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こんにちは、このかです。
 
今回お伝えするのは、昭和を代表する作家の1人、谷崎潤一郎です。
彼は、当時から大ベストセラー作家だったのですが、 文学史に出てくる作家の中では、かなりおもしろい人です。
 
とても頭の良い人なのに、その頭の中は煩悩がひしめいています。(笑)
文豪の話なんて固くて読む気にならないという、アナタにおススメの作家さんです。
 
ただし、当時から「ワイセツと文学の間」などと論じられるほど、エロを追求した人なので、そこら辺を受け入れられるかどうかが好みの分かれるところです。
 
エロスなんてけしからんという方には、ただただ美しい「日本の伝統美」を描き出した名作『細雪』を、おススメします。ちょっと読んで見たいなと思われる方は、『痴人の愛』をどうぞ。。。

 

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「神童」と呼ばれた少年時代

 
谷崎潤一郎は、東京・日本橋の裕福な家庭に生まれます。
しかし、小学4年生のころに家業が傾き、進級が危ぶまれるほどになります。
 
そのとき、「神童」と称された潤一郎の才能を惜しんで、救ったのは教師たちでした。
 
そして、住み込みの家庭教師の職をえて(いわゆる書生さんです)、第一高等学校、東京帝国大学と進学し、エリートコースを進むことができたのでした。
 

 

江戸文明への憧れ

 

 
谷崎の作品テーマのキーワードは「日本の伝統」と「愛欲」です。
 
彼は、古き良き日本文化を愛する芸術的なこだわりの強い人でした。
 
高校時代は、洋装の学生服を着ずに、1人だけ袴をはいて和服姿で登校しました。
この頃から、当時の西洋文化に感化される風潮に、反発していたとわかります。
 
戦時中、『源氏物語』の現代語訳を執筆しているときは、部屋の内装を平安朝風に飾っていたそうです。
↑  ↑  ↑
ここら辺は、めちゃくちゃ趣味が合いそう。私も内装変えたい。(*’▽’)
 
谷崎潤一郎の文章は、非常に美しいです。
それはもう、川端康成や三島由紀夫も絶賛した、古典的な美しさがあります。
 
私が谷崎の文章の美しさをすごく感じるのは、『少将滋幹の母』という作品です。語り口調に引き込まれます。
 
彼は、文学・芸術についてもしっかりした独自の考えを持っていて、芥川龍之介と雑誌『改造』で論争を繰り広げたことで有名です。
 
芥川の「詩的精神」に対する、谷崎の「構造的美観」の主張は、さすがに「話を創作できる人」の視点だなと思います。これは、「小説の筋の芸術性」をめぐる論争でしたが、この2人、実は、結構仲良しです。論争中にも、谷崎夫妻・芥川・佐藤春雄夫妻で、一緒に芝居見物に繰り出したりしています。
 
ちなみに、佐藤春夫は、後述する「細君譲渡事件」の当事者の1人です。

 

乱歩ミステリー作家

 
『犯罪小説集』(集英社)は、谷崎潤一郎の代表的な探偵小説を4作品収めたものです。
   
日本のミステリーの父といえば江戸川乱歩を思い浮かべる人が多いでしょう。
 
実は、江戸川乱歩は、作家になる前の20代半ばに、谷崎潤一郎のミステリーを読んで感動しています。
この中の『途上』『私』は、乱歩の初期の短編のヒントになった作品です
 
谷崎の探偵小説は、佐藤春夫や芥川龍之介など、他の多くの作家にも影響を与えています。
 
でも、なぜか本人は探偵作家と思われたくなかったようです。

 

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前代未聞の「細君譲渡事件」

 


 
谷崎潤一郎といえば、ルールも常識もお構いなしの愛に生きた変人ですが、こんな事件も起こしています。
 
谷崎が初めに結婚した「千代」は、大人しい性格で、刺激的な恋人を求める谷崎には、物足りない女性でした。
 
それで、あちらこちら遊び歩いたあげく、妻に同情した佐藤春夫に「それなら、君が貰ってくれ。」と細君(妻)を譲渡します。
 
この佐藤と千代の結婚報告を、谷崎も含めた「3人の連名」で新聞に掲載したため、世間は大騒ぎになりました。これが、いわゆる「細君譲渡事件」です。
 
当時はもう『痴人の愛』などベストセラーを出した後だったので、売れっ子作家です。
 
佐藤春夫は、いろんな文豪のエピソードに名前が出る人ですね。
実は、彼も、相当オシャレな恋多き作家です。
  
佐藤春夫が「千代」と結婚したのは、4度目の結婚でした。
しかし、「千代」への愛情は本物だったらしく、最後まで添い遂げます。
(千代さん、よかったねという話になるのかな・・・?)
 
