込んでいただけで、けっして国を閉じていたわけではありませんから。
 
「鎖国」という言葉からは、日本が200年以上も完全に他国との交流をシャットアウトしていた印象を受けてしまいます。
 
一方、聖徳太子を「厩戸王」と呼ぶというのは、確かに、歴史に全く興味のない生徒が習うと、混乱するかなあと思います。
 
「聖徳太子」という名が有名過ぎるので、別人と思われかねないですね。
 
今回は、その聖徳太子の唱えた「和の精神」について、私の思うことをお伝えします。

 

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聖徳太子の「和の精神」

 

 
聖徳太子は、飛鳥時代に蘇我氏と協力し、様々な改革に取り組んだ人です。
 
実質的に、日本を確立させた人ともいえます。
お札に描かれていた事を全く知らない世代からも知名度抜群で、数々の伝説を残す人物ですね。
 
ちなみに、今までに、百円札、千円札、五千円札、一万円札の肖像になっているそうですよ。私は、一万円札は覚えてますけど(諭吉になる前)、他は知りませんでした。
 
これだけ重要視されている人物なのは、やはり、日本の精神の礎「和の心」を築いた人だったからに違いないと、私は思うのです。
 
彼が制定した「十七条憲法」「冠位十二階」については、こちらをご覧いただくとよく分かります。
 

 
千年以上も前に彼が打ち出した「十七条憲法」は、日本が今後生き残るためにも、けっして忘れてはいけない日本人のオリジナリティだと思います。
 
この憲法は、日本初の憲法と言われますが、「日本国憲法」ような「明文化した国家の基本法」ではありません。
 
国家を担う官僚の職務心得であり、国民が心得て行うべき道徳の基準を示したものでした。
 
そして、その精神を象徴する言葉が「和」だったのです。

 

和を以て貴しとなす

 

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聖徳太子の「十七条憲法」・第一条はこの言葉で始まります。
 
「一曰。以和為貴。無忤為宗。」
(一にいわく、和をもって貴しとなし、さからうこと無きを宗とせよ。)
【意味】「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。」
 
いかに、聖徳太子がこの「和」というものを重んじていたのかが分かります。
ここで誤解していただきたくないのは、
 
「和」というのは「同調」ではない
 
ということです。
 
日本の「和の精神」はよくないという人たちは、「和」を「同」と同じものと考えているのではないかと思います。
 
例えば、自分を持たずに人の意見に従うことや、ブラック企業で上司のいう事に「はい」としか言えないというのは「同(同調圧力)」であって「和」ではありません。
 
聖徳太子は、日本に伝わった仏教の奨励者であり、儒家や法家の思想も深く学んでいました。
 
孔子の「論語」に、
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
という言葉があります。
 
「君子は、人と協調はするけど、主体性なく適当に人に賛成することはない。
小人(つまらない人)は、何でも適当に賛成することはあっても、人と本当に信頼し合うことはできない。」
 
つまり、「和」を「同」と捉えるのはつまらない人物ですよと否定しています。
みんながやってるから…、みんなと一緒じゃないと……、という考え方は「同」です。
 
聖徳太子は、単なる妥協や融和をススメているのではありません。
人々が心から調和できれば、どんなことでも成し遂げられるという理念を説いているのです。
 
太子は大陸の思想を研究しましたが、その中に「和」という徳目はありませんでした。
当時の仏教にはないですし、儒教は「仁」「義」「孝」という徳目が中心です。
 
太子は、外国思想をそのまま真似たのではなく、独自の考えで「和の精神」を打ち出したのです。
 
中国の文献に残る古代日本の国名は「倭(わ)」です。
これは、中国が蔑視する漢字を当てたもので、音から考えると「和」だったと考えられますね。
 
平安時代に「日本」と国名を表す以前、この国は「和国」だったのです。
「やまと」に「大和」という字を当てたのも、「和」の重視からでしょう。

 

「和の精神」を忘れないようにしたい

 

 
日本が近代国家となった明治時代に、王政復古の大号令の後、「五箇条の御誓文」が発布されました。
 
この御誓文の内容は、聖徳太子以来の「和の精神」「話し合いの精神」を継承したものです。
 
近代日本の幕開けとなるこの御誓文に、千年以上も前に打ち出された「和の理念」が受け継がれたというのは、感動ものです。
 
日本人の「和の精神」
 
それは、けっして妥協することではない、人と人、人と大自然の「調和の精神」を指します。
 
その精神を、これからも忘れないようにして、正しい愛国心をしっかりと育んでいきたいです。