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今回お伝えするのは、昭和を代表する作家の1人、谷崎潤一郎です。彼は、当時から大ベストセラー作家だったのですが、 文学史に出てくる作家の中では、かなり変態でおもしろい人です。
 
 
とても頭の良い人なのに、その頭の中は煩悩がうずまいています。文豪の話なんて固くて読む気にならないという、あなたにおススメの作家さんなのです。
 
 
しかし、発表当時から「ワイセツと文学の間」などと週刊誌で論じられるほどエロを追求した人なので、そのあたりを受け入れられるかどうかが好みの分かれるところです。
 
 
エロスなんてけしからんという方には、ただただ美しい「日本の伝統美」を描き出した名作『細雪』を、おススメします。
 
 
ちょっとのぞいてみたいなと思われる方は、『刺青(しせい)』・『痴人の愛』『春琴抄』などをどうぞ。。。

 

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すごく賢い子供で「神童」と呼ばれていた

 

 
谷崎潤一郎は、東京・日本橋の裕福な家庭に生まれました。しかし、小学4年生のころに家業が傾いて、進級が危ぶまれるほどの貧乏も経験しています。
 
 
彼は、夢の印税生活ができるようになってから、3日に1度は超高級料理を食べる美食家として有名になるのですが、それは、美味しい物が食べられなかった貧乏な頃の経験からきてると自分で言っています。
 
ファミレス行くような感覚で「吉兆」などに通っています。今でも、ディナー1人5万以上、豪勢にすると10万ほどかかる店です。
 
 
さすがは、売れっ子作家さんです。
 
 
話を貧乏時代に戻しますと、そのとき、「神童」と称された潤一郎の才能を惜しんで彼を救ったのは、教師たちでした。(援助してもらったようです。)
 
そうして住み込みの家庭教師の職を得て(いわゆる「書生さん」)、なんとか第一高等学校、東京帝国大学と進学し、エリートコースを進むことができたのです。
 

 

古き良き日本への憧れ


 
谷崎の作品テーマのキーワードは「日本の伝統美」と「性愛」です。
 
 
彼は、古き良き日本文化を愛する芸術的なこだわりの強い人でした。
 
 
シュークリームと羊羹を比べて羊羹の美しさをべたぼめしてますし、日本の厠(トイレ)の美について、めっちゃ語ったりしています。(by『陰翳礼讃』)
 
 
高校時代は、洋装の学生服を着ずに、1人だけ袴をはいて和服姿で登校していたそうです。この頃から、当時の西洋文化に感化される風潮に、反発していたんですね。
 
 
『源氏物語』の現代語訳を執筆しているときは、部屋の内装を平安朝風に飾っていたそうです。私もやってみたいです。
 
谷崎潤一郎の文章は、非常に美しいといわれます。それはもう、川端康成や三島由紀夫も絶賛した古典的な美しさがあります。しかし、私は文章の美しさよりやはり書いてる内容がおもしろいから読みます。
 
 
谷崎の文章の美しさを、私が感じるのは、『少将滋幹の母』という作品です。題材が古典で語り口調に引き込まれます。
 
 
彼は、文学・芸術についてもしっかりした独自の考えを持っていて、芥川龍之介と雑誌『改造』で論争を繰り広げたことでも知られていますよ。
 
 
その論点は、 芥川の「詩的精神」に対する、谷崎の「構造的美観」の主張・・・、なんのこっちゃという感じです。
 
 
要するに芥川にケンカを売られたけど、お互い違う土俵で言いたいことを言い合っていたので、決着はつかなかったのです。
 
 
「小説の筋の芸術性」をめぐる論争だったのですが、議論したいだけだったのかもしれません。
 
なぜかというと、彼らは実際、わりと仲が良かったからです。論争中も谷崎夫妻と芥川、佐藤春雄夫妻で、一緒に芝居見物に繰り出したり、ごはん食べに行ったりしています。
 
 
ちなみに、佐藤春夫は、後で述べる「細君譲渡事件」の当事者の1人です。

 
 

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乱歩があこがれた、ミステリー作家の顔

 

 
『犯罪小説集』(集英社)は、谷崎潤一郎の代表的な探偵小説を4作品収めたものです。
   
 
日本のミステリーの父といえば、江戸川乱歩を思い浮かべませんか?
 
 
しかし、江戸川乱歩は作家になる前の20代半ばに、谷崎潤一郎のミステリーを読んで感動したのだそうです。それで、自分もミステリー作家の道を歩もうと背中を押されたそうですよ。
 
 
『犯罪小説集』の中の『途上』と『私』は、乱歩の初期の短編のヒントになった作品といわれます。
 
 
谷崎の探偵小説は、他にも佐藤春夫や芥川龍之介など、いろいろな作家に影響を与えています。
 
しかし、なぜか本人は探偵作家と思われたくなかったらしいです。妙なこだわりがあるのでしょう。おもしろいです。

 
 

前代未聞の「細君譲渡事件」

 

