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「斜陽」は、太宰治の書いた長編小説です。
 
 
この作品は、太宰治の中期以降の作品で見られる女性主人公の「一人称」形式で書かれた作品で、「新潮」に掲載された当初から人気を博し、すぐに重版が決まりました。
 
 
この女性の一人称での書き方は、太宰治の得意な手法の1つです。
 
 
『斜陽』は没落していく上流階級の家族を描いた作品で、「斜陽族」という言葉を生み出し社会現象になりました。
 
 
太宰治の生家である「記念館」は、本書の名をとって「斜陽館」と名付けられています。

 
 

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斜陽

 

 
「斜陽」は、太宰治が愛読していたチェーホフの戯曲『桜の園』を、下書きにして書かれたもので、日本版『桜の園』といわれるのはそういう理由からです。
 
 
「斜陽」というのは夕方の沈みゆく太陽のことです。
 
 
朝日や真昼の太陽とは違う、鮮やかさがそこにはあります。「陰影」により際立つ明るさですね。
 
 
この作品は、4人の登場人物が交錯し合って、陰影を作り出しています。その4人すべてが太宰自身の「投影」ともいわれます。
 
 
全編が(一)~(八)から成り立っています。
 
 

◆登場人物

 
私 ー かず子、華族の娘、離婚して実家に戻っている
母 ー かず子と直治の母、華族の貴婦人。
直治 ー かず子の弟、戦地でアヘン中毒になって帰る
上原 ー 直治とかず子の知り合いの小説家(庶民)

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◆冒頭

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かな叫び声をお挙げになった。

あらすじ

 

 

◆(一)、(二)

華族の家に生まれたかず子は、母と共に「ままごとのような」生活感のない暮らしをしていました。
 
 
父は10年前に病死し、母は戦地に赴いた息子・直治の安否をずっと気にしています。
 
 
直治は、戦争に行ったまま、行方不明になっていたのです。そして、1945年、太平洋戦争が終わりました。
 
 
かず子は結婚していましたが、ある画家に恋をしたと公言し、夫に身ごもった子供が誰の子かと疑われる始末でした。そして、その子が死産だったこともあって、夫とは別れて暮らしています。(29歳の出戻り娘です。)
 
 
戦争に負けた日本は、アメリカ主導の新体制を導入し、華族など上流階級の個人住宅が差し押さえられることになりました。かず子の家も財産を差し押さえられ、東京の家を売り払って伊豆の山荘に移り住み、細々と暮らしています。
 
 
かず子の母は「最後の貴婦人」ともいうべき上流階級の優雅な夫人です。彼女は病い(結核)で次第に弱り、かず子が面倒をみていました。
 
 
山荘へ移ってしばらくして、かず子は母から弟の直治が無事に帰ってきていることと、ひどいアヘン中毒にかかっているらしいということを聞きました。
 
 
その後、直治は母とかず子の元に帰ってきます。

 
 

◆(三)、(四)

 
 
帰ってきてからも、直治は家のお金を持ち出しては、東京の上原という小説家の元へ行き、荒れ果てた生活をしていました。
 
 
かず子と上原は以前から顔見知りの仲で、かず子が結婚していた頃、妻子持ちの上原と「ひめごと」を抱える関係でした。
 
 
その「ひめごと」というのは軽いキスだけなのですが、かず子はそれが忘れられず、上原に3つの恋文を書きます。
 
 
(四)の内容は、全てその3つの手紙です。
 
 
その手紙は全て「M・C(マイ・チェホフ)宛て」と記しています。(上原宛)
 
 
1通目は、自分が恐ろしいという手紙、2通目は自分には常識というものがわからないという手紙、そして、3通目は、上原の愛人になり子どもを生みたいという内容の手紙です。

 
 

◆(五)、(六)

 
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上原から手紙の返事はなく、日々だけが虚しく過ぎ、かず子は悽愴の思いにとらわれます。
 
 
かず子は、「革命と恋」を大人たちは「最も愚かしく、いまわしいもの」と教えてきたけれども、実はそれらはこの世で最もよい事だから、大人は意地悪く嘘をつき、反対のことを教えたのではないかと考えます。
 
 
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。」
 
 
それからしばらくして、母の容態(結核)が悪化します。
 
 
そして、「日本で最後の貴婦人だった」美しい母が、とうとう亡くなります。
 
 
この母の死は「華族(貴族)の滅亡」の象徴のような出来事です。
 
 
直治は、その後、一層荒れた生活を送るようになりました。
 
 
一方、かず子は、自分は生き残って「道徳革命を起こす」決心をします。
 
 
そして、直治を山荘に残し、東京の上原の家を訪ねました。(「革命」を成し遂げるには「恋」の力が必要でした。)
 
 
上原は不在でしたが、上原の妻に教えられた飲み屋へ行くと、仲間と騒ぐ「一匹の老猿」のような上原を見つけます。
 
 
2人きりになると、上原はかず子の手紙は読んだと言い、「僕は貴族は嫌いなんだ」と話し始めます。彼はかず子や直治のような貴族をひがんでいて、悲しい人生を終えるためにあえて毎日大酒を飲んでいるのだそうです。
 
 
その夜、あてがわれた部屋で寝ていると、上原が入って来て、かず子は「一時間ちかく必死の無言の抵抗」を試みましたが、「ふと可哀そうになって放棄」します。
 
 
「かなしい、かなしい恋の成就」
 
 
上原と別れて東京から伊豆の山荘に帰ったかず子は、弟・直治が遺書を残して自殺したことを知ります。

 
 

◆(七)、(八)

 

 
直治の遺書には、生の苦しみと、自分は庶民に憧れていたがなれず、心の底で上原を嫌っていということ、そして、ある洋画家の奥さんにずっと恋をしていたことが書かれていました。
 
 
そして、最後はこう締めくくります。
 
 
「姉さん。 僕は、貴族です。」
 
 
母と弟、全てを失ったかず子は、それでも今は幸せだと感じていました。
 
 
かず子は上原との子を宿していたのです。それは、かず子の望み通りのことでした。
 
 
「こいしいひとの子を生み、育てる事が私の道徳革命の完成なのでございます。」
 
 
かず子は、上原に最後の手紙を「水のような気持ちで」したためます。
 
 
「M・C(マイ・コメディアン)へ」と。
 
 
かず子は、「古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きていく」と決心したのでした。

 
 

おわりに


 
「斜陽」は、太宰治が自殺する前年に書かれた作品です。
 
 
主人公の「かず子」は、太宰の愛人の1人「太田静子」がモデルといわれています。
 
 
太田静子は名家の生まれで、妻子持ちの小説家・太宰の子供を生みました。また、作中にたくさん登場する手紙は、静子が送った「日記」を材料にしたものです。
 
 
かず子と直治の姉弟を比較すると、放蕩に走り庶民になろうとしたがなり切れず貴族のまま死んだ弟と、貴族の殻を破り私生児とその母として強く生きようと決心する姉という対比が際立ちます。
 
 
かず子は「一夜の恋」をバネにして、「道徳革命」を成し遂げました。
 
 
「道徳革命」とは、戦後の社会で生き抜くための「価値転換」です。
 
 
滅びの美学の魅力が感じられるところに、太宰の滑らかな美しい文章が相まっている名作だと思います。





 
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