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『注文の多い料理店』は童話ですが、大人も十分楽しめる作品です。
★『注文の多い料理店』青空文庫
内容は、結構奥行きがありますよ。あらすじはこちらです。(*^^)
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今回は「注文の多い料理店」を読むときに、注意するとおもしろいポイントをお伝えします。
目次
主題
この話の主題は、
1.自然・命の大切さ
2.都市文明への警告
といわれます。
それは、宮沢賢治自身が書いた作品の広告文からも読み取れますよ。
地球に住む同じ生き物であることを忘れ、多くの動植物の命を平然と奪う人間への警告が表されているのです。
短編なので、朗読も25分程度です。音で聞くと、擬態語(オノマトペ)が特徴的とわかりますね^^♪
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皮肉とユーモア
この作品には、皮肉とユーモアが随所に見られます。
2人の紳士がごちそうを期待しているのに対し、山猫は2人の紳士をごちそうにしようと企んでいるという思惑の行き違いが、まずおもしろいです。
また、2人の紳士がごちそうを食べようと思いつつ、実際は自分たちが食べられる下ごしらえ(用意)をしているという、逆説的なおもしろさも感じられます。
徐々になんだかおかしいと感じ始め、自分たちの勘違いに気づくまでの心理を、読み手が一緒に感じられるところも楽しいですね。
「色」が意味するもの
「注文の多い料理店」には、たくさんの「色」が使われています。
「扉」やそこに書かれた注文の「文字」、「壺」などの色が、カラフルで統一されていないのです。
「色」は感情や雰囲気のイメージにつながります。
そして、それは、多くの人が同じように感じる色もあれば、人によって感じ方が違う色もあります。
白、黄、水、金、赤、黒、青、銀
それぞれの色について、あなたはどんなイメージを持つでしょう。
「山猫軒」は「白い」瀬戸のレンガでくんだ玄関に、「金文字」で案内が書かれていました。
私は、高級感と清潔感のある、オシャレな洋館をイメージしましたよ。「白」と「金」という色彩のイメージです。
「山猫軒」の中の描写にも、「色」がたくさん使われています。
色から受ける感覚は人それぞれですが、「色」のイメージを加えることで、この物語の不思議さや不気味さが増してきます。
非常に効果的な使い方だと思います。
独特のオノマトペ
宮沢賢治は、独特なオノマトペ(擬態語・擬音語)を使います。くすっと笑いたくなるような楽しい表現も多いです。
「注文の多い料理店」では、そんなにたくさん、変わったオノマトペは使われていません。
独特だなあと思うものを、ピックアップしてみました。(‘◇’)ゞ
● なんでも構はないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだな。
● 草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
● ずんずん廊下を進んで行きます。
● がたがたがたがた、ふるへだしてもうものが言へませんでした。
● 中ではふつふつ とわらつてまた叫んでゐます。
「風」が意味するもの
1度目の「風」
1度目の風は、現実世界から不思議な異世界への導入の風です。
この風がどおっと吹いた後に、2人の紳士は、存在しないはずの西洋料理店「山猫軒」を見つけます。
不思議な世界へと入っていく風でした。
2度目の「風」
2度目の風は、「山猫軒」に入った後、靴の泥を落としたブラシがかすんで消えた後に吹きます。その後、「山猫軒」の数々の注文が始まります。
つまり、2人の紳士が、注文通りにだまされていくのです。
物語の世界は変えませんが、店の中の世界に促される風ですね。
3度目の「風」
3度目の風は、犬が扉を突き破って入ってきて、扉の向こうの真っ暗闇の中で猫のような鳴き声がした後に吹く風です。
この風が吹いて、2人の紳士は元の世界に戻り、草の上に立っていたことに気付くのです。
つまり、3度目の風は、不思議な世界から現実世界に戻る風なのです。
「山猫軒」の主は誰?
山猫軒の主人は、いったい誰なのでしょう。
最後の扉の奥から話し声が聞こえ、親分がどうのこうのと話をしていることから、主人は複数の使用人を持つ「親分」とわかります。
また、彼らの会話から、人間を食べるのは「親分」とも分かります。
最後に、犬が飛び込んできたとき、確かに「猫」のような鳴き声がします。
でも、普通の猫(山猫)でないことは確かでしょう。
宮沢賢治は、はっきり書いていません。つまり、読み手に想像の余地が残されているということです。
私は、「山の守り神」のようなものなのではないかと思っています。日本の自然神は、人を食いますからね。
人間が愚行をおこすと、生贄(いけにえ)を捧げなければいけません。人間に自分で下味をつけさせるというのが、おもしろいですけど・・・。
死んだ犬が生きていた?
2人の紳士が不思議な世界に入り込む前、連れていた2匹の犬が泡を吐いて死にます。
しかし、その犬が扉を破ってくれたおかげで、2人は現実世界に戻ることができました。
ここに矛盾がありますね。死んだはずの犬が、生き返っています。
そして、2人の紳士は、犬が死んだということを、すっかり忘れています。犬はその後も2人と共に行動しているので、幽霊ではありません。
ということは、現実的に考えると、泡を吹いて死んだというのは2人の紳士の主観で、実際は気絶していただけともとれます。そうでなければ、死んで生き返ることになってしまいますから。
犬が、なぜ山の「だいぶの奥」に入ったときに、泡を吹いて倒れたのか、それを考えるのもおもしろいですね。
もしかしたら、犬は「山の神」(「山猫軒」の主)を見て(感じて)しまったのかもしれません。
東北地方の雪山になら、「神」がいてもおかしくない気がしますよ。「遠野物語」のような世界でしょうから。
また、死んだ(と思った)ときに、お金に換算して損したとしか思えなかった、つまり、「犬を物のように思っていた」2人が、その犬に救われるというところに皮肉がありますね。
紙屑のようにくしゃくしゃになった顔
恐怖のあまり紙屑(かみくず)のようにくしゃくしゃになった2人の紳士の顔は、お湯に入っても、もう元通りにはなりませんでした。
それは、どういう意味なのか?
何を暗示しているのか?
このくだりは、国語の授業的には物語の大きなテーマ「拝金主義」に対する「警告や皮肉」とされます。
確かに、この紳士たちは犬が死んでしまっても、「○○円の損害だ!」とお金を惜しむばかりのひどい人たちでした。
でも、宮沢賢治はそこまで考えて、この言葉を書いたのでしょうか?
私は、たんに「恐怖のあまりくしゃくしゃになったまま」戻らなかっただけなんじゃないかなと思います。
恐ろしさで一気に老け込んでしまって顔がしわだらけになったなら、もう元に戻ることはありませんから・・・。
「注文の多い料理店」はなかなか深い童話です。簡単あらすじはこちら~♪
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