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こんにちはー、このかです。
 
俳句で名を残す人は多いですが、もっともよく知られ、多くの俳人に影響を与えた人といえばこの人、松尾芭蕉です。
 
「古池や・・・」とか
「五月雨を・・・」とか
いろいろ思い浮かびますが、私が一番好きなのは、「夏草や兵どもが夢の跡」です!
 
この「寂び」の雰囲気に、じーーーーんときます。
平泉の歴史を知ると、いっそうもののあわれを感じます。
 
俳句は、もともと連歌(短歌)の発句の「5・7・5」だけを詠むものとして誕生しました。松尾芭蕉の時代は、これを「俳句」ではなく「俳諧」と呼んでいたんですよ。(それを「俳句」と名付けたのは正岡子規です。)
 
 
今回は、俳聖と呼ばれる松尾芭蕉とその俳句について、お伝えします。

 

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まずは、松尾芭蕉を簡単にご紹介します

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松尾芭蕉は、江戸元禄期の俳人です。元禄時代といえば、江戸幕府ができてから約80年ぐらい経った頃で、経済が発展し、大都市になりつつあった時代です。
 
「芭蕉」の本名は、「松尾宗房(むねふさ)」といいました。
 
松尾芭蕉は、伊賀国(現在の三重県)で無足人と呼ばれた郷士の農家・松尾与左衛門の次男として生まれます。そして、2歳年上の藤堂良忠に仕えました。
 
でも、藤堂良忠は24歳の若さで亡くなり、主君であり文学仲間でもあった彼の死に、芭蕉は大きなショックを受けたのです。そして、伊賀を出て江戸へ行って、武士や商人に俳句を教えながら、数々俳句を生み出しました。
 
どこかひっそりと、物静かで寂しさの漂う芭蕉の俳句が好きです。
 
 
 
松尾芭蕉の『奥の細道』は西行法師の500回忌の巡礼の旅だった!

 
 

松尾芭蕉・簡単年表

 
●1644年(0歳)
伊賀国(三重県)で生まれる。
父親の松尾与左衛門は、この地域の有力者だったとされる。
 
●1666年(22歳)
主君である良忠がなくなったため、藤堂家から離れる。
 
●1674年(30歳)
北村季吟から俳句の腕を認められ、彼の元を離れる。
 
●1675年(31歳)
この頃から江戸に住み、多くの俳人と交流する。
 
●1684年(40歳)
出生地の伊賀へ向けて「野ざらし紀行」の旅に出る。
 
●1689年(45歳)
弟子の河合曾良(かわいそら)と「奥の細道」の旅に出る。
 
●1694年(50歳)
江戸から、伊賀、奈良、大阪へ向かい、大阪にて病死する。
葬儀には300人以上の弟子が参列した。
 
松尾芭蕉の人生を年表で見ていくと、本当にたくさんの旅をしていた事がわかります。「漂泊の俳人」と呼ばれる所以です。
 
この事から、芭蕉は江戸幕府の隠密として各地の大名を監視していたのではという説もあります。

 

奥の細道

 

≪冒頭≫
「月日は百代(はくたい)の過客にして、行きかう年も又旅人也」
(月日もまた永遠に旅をする旅人のようなものだ)

 
『奥の細道』は松尾芭蕉が河合曾良と一緒に、江戸から東北、北陸を回って、大垣まで旅をしたときの「紀行文」です。
 
訪ねた場所で、50数句の俳句を詠んでいて、それらも収録されています。
 
松尾芭蕉は、公儀隠密だったという「都市伝説」があるんですよ。
ちょっと突拍子もないけど、おもしろい俗説ですよね。
 
それについて、私の思ったことを、こちらの記事に書きました。ご一緒にどうぞ(^o^)♪
    ↓↓↓
 
松尾芭蕉の都市伝説・伊賀忍者で公儀隠密だったというのは本当?

