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こんにちは、このかです。
来年の大河ドラマは、幕末の人気者・西郷隆盛が主役ですね。
戦国時代とともに幕末は、人気のある時代です。
あの時代は、いろんな思想を持つ人たちが、それぞれの大義を振りかざしていた混迷の時代でした。
ヒーロー続出なので、ドラマ仕立てにしやすいってのもありますが、やっぱり魅かれるのは、志半ばで滅んだ者たちです。
ハリウッド映画のように、最初から最後までぶっちぎりで強いスーパーヒーローなんて、ぜんぜん萌えません。
古典の中で『平家物語』が断トツで一般読者が多いのは、「滅びの美学」がてんこ盛りだからですよ。
有名どころで、木曽義仲、平敦盛、源義経、他には、織田信長、新選組、西郷隆盛もラストは西南戦争で滅びます。
彼らの生き方の美しさは、目標を達成しようと夢見る姿のまま果てたところにあるんですよ、きっと。
夢に向かって努力する姿こそが美しい
織田信長が、すごく人気のある武将なのは、燃えさかる本能寺で、「是非に及ばず」とのたまって「敦盛」を舞う最期のシーンあってこそです。
もし、彼が天下を取っていたら、どうなったでしょうね。信長のことだから朝鮮政略しているかもしれませんが、いずれにせよ、天下を取ってからは武将としての魅力はなくなっていくと思います。
例えば、彼の後を引き継いだ秀吉の場合・・・。
信長とは比べられない小物ですが(←信長のほうが好きなだけ)、足軽が天下をとるという「下剋上の極み」を体験しています。
頂点に立ったら、もう目指す先はありません。後は、転がり落ちないようにするだけ。信長のように日本をこういう国にしたいという野望も、家康のように後々の国造り計画も持っていなかった成り上がりの秀吉が、まともな精神状態でいるのは難しかったのでしょう。
ブレーキ役の有能な弟・秀長が亡くなってからの暴走は、見ていられないほど醜いです。
でも、そんな秀吉でも、信長の仇を取るという体の「中国大返し」まではかっこよかったですよ。
清須会議辺りからは、嫌なじじいでしかありませんが・・・。
また、幕末期では、薩長の勝組たち。
明治新政府の参議になった彼らの給料は、月収約1500万円もあったそうです。月収ですよ!
彼らは、豪邸を建て5人も10人も愛妾を作り、爵位をもらって贅沢三昧の暮らしをするようになりました。
そんな彼らに失望した西郷隆盛は、参議を辞退し、国元に帰って下級武士に寄り添って暮らします。そんな西郷隆盛の生き方に、すごく高潔なものを感じるのです。
なので、来年の大河の「西郷どん」、すごく楽しみなのでした。
変な脚本・演出だったら、怒ります。(林真理子だからかなり心配)
ドラマを見る側は、登場人物が高潔な理想を掲げて、それを追い求める姿に魅かれるのです。
でも、史実は、生きている人ですから物語のような美しいラストにはなりません。
英雄と言われた者が、晩年その名を汚すことも数知れず。
そういうところからも、志半ばで果てた人は、高潔な精神のまま滅びるので魅力的だと思うのです。
夢叶わず果てるって「侘び」の境地だよ
日本人の美学に「侘び寂び(わびさび)」というものがあります。
「わび」と「さび」は、一つの言葉になってますが、正しくは別物です。
「わび」とは、簡潔に言うと、「不完全なものの中に美しさを見出すこと」です。利休の「わび茶」は、これに当たります。
「さび」とは、「古くて寂びれた空間の中に美しさを見出すこと」です。松尾芭蕉の俳句から感じ取れるのは、この「さび」の雰囲気です。
「わび」の「不完全の美」、夢の途中でプツンと命が絶たれた人たちの未完の生き様に、これを感じます。
そういうところが、日本人の心の琴線に、触れるのだろうと思うのでした。