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「お伽草紙」は、太宰治が広く知られている昔話を自分なりに解釈した異色の作品です。
 
昔話の4つの話、「瘤取りじいさん」「浦島太郎」「カチカチ山」「舌切雀」を元にした作品が、収められています。
太宰治が読んだのは、「子供向け」の昔話です。
 
全て結末は昔話のとおりなのですが、登場人物の設定とエピソードの解釈が太宰流にアレンジされています。
どの話も質の高いユーモアと風刺が効いていて、「昔話」の奥にある人間心理をついた解釈がすごくおもしろいのです。
 
この中では、断トツで「カチカチ山」がおもしろかったですよ。(*^^)v
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瘤取り

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「設定」
「よいお爺さん」
➾酒飲み爺さん、家族が真面目で孤独を感じている。瘤を気に入っている。
「悪いお爺さん」
➾生真面目爺さん、学も財産もそれなりにある人。瘤を邪魔だと思っている。

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昔話の「こぶとりじいさん」は、いわゆる「よいお爺さん」と「悪いお爺さん」の対比で、物語が進んでいきますね。
でも、この話では、上のような設定になっています。
そして、お爺さんたちが出会う鬼たちは、「剣山の隠者とでも称すべきすこぶる温和な性格の鬼」という設定です。
 
「酒飲み爺さん」がほろ酔い気分で踊ると、鬼たちは笑い転げて喜びました。
 
そして、鬼たちは爺さんの瘤を取って預かったら、また爺さんが来てくれるかもしれないとひそひそ話合い、その「孫のようにかわいがっている瘤」をとってしまったのです。
 
「酒飲み爺さん」の話を聞いて、邪魔な瘤を取ってもらおうとやって来た「生真面目爺さん」も、同じように鬼たちの前で踊ります。しかし、その意気込んで踊る姿を見て、鬼たちは興ざめしてしまいました。
 
酔いがさめると言って逃げようする鬼たちに、「生真面目爺さん」は瘤をとってくれと頼みます。
うろたえていた鬼は「酒飲み祖父さん」から預かった瘤をほしがっていると勘違いし、「生真面目爺さん」にもう1つ、瘤をつけてしまったのでした。(‘Д’)
 
結末は同じなのですが、太宰治の話では、「悪人」も「不正」の事件もありません。なのに、不幸な人が出てしまうことになりました。
 
なぜ、このような結末になってしまったのか。
太宰は、最後にこう記します。

「性格の悲喜劇というものです。
人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。」

 

浦島さん

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「浦島さん」は昔話「浦島太郎」を太宰流にアレンジした作品です。
 
浦島太郎は、旧家の長男です。浦島は風流を気取った男で、いつも人の噂や批評ばかりしている兄弟を見てはうんざりし、ため息をついています。
 
ある日、浦島が砂浜を歩いていると、前に助けてやったカメがお礼がしたいと言ってきました。
カメは浦島を竜宮に誘いますが、浦島は「冒険は好かない」と言います。
 
すると、カメは、「他人の親切を素直に受けることができないのか」と言い返し、結局カメの勢いに押されて竜宮城へ行くことになります。
このカメが、江戸っ子口調の毒舌家で口が達者でおもしろいです。
 
竜宮城は、昔話のような御殿ではなく、ちょっと変わっています。例えば竜宮にある真っ白な山はすべて真珠でできていて、竜宮は壁もなければ屋根もない、ただ薄闇がぼんやり漂っているだけのものでした。そして、乙姫も、ただふんわり微笑んたり、琴を弾いたりするだけです。
 
竜宮というところは、歓待などは一切せずお客さんにただひたすら「許可」を与える場所なのです。そこには、食べるとほろ酔いになる「桜桃の花びら」や、いろいろな味の「藻」などがあります。
 
しかし、そのうちに浦島は、無限に許されていることに飽きてしまいまい、家に帰る決心をします。
そして、浦島は乙姫から土産として、「五彩を放つ貝」を渡されます。
(玉手箱となっている話が多いです。)
 
帰り道に、カメは「その貝は開け無いほうがいい」と言います。
浦島が地上へ戻ると、そこにあったはずの村や家族が消えていました。
そして、もらった貝を開けると、彼は白い煙に包まれて300歳のおじいさんになってしまいます。
 
太宰治は、人は「開けてはいけないと言われると開けたくなるもの」というところから貝(玉手箱)をギリシャ神話の「パンドラの箱」と似たようなものと考えます。パンドラの箱には「希望」が残っていたのに、玉手箱には何もない。
 
しかし、玉手箱を開けて300歳になった浦島は、決して不幸ではなかったのだと太宰は言います。浦島は、この玉手箱を開けるかどうかも、自分で決める「許可」を与えられていました。
「思い出は遠く隔たるほど美しい」といいます。

「年月は、人間の救いである。忘却は、人間の救いである。」

浦島は、それから10年、幸福な老人として生きたそうです。
 

カチカチ山

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「設定」
兎 ➾ 16歳の純真な美少女。少女特有の残酷さを持つ。
狸 ➾ 37歳の醜悪な中年男。間抜けで大食家の野暮天。
 