 
谷崎潤一郎といえば、ルールも常識もお構いなしの性愛に生きた変態ですが、実際、こんな事件も起こしています。
 
 
谷崎が初めに結婚した千代という女性は、大人しい性格で、刺激的な恋人を求める谷崎には物足りない女性でした。
 
 
それで、あちらこちら遊び歩いたあげく妻に同情した佐藤春夫に「それなら、君が貰ってくれ。」と細君(妻)を譲渡しようとしたのです。
 
 
そして、佐藤と千代の結婚報告を、谷崎も含めた「3人の連名」で新聞に掲載したため、世間は大騒ぎになりました。これが、「細君譲渡事件」と呼ばれるものです。
 
 
当時はもう『痴人の愛』などベストセラーを出した後だったので、売れっ子作家だったのです。
 
 
佐藤春夫は、多くの文豪のエピソードに名前が出る人で、実は、彼も相当オシャレな恋多き作家なのでした。
 
  
佐藤春夫が「千代」と結婚したのは、4度目の結婚でした。でも、「千代」への愛情は本物だったらしく、最後まで2人は添い遂げます。
 
  
彼は、著書の中で「谷崎はマゾヒストだから、ナオミ型の悪女が好き・・・」(『この三つのもの』)と、言っています。
 
 
ちなみに、姉とは違って奔放な「千代」の妹「せい子」が、『痴人の愛』の「ナオミ」のモデルです。
 
 
谷崎は、13歳の「せい子」の美しさに目をつけ、成長するのを待って求婚しますが、あっさり振られます。もう一つ言うと、「千代」の姉とも、「千代」と結婚する前に付き合っていました。(当時から夫のいる女性です。)
 
 
マメな男ですね。(・_・;)

 
 

そのときどきの理想の女性を作品に

 
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谷崎潤一郎の作品のヒロインは、実際の恋人をモデルにしたものが多いです。
 
 
2番目の妻と結婚していたとき、ある人妻「松子」との「恋」に夢中になり、彼は、松子の隣の家に引っ越します。その後、妻と円満離婚し、松子も離婚して、ついに3度目の結婚を成功させたのでした。
 
 
その3番目(最後)の妻となった松子さんは、『春琴抄』のモデルになった女性です。松子は和装の似合う非常に美しい人で、谷崎は下男のようにかしずいていたそうです。(←作品作りのためだけかは謎)
 
 
『細雪』も、松子とその姉妹たちがモデルなのですが、その姉妹にも「私をイジメてください」というような、妙な手紙を送っています。
 
しかし、このへんてこりんな性癖がなければ、『刺青』も『痴人の愛』も『春琴抄』も『細雪』も生まれなかったかもしれません。
 
 
私のその他のおすすめ小説は、他に『猫と庄造と二人のおんな』『卍』『蓼食う虫』『鍵』、一押しは『陰翳礼讃』です。

 
 

おわりに

 
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谷崎潤一郎は、妙な性癖を持っていた人ではありますが、小説を書くことにはとても真摯な人でした。
 
 
戦争末期の神戸大空襲のときも、家族に促されてもなかなか防空壕に行かず、『細雪』を執筆し続けていたそうです。
 
 
『細雪』は四季ある日本の美しい風景、晴れやかな衣裳をまとった美しい四姉妹が登場する物語です。
 
 
戦時中は相応しくないと掲載禁止され、知人に配ると配布も禁止されました。それでも谷崎は、この長編小説を書き続けました。
 
 
そして、上巻発表から5年以上経って、ようやく『細雪』は「全巻」出版されることとなったのです。
 
 
豪華な着物を着た美しい四人姉妹、芦屋、夙川の町並み、平安神宮(京都)のしだれ桜など、日本の美がそこかしこに描かれたはんなりした物語です。
 
 
『細雪』が日本を代表する文学作品として、外国人にも親しまれる理由の1つは、この日本独特の伝統美を文章に織り込んでいるところでしょう。

 
 

谷崎潤一郎の簡単な年表

 
ここまでお読みくださり、ありがとうございます♪
 
最後におまけで、彼の生涯についての簡単な年表をお付けします。
 
 
● 1886年(0歳)
東京都日本橋で生まれる。
裕福な商家の長男として育つ。
 
● 1901年(15歳)
府立第一中学に入学。
成績優秀で「神童」と呼ばれる。
 
● 1902年(16歳)
家業が傾き進学すら危ぶまれるが、住み込みの家庭教師となって学費を稼ぐ。
 
● 1908年(22歳)
東京帝国大学(現・東京大学)国文科を専攻。
 
● 1910年(24歳)
第2次「新思潮」を創刊。
『誕生』『刺青』を発表。
学費未納で大学を中退する。
 
● 1915年(29歳)
「石川千代」と結婚する。
 
● 1920年(34歳)
「大正活映株式会社脚本部顧問」に就任する。
 
● 1921年(35歳)
妻・千代の譲渡の約束を反故にし、佐藤春夫と絶交。
いわゆる「小田原事件」と呼ばれるもの。
→1930年に和解、千代を譲渡する。
 
● 1923年(37歳)
関東大震災が起こり、京都や兵庫へ避難のため転居する。
これ以降、関西に居住する。(引っ越しは繰り返す)
  
● 1924年(38歳)
神戸に転居する。
『痴人の愛』を発表。
  
● 1927年(41歳)
「芥川龍之介」と同行した茶屋で3番目の妻となる根津松子と出会う。
 
● 1930年(44歳)
妻の「千代」と正式離婚し、「千代」は「佐藤春夫」と結婚する。
「細君譲渡事件」と騒がれる。
 
● 1931年(45歳)
「古川丁未子」(24歳)と結婚。
『吉野葛』『盲目物語』を発表する。
 
●1933年(47歳)
妻の「丁未子」と離婚。
『春琴抄』を発表。
  
● 1935年(49歳)
「松田松子」と結婚。
『源氏物語』の現代語訳に着手する。
 
● 1943年(57歳)
『細雪』を発表するが掲載禁止になる。
  
● 1964年(78歳)
日本人初の「全米芸術院・米国文学アカデミー名誉会長」に選出される。
 
● 1965年(79歳)
腎不全に心不全を併発して死去。

 

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