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武道や伝統芸能の世界では、「守破離」という言葉が使われることがあります。
 
こういう日本古来からある言葉って、なんだかかっこよく感じませんか?
 
私は「生け花」を習っているので、こういう言葉を昔の人も守っていたのだなと思うと、とても不思議でおもしろく感じます。
 
あなたは、現代でもこの「守破離」を、大切な道だと思いますか?

 

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「守破離」とは


 
「守破離(しゅはり)」というのは、日本の武道・伝統芸能などでの師弟関係の在り方のことをいいます。
 
「守」→「破」→「離」と順に進む、習得のプロセスのことを指したものなんですね。

 

「守」→師匠から教わる型を素直に忠実に「真似る」修行の始めの段階。
「破」→師匠から学び身につけた型をいったん破り、「応用」に入る段階。
「離」→型から離れて完全に自分のやり方を生み出す段階。

 
「守」は、師匠をマネる段階なので、簡単なことを淡々と続けていくイメージがありますね。
 
でも、割合としては、「守」にもっとも多くの時間がかかります。
それが、大事な土台を築く時期にあたるからです。

 

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守破離の肝は「守」にある!


 
何かを本気で習得したことのある人なら分かると思うのですが、何も考えないで、ただ人のマネをするだけで、進歩はできません。
 
マネるというのは、単純に師匠の物マネ(完コピ)をするのではなく、盲目的に師にへつらうことでもないのです。
 
そういうことだと思って、「前時代的な考え方でおかしいんじゃないの?」と思う人は、この言葉の意味をとらえ違えています。
 
守るのは、全てではなく、あくまで「型」なのです。
 
守るべき「型」が多い分野ほどこの「守」に多くの時間がかかります。
そして、その「型」には、車のハンドルの「遊び」のような部分があると私は思います。
 
生け花の「型」でも、はっきりと決まりがありながら、裁量で自分の「色」を出せる部分が初級からあるのです。自分の「色(個性)」がどういうものか、この「守」の時期に試行錯誤を重ねながら、だんだん見えてきます。
 
 
それに真似るべき「型」というのは、たった1人の人間が生み出したものではなく、その道を極めた多くの先人たちの試行錯誤の末にでき上がった結晶のようなものです。
 
普通の人間は、その「型」をまず「真似る」ことが、結局のところ、習得の「一番の近道」になるのですよ。
 
ですから、私はこの「守破離」の考え方は、非常に大切だと思っています。
 
でも、この「守」は、やり方を間違えると、一向に上達しない恐れがあるのも事実です。

 

真似るべき人(師匠)の選択を間違えないように


 
上達の早い人は、「素直な心」を持つ人だという意見をよく耳にします。
 
ここでいう「素直な心」というのは、自分のいたらなさを認め、そこから努力しようと、人の言葉を受け入れられる心を指します。
 
これ、とっても大事なことだと思いますよ!
 
「素直」っていうのは、ただ、人に言われたことに「はいはい」と従うだけではないんですよ。
 
師にあって自分にない物は何か考え、必要な物、良い物を吸収する(マネる)のが大切です。

 

自分にあった師匠に師事する

 

 
例えば、花を飾る技術を身につけたい場合、茶室に飾る花をいけたいなら生け花が最適です。でも、ロココスタイルのリビングに花を飾りたいと思うなら、フラワーアレンジメントの先生に習うほうがよいでしょう。
 
「自分の目指す物」に合った人を師に選ぶということが、とても大切なのです。
 
 
もちろん、お互いの人間的な「相性」も含めて。
 
 
私は自分が変わるためには、人との出会いが、すごく大切と思っています。
ほとんど引きこもっていても、それは十分実感できることなのですよ。
 
 
かえって、関わる人を厳選できますから・・・。