話の流れは、「昔話」のとおりです。
ただ、本来、カチカチ山は、狸がお婆さんを殺して「婆汁」を作り、お爺さんに食べさせたというえげつない話なのですが、太宰が読んだのは、「狸がお婆さんを引っ搔いた」となっている、子供向けのアレンジ版でした。
 
元の話なら、狸のお婆さんへの仕打ちがひどいので、兎の執拗な復讐を理解できるのですが、子供向けの「狸がお婆さんを引っ掻いただけ」という設定では、兎の狸への仕返しが残酷すぎるという矛盾が生じます。
 
そこで、太宰は、兎を「16歳の処女」、狸を「醜い愚鈍な中年男」と解釈することで、この矛盾を解決しようとしました。
 
16歳の美少女は、醜い中年男にこういう仕打ちをするものだという解釈です。
確かに、兎が狸を「汚い」とか「臭い」とか言う様子は、一部の女子高生のオッサンに対する感覚に近い感じがします。( ;∀;)
 
兎は、いつも狸のことを汚いと愚弄していましたが、残酷な復讐をするためにここで寛容な態度をとります。単純な狸は、それを自分への好意と誤解して素直に喜びます。
 
それから、昔話のとおり、狸はひどい仕打ちを受けるのですが、兎に惚れてしまっているため盲目です。
 
兎の復讐の仕上げは、狸をどろ船に乗せて自分は木の船で後から付いて行き、どろ船が沈むのを確認する事でしたね。
 
兎は湖に浮かぶ島を見て「おお、いい景色」と山水の美にうっとり見とれます。
そして、いよいよどろ船が沈み、狸は助けてくれと救いを求めます。ここにきてようやく兎の魂胆に気づくのです。
 
しかし、兎はそんな狸を軽くあしらって、オールで頭を殴って殺してしまいます。
 
そして最後に一言、「おお、ひどい汗」とつぶやくのです。
 
この一言から、兎が狸に何の感慨も持ち合わせていないとわかります。
「罪悪感」もなければ復讐を成功させた「喜び」もない。
 
まさに「無邪気と悪魔とは紙一重」ということです。

「女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。」

これが、太宰治の考察の結論です。なかなか的を得ていると思うのですが、いかがでしょう。

舌切り雀

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「設定」
お爺さん➾虚弱体質の男性。まだ30代だがお爺さんのような世捨て人。
お婆さん➾お爺さんの妻。現実的で嫉妬深い。
雀➾お爺さんは「ルミ」と名付けたが、「お照さん」という名の雌雀。
 
欲のない世捨て人のような生活をしている「お爺さん」が、助けた雀と話をしていると、お婆さんが「若い娘」と話をしていると誤解します。
お爺さんとお婆さんは、太宰の解釈では「30代の夫婦」です。
 
嫉妬深いお婆さんは、お爺さんが若い娘と話をしているのを聞き、問い詰めますが、お爺さんは雀と話をしていたと言います。
 
それは本当のことなのですが、はぐらかされたと勘違いしたお婆さんは怒り、また、前々からお爺さんがあまりに助けた雀をかわいがるのに、嫉妬していたこともあり、雀の舌をちょん切ってしまいます。
 
雀は逃げ去り、それからお爺さんの家に来ることはありませんでした。
お爺さんは、飛んで行った雀を探しに竹藪を毎日歩き回ります。
 
そして、昔話のとおり、ある冬の日「雀のお宿」に招かれるのです。
帰りにお爺さんは、荷物が重いのは嫌だからと言ってお土産を受け取らず、お照るさん(雀)の髪飾りの「稲穂」だけもらって帰りました。
 
お爺さんから「雀のお宿」の事を聞いたお婆さんは、同じようにそこへ行きます。そして、お土産に選んだ大きな駕籠(かご)が重くて起き上がれず、その場で凍死してしまいます。
 
その駕籠の中には、金貨が一杯つまっていました。
 
この金貨のおかげかどうか、その後まもなくお爺さんは仕官して、やがて一国の宰相にまでなったそうです。
 
世人は彼を「雀大臣」と呼び、この出世は雀に対する彼の愛情の結実だと取り沙汰しました。
 
お爺さんは、それに対し、幽かに苦笑してこう答えたそうです。

「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。」

・・・オチがつきましたね。

おわりに

「お伽草子」は、1944年の戦時中に書かれたものです。(発刊は1945年)
「前書き」では、この昔話を語る「親子」が防空壕に避難するところから始められています。
 
どの話も、本当はこんな話だったのではないかと思えるほど、しっかりした構成でおもしろいです。
 
個人的には、「カチカチ山」の設定が、人間心理の深淵を突いていてさすがだと思いました。
 
「浦島さん」の「玉手箱」を「パンドラの箱」と比較した発想もおもしろいですね。「時(年月)」と人の思い出について太宰がどうとらえていたか、よくわかります。

 

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