彼は、著書の中で「谷崎はマゾヒストだから、ナオミ型の悪女が好き・・・」(『この三つのもの』)と、言っています。
 
ちなみに、姉とは違って奔放な「千代」の妹「せい子」が、『痴人の愛』の「ナオミ」のモデルです。
 
谷崎は、13歳の「せい子」の美しさに目をつけ、成長するのを待って求婚しますが、あっさり振られます。(振られて喜んでいたりして・・・)
  
もう一つ言うと、「千代」の姉とは、「千代」と結婚する前に付き合っていました。(当時から夫のいる人です。)
 
マメな男ですね。(・_・;)

 

愛欲私生活を作品に

 
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谷崎潤一郎の作品のヒロインは、実際の恋人をモデルにしたものが多いです。
 
2番目の妻と結婚していたとき、とある人妻との「恋」に夢中になり、その人の隣の家に引っ越します。(‘Д’)
その後、妻と離婚、その人妻も離婚して、ついにゴールイン!
 
その3番目(最後)の妻となる人妻だった人が『春琴抄』のモデル・「松子」です。松子は和装の似合う非常に美しい人で、谷崎は下男のようにかしずいていたとか・・・。
 
『細雪』は、松子とその姉妹がモデルなのですが、その姉妹にも「私をイジメてください」というような、妙な手紙を送っています。(^_^;)
 
でも、このへんてこりんな所がなければ、『刺青』『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』も生まれなかったのでしょうね。

 

谷崎潤一郎を簡単年表に

 
● 1886年(0歳)
東京都日本橋で生まれる。
裕福な商家の長男として育つ。
 
● 1901年(15歳)
府立第一中学に入学。
成績優秀で「神童」と呼ばれる。
 
● 1902年(16歳)
家業が傾き進学すら危ぶまれるが、住み込みの家庭教師となって学費を稼ぐ。
 
● 1908年(22歳)
東京帝国大学(現・東京大学)国文科を専攻。
 
● 1910年(24歳)
第2次「新思潮」を創刊。
『誕生』『刺青』を発表。
学費未納で大学を中退する。
 
● 1915年(29歳)
「石川千代」と結婚する。
 
● 1920年(34歳)
「大正活映株式会社脚本部顧問」に就任する。
 
● 1921年(35歳)
妻・千代の譲渡の約束を反故にし、佐藤春夫と絶交。
いわゆる「小田原事件」と呼ばれるもの。
→1930年に和解、千代を譲渡する。
 
● 1923年(37歳)
関東大震災が起こり、京都や兵庫へ避難のため転居する。
これ以降、関西に居住する。(引っ越しは繰り返す)
  
● 1924年(38歳)
神戸に転居する。
『痴人の愛』を発表。
  
● 1927年(41歳)
「芥川龍之介」と同行した茶屋で3番目の妻となる根津松子と出会う。
 
● 1930年(44歳)
妻の「千代」と正式離婚し、「千代」は「佐藤春夫」と結婚する。
「細君譲渡事件」と騒がれる。
 
● 1931年(45歳)
「古川丁未子」(24歳)と結婚。
『吉野葛』『盲目物語』を発表する。
 
●1933年(47歳)
妻の「丁未子」と離婚。
『春琴抄』を発表。
  
● 1935年(49歳)
「松田松子」と結婚。
『源氏物語』の現代語訳に着手する。
 
● 1943年(57歳)
『細雪』を発表するが掲載禁止になる。
  
● 1964年(78歳)
日本人初の「全米芸術院・米国文学アカデミー名誉会長」に選出される。
 
● 1965年(79歳)
腎不全に心不全を併発して死去。

 

おわりに

 
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妙な性癖を持っていた人ではありますが、谷崎潤一郎は小説を書くことには、とても真摯な人でした。
 
戦争末期の神戸大空襲のときも、家族に促されてもなかなか防空壕に行かず、『細雪』を執筆し続けていたそうです
 
『細雪』は、四季ある日本の美しい風景、晴れやかな衣裳をまとった美しい四姉妹が登場する典雅な物語です。
 
戦時中は相応しくないと掲載禁止され、知人に配ると配布も禁止されました。
それでも谷崎は、この長編小説を書き続けます。
 
上巻発表から5年以上経って、ようやく『細雪 全巻』が出版されました。
 
豪華な着物を着た美しい四人姉妹、芦屋、夙川の町並み、平安神宮(京都)のしだれ桜など、日本の美がそこかしこに描かれた物語・・・。
 

『細雪』が日本を代表する文学作品として、外国人にも親しまれる理由の1つは、日本の伝統美を文章に織り込んでいるところだと思います。

 

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