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81番から100番。百人一首最後の20首の歌人は、「百人一首」の選者・藤原定家と同時代に生きた歌人たちです。
 
時は、平安末期から鎌倉初期。
 
3代将軍の源実朝、朝廷側の摂政太政大臣・藤原良経、その叔父の慈円など、日本史的ビッグネームが名を連ねます。
 
また、『新古今和歌集』の選者のうち、4人が含まれています。
 
「承久の乱」の敗者・後鳥羽院と順徳院で終えることで、武士の台頭→貴族文化の終焉を示唆しています。

 

「百人一首」の意味と覚え方・「81~100番」

 
81.ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れ
82.思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり

藤原実定は定家の従兄弟。書・和歌・管絃を愛し才能にも恵まれる。「千載和歌集」
俗名は藤原敦頼。歌を非常に愛した人。崇徳院に仕える。「千載和歌集」
 

 

83.世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
84.長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

藤原俊成は「千載和歌集」の選者。御子左家の流派の創始者。定家の父。「千載和歌集」
藤原清輔は伝統を重んじ、『奥義抄』や『袋草子』などの歌論書を執筆。「新古今和歌集」
 

 

85.夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
86.嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

源俊頼の子で鴨長明の師。歌人のサロン「歌林苑」を主催する。「千載和歌集」
西行法師は放浪の歌人。元は北面の武士。『山家集』などを執筆。「千載和歌集」
 

 

87.村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
88.難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋わたるべき

寂蓮法師は俗名を藤原定長という。「新古今集」の選者に選ばれるが完成前に死去。「新古今和歌集」
皇嘉門院別当は崇徳院の皇后に仕えた。多くの歌人と交流を持つ女流歌人。「千載和歌集」
 

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89.玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
90.見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず

式子内親王は後白河法皇の第3皇女。兄は以仁王。藤原定家の想い人との噂。「新古今和歌集」
殷富門院大輔は殷富門院亮子に仕える女房。「歌林苑」のメンバー。「千載和歌集」

 

 

91.きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き ひとりかも寝む
92.わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし

藤原良経は藤原忠通(96番)の孫。『新古今和歌集』の選者の1人。「新古今和歌集」
二条院讃岐は女流歌人。二条院、後鳥羽院の中宮・宣秋門院に仕える。「千載和歌集」

 

 

93.世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも
94.み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり

源実朝は第3代鎌倉幕府将軍。貴族文化を愛した鎌倉武士。『金塊集』の作者。「新勅撰和歌集」
藤原雅経は蹴鞠宗家「飛鳥井家」を設立。定家の友人。和歌・蹴鞠の名人。「新古今和歌集」
 

 

95.おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖
96.花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

慈円は、日本初の歴史論集『愚管抄』の作者。天台座主を4度務める。「千載和歌集」
藤原公経は西園寺の始祖。西園寺跡地には鹿苑寺(金閣)が建てられた。「新勅撰和歌集」
 

 

97.来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
98・風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける

藤原定家は『新古今和歌集』選者の1人。日記『明月記』の作者。「勅撰和歌集」
藤原家隆は『新古今和歌集』選者の1人で定家の従兄弟。『壬二集』の作者。「新勅撰和歌集」

 

 

99.人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
100.ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

後鳥羽院は『新古今集』編纂を命じた上皇。和歌・蹴鞠の名人。「承久の乱」で敗者となる。「続後撰和歌集」
順徳院は父・後鳥羽院と同じく和歌の名人。「承久の乱」で父と共に敗退。「続後撰和歌集」 

 

 

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