 

 

春の俳句

 
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ここからは、松尾芭蕉のよく知られた俳句を、ご紹介します。
特別有名な句や私の好きな句がです。(´▽`*)

 
 
● 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
 
春は過ぎ去ろうとしているが、それを惜しんで鳥は鳴き、魚は目に涙をたたえているかのようだ。
 
● 鶯や 柳のうしろ 藪の前
 
ウグイスが柳の後ろへ藪の前へと、あちこち飛び移って、しきりに鳴き交わしているなあ。
 
★ 梅が香に のっと日の出る 山路かな
 
早春の山道を歩いていると、梅の香りにさそわれるかのように、太陽がのっという感じで顔を出したなあ。
 
● しばらくは 花の上なる 月夜かな
 
 満開の花だ。そして、その上に月が上った。しばらくは月下の花見ができそうだなあ。
 
● 門松や おもへば一夜 三十年
 
新しい年を迎えて、この30年を振り返ってみれば、まるで一夜の夢のようだ。
 

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夏の俳句

 
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ここでご紹介する夏の俳句は、すべて有名なものです。
 
「奥の細道」からの出典がほとんどです。
平泉、光堂など、奥州藤原氏の古の栄華を詠んだ寂びの句が胸にしみます。

 
★ 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
 
かつて戦場だったこの地に来てみると、功名を競った兵士たち(義経や奥州藤原氏)の夢のあともなく、ただ夏草が茂っているばかりだなあ。
 
★ 閑(しずけ)さや 岩にしみ入る 蝉の声
 
あたりは静かで、物音ひとつせず静まりかえっている。その中で蝉の声だけが岩にしみ入るように聞こえ、静寂さをいっそう際立たせている。
 
★ 五月雨(さみだれ)を あつめて早し 最上川
 
五月雨を一つに集めたように、なんとまあ最上川の流れの早くすさまじいことだ。(五月雨は梅雨の雨のことですが、しとしとではなく、どちらかというと、ザーザー降る大雨のイメージです。)
 
★ 五月雨の 降りのこしてや 光堂
 
毎年降る五月雨が、この堂だけは降らずに残したのだろうか。光堂という名のとおり、光り輝いている。
 
★ 古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音
 
古池にとつぜん蛙が飛びこんだ。その水音が一瞬静けさを破ったが、またすぐもとの静けさに戻った。
 

秋の俳句

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秋は、寂しさを感じる季節です。「秋深き~」の句には、その寂しさからの人恋しさが伝わりますね。
 
この俳句は、1694年9月28日に行われた句会に届けたものです。
芭蕉は体調が悪く、出席できませんでした。
その後、10月12日に永眠します。
 
つまり、この俳句は、芭蕉が起きて創作した最後の句なのです。
芭蕉最高の秀句の1つといわれます。

 
★ 秋深き 隣は何を する人ぞ
 
秋が深まり、野山が寂しく感じられるようになると、人恋しくなり、隣人のことなどが気になってくるよ。
 
● 荒海や 佐渡によこたふ 天の河
 
日本海の荒波の向こうには佐渡ケ島がある。空を見上げると、その佐渡が島に向かって、天の川が白々と夜空に大きく横たわっている。
 
● 石山の 石より白し 秋の風
 
那谷寺の岩は石山寺の石よりも白くさらされている。その上を白い秋風が吹き渡っている。
 
● 菊の香(か)や 奈良には古き 仏たち
 
奈良の町には菊の香りが漂っているなあ。その香りの中に古い仏像たちがひっそりとたたずんでいる。
 
● 名月や 池をめぐりて 夜もすがら
 
空には名月があり、池に月影がうつっているなあ。その美しさに心を奪われて、池のまわりを歩きながらながめているうちに、つい一夜を過ごしてしまった。
 

冬の俳句

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● 初雪や 水仙の葉の たわむまで
 
待ちに待った初雪が降ってきたよ。その雪の重みに耐えかねて水仙の葉が折れ曲がっている。
 
● 箱根こす 人もあるらし けさの雪
 
ここ名古屋でも雪が降って寒い。されば雪の箱根を難渋しながら越えている人もいるというのに、わたしは温かいもてなしを受けている。
 
● 葱白く 洗ひたてたる 寒さかな
 
泥を落として、水で洗ったばかりの根深葱の白い色を見ていると、いっそう寒さが身にしみてくることだ。
 
● いざ行かん 雪見にころぶ 所まで
 
さあ雪見の宴に出かけよう。雪に足を取られて転んでしまう所まで。
 
★ 旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる
 
旅の途中、病気でたおれて床にふしていても、夢の中では草木が枯れた冬の野をかけめぐっている。
 
最後は、この俳句以外にありえません。
 
この句を詠んだ4日後、芭蕉はこの世を去りました。
九州へ行く途中、大阪の宿でのことでした。
 
これが最後の俳句となったので、「辞世の句」と受け取られることが多いですが、芭蕉はそういうつもりで詠んでいないと思います。
 
この句からは、まだまだ自分にはやるべきこと、やりたいことがたくさんあるという、「生」への意欲が伝わります。
 
 
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